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ドーナツ穴から虫食い穴を通って魔人はやってくる  作者: 黄札
第一部 新しい王の誕生(前編)六章 魔国での戦い
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104話 信じる?(ディアナ視点)

(ディアナ)


 絡まり合う(つた)の装飾が施された窓。その蔦の合間から淡い光が差し込む。黒い石の床や壁は気持ちを沈ませる。昼も夜も、燭台の火を絶やすことはない。

 ディアナは与えられた本をペラペラとめくった。目は字を追っていても、頭の中には入っていかない。毎日、無意味な時間がこぼれ落ちる砂のように流れていく。

 

 この塔に幽閉されてから、ひと月が経過していた。

 シンプルなベッドにチェスト。狭い部屋には必要な物しかなかった。


「ミリヤ、イザベラはまだかしら? ユゼフはいつ助けに来てくれるの?」


 ミリヤに声をかける。忠臣は同室で寝起きしている。


「明日には必ず来るでしょう。大丈夫、すべてうまくいきます」


 文句一つ言わず、ディアナの泣き言につきあい、ゲームなどの遊興、本の朗読……暇潰しに関することから、掃除、湯浴み、着付け、下女の仕事まで──ディアナに尽くしてくれた。


 五首城でさらわれ、閉じこめられてからずっと。いや、そのまえから──少女のころに侍女として来て以来、ディアナに献身してきた。ディアナにとっては唯一無二の存在。それなのに、なぜか強いライバル心を抱いてしまう。


 認めたくないが、ミリヤは美人だ。自分でも、それをわかっているのだろう。トロいように見えて、男たちの色目にさらされても動じない。彼女にとって、それが当たりまえだからだ。


 通常、公女や王女の侍女は、流行遅れになった主の普段着をお古にもらう。ディアナも、もちろん侍女たちに与えている。だが、ミリヤだけは固辞した。

 いつも地味な色合いのガウンをまとい、豊かなバストをショールで隠す。

 そういう慎み深さも鼻につくのだ。地味な装いはミリヤの美しさをいっそう引き立てる。

 ふとした拍子にハッと目を奪われる。嫉妬に呑み込まれないよう、栗毛やヘーゼルアイは金髪碧眼より下だと、ディアナは自分に言い聞かせねばならなかった。


 そう、ディアナに不自由な生活を強いている当事者、イアンもミリヤにぞっこんだった。

 血のつながりはなくとも、イアンとディアナは親戚だ。幼いころから顔は知っている。イアンは腹違いのヴィナスとニーケの従兄なので、ディアナは距離をおいていた。


 魔国に来てから、ディアナがイアンに会ったのは一度きりだ。

 イアンを前にするなり、ディアナは唾を吐いた。そして、ありったけの罵声をぶつけてやったのである。

 突如、化物にさらわれ、暗い塔に閉じ込められたのだから当然だろう。ディアナは恐怖で混乱していた。そこに現れたのが、あのイアン。馬鹿で乱暴者で女ったらし。親戚中の恥のあのイアン。必然的にそうなる。

 ディアナの剣幕にイアンは言葉を失い、泣きそうになった。それからは、イザベラを通じて連絡するようになり、まったく対面していない。


「様子を探ってきましょうか?」

「だめよ。おまえはここにいて」


 ミリヤの提案をディアナは、はねつけた。ミリヤをイアンに接触させたら、間違いなく手を出すだろう。主国にいたころは、ミリヤにしつこく手紙や花を渡そうとしたり、隙を見て話しかけようとしたり、鬱陶しかった。

 ディアナがイアンをここまで嫌うのには、わけがある。謀反を起こしたとか、人質にされたとか、そういう真っ当な理由ではない。ごくごく卑小な、しようもない理由である。


 年頃になったある時、ディアナはイアンから花をもらった。問題児とはいえ、イアンは女子からまあまあ人気がある。悪い気はしなかった。

 ところが後日、別の侍女からの告げ口により発覚したのだ。花を渡したのはミリヤと話すための口実だったのだと。これでディアナは大激怒した。


 こともあろうか、王女である自分を踏み台にして、侍女のミリヤに近づこうとした。侮辱するにもほどがある。

 自尊心を傷つけられたディアナは、以後、イアンを嫌悪するようになった。



 気持ちを落ち着かせるため、ディアナは胸元で揺れるお守りを握りしめる。別れ際にユゼフがくれた大切なものだ。

 古びていても、良い物というのはわかる。球の周りを踊る葉の意匠は細やかだし、くすんだ蜂蜜色も渋い。金銀宝石を散りばめた派手な贈り物より、よっぽど価値がある。高価で軽薄な石より、地味でも凝った作りのほうがよい。なにより、ユゼフが身につけていたものだ。

 軟禁生活において、これが一番の支えとなっていた。手に冷たい感触を得るだけで、ユゼフの深い藍色の瞳や、古木みたいに硬い体、甘い顔立ちが瞼の裏に蘇ってくる。それは、荒漠とした心にみずみずしい勇気を与えてくれるのだった。


「ねぇ……イザベラはニーケのところに着いたかしら? ユゼフは?」


 ディアナは繰り返した。昨日、イザベラから「ユゼフが助けに来た」と聞いた時は、飛び上がらんばかりに大喜びした。そのあと、同じことを何度も何度も問うている。ようやく、この退屈な生活とさよならできると、高揚したり落ち込んだり、(せわ)しなかった。

 まあ、不便であっても、そこまでひどい生活ではなかった。ろくなシェフがいないのか、食事は最悪だったが。保存のきく乾燥食品や発酵食品、塩漬け、干物など。あるいは、肉を焼いただけとか、煮ただけの根菜、青菜はそのまま。聞くところによると、料理はドワーフとかいう妖精族が作っているらしい。


 ミリヤかイザベラが付き添えば、主殿内をディアナは自由に歩き回った。塔の出入り口は城壁側にあり、その反対側に主殿がある。壁と壁に挟まれた通路は、目立たず行き来できた。イザベラの話だと、屋外は魔物がうろついているそうだが、ディアナは一度も見ていなかった。


 主殿の地下に広い図書室、美術品や宝石が飾られた部屋もある。最初のうち、城内の探索は楽しかった。だが、数日後にはすべて見尽くす。

 毎日、部屋でカードや駒を使ったゲームをして遊んだり、ミリヤに本を読ませたり、イザベラに歌わせたり……いい加減、飽き飽きしていたのだ。


 ──やっと、自由になれる! しかもユゼフが、ぺぺが助けに来てくれる!


 ユゼフはいつだって、ディアナに優しかった。鈍臭くて、無愛想、ひ弱に見えても、本当は芯の通った人。彼の強さを知る者は、ディアナしかいない。そのうえ、彼は目立たないだけで美男子だ。


 ──そりゃあ、華やかな貴族社会ではパッとしないでしょうよ。彼は控えめすぎるから。でも、綺麗な顔をしてる。個性が薄いから、あんまり気づかれないのよね。あの、泣きほくろのある暗い目元なんか、最高なのに。


 格好良くて優しい彼は、ディアナのことを愛している。相思相愛。


 ──子供のころはわがまま言っても、なんでも聞いてくれる優しいお兄さんだった。ありのままの私を受け入れてくれる人。


 ユゼフのことを思い出すと、体が熱くなる。あんなふうに見つめあったり、手を握り合ったり、抱擁したり……初めての経験だった。キスまでされた。


 ──無事、国に帰れたら、兄たちは死んでるから、私が女王として即位するのよね? そしたら、残っている親戚のうちで、一番血の近いぺぺと私は結ばれることになるわ。ローズは謀反を起こしたし、ヴァルタン家の他の男は全滅。ぺぺは私の王配※になる。なんて、幸せなことなのかしら! 助けに来てくれた王子様と結ばれるなんて。まるで、おとぎ話のヒロインのよう。


 こんなことを考えて浮かれていたところ、部屋の外から大きな音がした。

 乱暴にバタン、バタンと階下のドアを開け閉めし、ドスドスと騒々しい足音を立てて駆け上ってくる。

 怖くなり、ディアナはミリヤにしがみついた。


「なんなの? 何か来るわ!」

「落ち着いて。わたしが様子を見てきます」


 普段は亀のようにトロいのは演技かと思うほど、こういうときのミリヤはキリッとしている。かなり強くしがみついていたのに、スルリと逃れた。

 音を立てず、ドアまで小走りする。ミリヤは一気にドアを開けた。


「ミリヤ!」


 聞こえたのは、野太い男の声だ。ミリヤは慌ててドアを閉めようとした。


「待ってくれ! オレはおまえらを助けに来たんだ!!」


 男の声が追いかける。ミリヤの背中がビクッと震えた。ミリヤは閉じようとしていたドアを開放し、外にいる男と向かい合った。

 緊迫の時が流れる。ディアナは生唾を飲み込んだ。


「頼む! 信じてくれ! オレたちの今の雇い主はユゼフ・ヴァルタンだ」


 ふたたび男の声が聞こえた時、ディアナは我を失った。ユゼフが、とうとうぺぺが助けに来てくれた!──頭のなかが真っ白になる。ディアナは弾かれたように立ち上がった。


「ユゼフ? ユゼフがいるの!?」

「いえ。ユゼフはおりません」


 ゾクリ……ミリヤの口調は冷ややかだ。ディアナはときどき、彼女が何者かわからなくなる。

 一言二言、男と言葉を交わした後、ミリヤは低い声で、


「入って」


 と言った。

 ディアナは身を固くした。ミリヤに促され、部屋に入ってきたのが熊を思わせる大男だったからだ。いかにもガラの悪い、ならず者ふうの男。ディアナの苦手なタイプだ。


 その熊男の耳に、平然とミリヤは口を近づける。無礼を働かないよう、注意しているのだろうか。男の顔が赤らむのを見て、ディアナの緊張は少し解けた。

 男はディアナの前にひざまずいた。ディアナは王女らしく胸を反らし、威厳を保つ。虚勢を張るのは得意だ。


「この男は?」

「盗賊です」


 ミリヤの即答に二の句が継げなくなる。呆けた後にディアナを襲ったのは怒りだった。


「……なんですって!?……まさか、私を最初に襲った連中なの?」

「ええ」


 頭を垂れているので、男がどのような表情をしているのかは見えない。恐怖心が引っ込んだディアナは憤怒した。


 ──どうしてぺぺじゃなくて、こんなゴロツキがやって来るのよ!? 話が違うじゃないの!


「おまえに乱暴したのはこの男?」

「いいえ。この人はバルバソフ……わたしを守ろうとしてくれました」

「それで、何か? この男が私たちを助けに来たとでも言うの!?」

「はい」


 ディアナは癇癪を起こさないよう、呼吸を整えた。


「信用できないわ」

「この人は嘘をついたり、騙したりすることができない性格です」

「なんでわかるの? 盗賊よ?」

「……それは……そのぉ……わたしが盗賊の所にいたころ、この人は……わたしの……」

「じれったいわね! 早く言いなさい!」

「この人はわたしの……その……愛人でした」


 男性経験のないディアナは“愛人”という言葉に衝撃を受けた。


「最初は恐ろしくて従っていました……だけど、一緒に過ごすうち、見かけとは違い、優しい人だと思うようになりました。彼はわたしを自分の女にする代わりに、他の男たちから守ってくれました」


 しばらく、ディアナは沈黙した。

 無垢に見えるミリヤのほうが先に男を知っていたとは。グズでノロマで世間知らずのミリヤが。こんな恐ろしい大男をすんなりおとなしくさせ、意のままに従わせている。ディアナは、なんだか負けた気持ちになった。


「……こいつがおまえの男だからと言って、信用できる理由にはならない」

「イザベラは、そろそろ助けが来るから、ニーケ殿下を迎えに行くと言っていましたよね? このタイミングで来たということは、信用してもいいのではないでしょうか? そもそも、モズの盗賊が、わざわざこんな所に来る理由が見つかりません」


「黙りなさい!……何なの!? 普段、グズでノロマのくせに……この私に意見するっていうの?」


 ミリヤは口をつぐんだ。すると、男が頭を垂れたまま口を開いた。


「王女様!」


 男の低声にディアナはひるんだ。野獣のような男はディアナを辱め、簡単に殺すことができる。その太い腕につかまれたら、逃れることはできないだろう。

 ミリヤが小声で男に何か言っている。小動物女がまったく怖がらないのだから平気だと、ディアナは自分を励ました。


「大丈夫だ、ミリヤ。話をさせてくれ。オレにも言い分がある」


 熊男──バルバソフは顔を上げ、ディアナを見た。ディアナは必死に睨み返す。


「王女様、聞いてくだせぇ。あっしどもは最初、カワウの王家に仕えるコルモランという男に雇われてました。だが、今はユゼフ・ヴァルタンがあっしどもの雇い主でごぜぇます」


 ユゼフ──この名を聞くと、ディアナは平常心でいられなくなる。


「ユゼフは今、この城の正面からイアン・ローズに戦いを挑んでいます。魔人の軍と……すべては王女様のためでごぜぇます」


 ディアナは胸元で揺れていた真鍮(しんちゅう)のお守りを握りしめた。頭のなかでは「ユゼフ」が何度も反芻される。バルバソフの他の言葉は、ほとんど耳腔を過ぎていく。


「もし、王女様があっしを信用してくださらなかった時のために、王女様とユゼフしか知らないことを聞いております。ユゼフは別れ際に、お守りをお渡ししているはずです。真鍮の……太陽の周りを花と葉が囲んでいる……もしかして今、首から下げているそれでは?」


 ディアナは(こら)えきれなくなった。手のなかのお守りを跡がつくくらい強く握り、奥歯を噛み締める。目の奥がじんじん熱くなって、涙がぼろぼろこぼれた。

 

「ユゼフが助けに来たと……イザベラから聞いた時は……夢だと思った……私は……ぺぺが……ユゼフが直接助けに来てくれるものとばかり……」


 ディアナは指で涙を(ぬぐ)った。強くならなくては。ミリヤのように。これから、彼に……愛する人に会うのだ。そのためには自分の力で乗り越えないといけない。怖くても、勇気を出すのだ──


「わかった。おまえを信じる」


 ディアナは声を振り絞った。




※王配……女王の配偶者のこと。

カットしたバルバソフ視点↓

https://book1.adouzi.eu.org/n8133hr/25/


https://book1.adouzi.eu.org/n8133hr/26/

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