104話 信じる?(ディアナ視点)
(ディアナ)
絡まり合う蔦の装飾が施された窓。その蔦の合間から淡い光が差し込む。黒い石の床や壁は気持ちを沈ませる。昼も夜も、燭台の火を絶やすことはない。
ディアナは与えられた本をペラペラとめくった。目は字を追っていても、頭の中には入っていかない。毎日、無意味な時間がこぼれ落ちる砂のように流れていく。
この塔に幽閉されてから、ひと月が経過していた。
シンプルなベッドにチェスト。狭い部屋には必要な物しかなかった。
「ミリヤ、イザベラはまだかしら? ユゼフはいつ助けに来てくれるの?」
ミリヤに声をかける。忠臣は同室で寝起きしている。
「明日には必ず来るでしょう。大丈夫、すべてうまくいきます」
文句一つ言わず、ディアナの泣き言につきあい、ゲームなどの遊興、本の朗読……暇潰しに関することから、掃除、湯浴み、着付け、下女の仕事まで──ディアナに尽くしてくれた。
五首城でさらわれ、閉じこめられてからずっと。いや、そのまえから──少女のころに侍女として来て以来、ディアナに献身してきた。ディアナにとっては唯一無二の存在。それなのに、なぜか強いライバル心を抱いてしまう。
認めたくないが、ミリヤは美人だ。自分でも、それをわかっているのだろう。トロいように見えて、男たちの色目にさらされても動じない。彼女にとって、それが当たりまえだからだ。
通常、公女や王女の侍女は、流行遅れになった主の普段着をお古にもらう。ディアナも、もちろん侍女たちに与えている。だが、ミリヤだけは固辞した。
いつも地味な色合いのガウンをまとい、豊かなバストをショールで隠す。
そういう慎み深さも鼻につくのだ。地味な装いはミリヤの美しさをいっそう引き立てる。
ふとした拍子にハッと目を奪われる。嫉妬に呑み込まれないよう、栗毛やヘーゼルアイは金髪碧眼より下だと、ディアナは自分に言い聞かせねばならなかった。
そう、ディアナに不自由な生活を強いている当事者、イアンもミリヤにぞっこんだった。
血のつながりはなくとも、イアンとディアナは親戚だ。幼いころから顔は知っている。イアンは腹違いのヴィナスとニーケの従兄なので、ディアナは距離をおいていた。
魔国に来てから、ディアナがイアンに会ったのは一度きりだ。
イアンを前にするなり、ディアナは唾を吐いた。そして、ありったけの罵声をぶつけてやったのである。
突如、化物にさらわれ、暗い塔に閉じ込められたのだから当然だろう。ディアナは恐怖で混乱していた。そこに現れたのが、あのイアン。馬鹿で乱暴者で女ったらし。親戚中の恥のあのイアン。必然的にそうなる。
ディアナの剣幕にイアンは言葉を失い、泣きそうになった。それからは、イザベラを通じて連絡するようになり、まったく対面していない。
「様子を探ってきましょうか?」
「だめよ。おまえはここにいて」
ミリヤの提案をディアナは、はねつけた。ミリヤをイアンに接触させたら、間違いなく手を出すだろう。主国にいたころは、ミリヤにしつこく手紙や花を渡そうとしたり、隙を見て話しかけようとしたり、鬱陶しかった。
ディアナがイアンをここまで嫌うのには、わけがある。謀反を起こしたとか、人質にされたとか、そういう真っ当な理由ではない。ごくごく卑小な、しようもない理由である。
年頃になったある時、ディアナはイアンから花をもらった。問題児とはいえ、イアンは女子からまあまあ人気がある。悪い気はしなかった。
ところが後日、別の侍女からの告げ口により発覚したのだ。花を渡したのはミリヤと話すための口実だったのだと。これでディアナは大激怒した。
こともあろうか、王女である自分を踏み台にして、侍女のミリヤに近づこうとした。侮辱するにもほどがある。
自尊心を傷つけられたディアナは、以後、イアンを嫌悪するようになった。
気持ちを落ち着かせるため、ディアナは胸元で揺れるお守りを握りしめる。別れ際にユゼフがくれた大切なものだ。
古びていても、良い物というのはわかる。球の周りを踊る葉の意匠は細やかだし、くすんだ蜂蜜色も渋い。金銀宝石を散りばめた派手な贈り物より、よっぽど価値がある。高価で軽薄な石より、地味でも凝った作りのほうがよい。なにより、ユゼフが身につけていたものだ。
軟禁生活において、これが一番の支えとなっていた。手に冷たい感触を得るだけで、ユゼフの深い藍色の瞳や、古木みたいに硬い体、甘い顔立ちが瞼の裏に蘇ってくる。それは、荒漠とした心にみずみずしい勇気を与えてくれるのだった。
「ねぇ……イザベラはニーケのところに着いたかしら? ユゼフは?」
ディアナは繰り返した。昨日、イザベラから「ユゼフが助けに来た」と聞いた時は、飛び上がらんばかりに大喜びした。そのあと、同じことを何度も何度も問うている。ようやく、この退屈な生活とさよならできると、高揚したり落ち込んだり、忙しなかった。
まあ、不便であっても、そこまでひどい生活ではなかった。ろくなシェフがいないのか、食事は最悪だったが。保存のきく乾燥食品や発酵食品、塩漬け、干物など。あるいは、肉を焼いただけとか、煮ただけの根菜、青菜はそのまま。聞くところによると、料理はドワーフとかいう妖精族が作っているらしい。
ミリヤかイザベラが付き添えば、主殿内をディアナは自由に歩き回った。塔の出入り口は城壁側にあり、その反対側に主殿がある。壁と壁に挟まれた通路は、目立たず行き来できた。イザベラの話だと、屋外は魔物がうろついているそうだが、ディアナは一度も見ていなかった。
主殿の地下に広い図書室、美術品や宝石が飾られた部屋もある。最初のうち、城内の探索は楽しかった。だが、数日後にはすべて見尽くす。
毎日、部屋でカードや駒を使ったゲームをして遊んだり、ミリヤに本を読ませたり、イザベラに歌わせたり……いい加減、飽き飽きしていたのだ。
──やっと、自由になれる! しかもユゼフが、ぺぺが助けに来てくれる!
ユゼフはいつだって、ディアナに優しかった。鈍臭くて、無愛想、ひ弱に見えても、本当は芯の通った人。彼の強さを知る者は、ディアナしかいない。そのうえ、彼は目立たないだけで美男子だ。
──そりゃあ、華やかな貴族社会ではパッとしないでしょうよ。彼は控えめすぎるから。でも、綺麗な顔をしてる。個性が薄いから、あんまり気づかれないのよね。あの、泣きほくろのある暗い目元なんか、最高なのに。
格好良くて優しい彼は、ディアナのことを愛している。相思相愛。
──子供のころはわがまま言っても、なんでも聞いてくれる優しいお兄さんだった。ありのままの私を受け入れてくれる人。
ユゼフのことを思い出すと、体が熱くなる。あんなふうに見つめあったり、手を握り合ったり、抱擁したり……初めての経験だった。キスまでされた。
──無事、国に帰れたら、兄たちは死んでるから、私が女王として即位するのよね? そしたら、残っている親戚のうちで、一番血の近いぺぺと私は結ばれることになるわ。ローズは謀反を起こしたし、ヴァルタン家の他の男は全滅。ぺぺは私の王配※になる。なんて、幸せなことなのかしら! 助けに来てくれた王子様と結ばれるなんて。まるで、おとぎ話のヒロインのよう。
こんなことを考えて浮かれていたところ、部屋の外から大きな音がした。
乱暴にバタン、バタンと階下のドアを開け閉めし、ドスドスと騒々しい足音を立てて駆け上ってくる。
怖くなり、ディアナはミリヤにしがみついた。
「なんなの? 何か来るわ!」
「落ち着いて。わたしが様子を見てきます」
普段は亀のようにトロいのは演技かと思うほど、こういうときのミリヤはキリッとしている。かなり強くしがみついていたのに、スルリと逃れた。
音を立てず、ドアまで小走りする。ミリヤは一気にドアを開けた。
「ミリヤ!」
聞こえたのは、野太い男の声だ。ミリヤは慌ててドアを閉めようとした。
「待ってくれ! オレはおまえらを助けに来たんだ!!」
男の声が追いかける。ミリヤの背中がビクッと震えた。ミリヤは閉じようとしていたドアを開放し、外にいる男と向かい合った。
緊迫の時が流れる。ディアナは生唾を飲み込んだ。
「頼む! 信じてくれ! オレたちの今の雇い主はユゼフ・ヴァルタンだ」
ふたたび男の声が聞こえた時、ディアナは我を失った。ユゼフが、とうとうぺぺが助けに来てくれた!──頭のなかが真っ白になる。ディアナは弾かれたように立ち上がった。
「ユゼフ? ユゼフがいるの!?」
「いえ。ユゼフはおりません」
ゾクリ……ミリヤの口調は冷ややかだ。ディアナはときどき、彼女が何者かわからなくなる。
一言二言、男と言葉を交わした後、ミリヤは低い声で、
「入って」
と言った。
ディアナは身を固くした。ミリヤに促され、部屋に入ってきたのが熊を思わせる大男だったからだ。いかにもガラの悪い、ならず者ふうの男。ディアナの苦手なタイプだ。
その熊男の耳に、平然とミリヤは口を近づける。無礼を働かないよう、注意しているのだろうか。男の顔が赤らむのを見て、ディアナの緊張は少し解けた。
男はディアナの前にひざまずいた。ディアナは王女らしく胸を反らし、威厳を保つ。虚勢を張るのは得意だ。
「この男は?」
「盗賊です」
ミリヤの即答に二の句が継げなくなる。呆けた後にディアナを襲ったのは怒りだった。
「……なんですって!?……まさか、私を最初に襲った連中なの?」
「ええ」
頭を垂れているので、男がどのような表情をしているのかは見えない。恐怖心が引っ込んだディアナは憤怒した。
──どうしてぺぺじゃなくて、こんなゴロツキがやって来るのよ!? 話が違うじゃないの!
「おまえに乱暴したのはこの男?」
「いいえ。この人はバルバソフ……わたしを守ろうとしてくれました」
「それで、何か? この男が私たちを助けに来たとでも言うの!?」
「はい」
ディアナは癇癪を起こさないよう、呼吸を整えた。
「信用できないわ」
「この人は嘘をついたり、騙したりすることができない性格です」
「なんでわかるの? 盗賊よ?」
「……それは……そのぉ……わたしが盗賊の所にいたころ、この人は……わたしの……」
「じれったいわね! 早く言いなさい!」
「この人はわたしの……その……愛人でした」
男性経験のないディアナは“愛人”という言葉に衝撃を受けた。
「最初は恐ろしくて従っていました……だけど、一緒に過ごすうち、見かけとは違い、優しい人だと思うようになりました。彼はわたしを自分の女にする代わりに、他の男たちから守ってくれました」
しばらく、ディアナは沈黙した。
無垢に見えるミリヤのほうが先に男を知っていたとは。グズでノロマで世間知らずのミリヤが。こんな恐ろしい大男をすんなりおとなしくさせ、意のままに従わせている。ディアナは、なんだか負けた気持ちになった。
「……こいつがおまえの男だからと言って、信用できる理由にはならない」
「イザベラは、そろそろ助けが来るから、ニーケ殿下を迎えに行くと言っていましたよね? このタイミングで来たということは、信用してもいいのではないでしょうか? そもそも、モズの盗賊が、わざわざこんな所に来る理由が見つかりません」
「黙りなさい!……何なの!? 普段、グズでノロマのくせに……この私に意見するっていうの?」
ミリヤは口をつぐんだ。すると、男が頭を垂れたまま口を開いた。
「王女様!」
男の低声にディアナはひるんだ。野獣のような男はディアナを辱め、簡単に殺すことができる。その太い腕につかまれたら、逃れることはできないだろう。
ミリヤが小声で男に何か言っている。小動物女がまったく怖がらないのだから平気だと、ディアナは自分を励ました。
「大丈夫だ、ミリヤ。話をさせてくれ。オレにも言い分がある」
熊男──バルバソフは顔を上げ、ディアナを見た。ディアナは必死に睨み返す。
「王女様、聞いてくだせぇ。あっしどもは最初、カワウの王家に仕えるコルモランという男に雇われてました。だが、今はユゼフ・ヴァルタンがあっしどもの雇い主でごぜぇます」
ユゼフ──この名を聞くと、ディアナは平常心でいられなくなる。
「ユゼフは今、この城の正面からイアン・ローズに戦いを挑んでいます。魔人の軍と……すべては王女様のためでごぜぇます」
ディアナは胸元で揺れていた真鍮のお守りを握りしめた。頭のなかでは「ユゼフ」が何度も反芻される。バルバソフの他の言葉は、ほとんど耳腔を過ぎていく。
「もし、王女様があっしを信用してくださらなかった時のために、王女様とユゼフしか知らないことを聞いております。ユゼフは別れ際に、お守りをお渡ししているはずです。真鍮の……太陽の周りを花と葉が囲んでいる……もしかして今、首から下げているそれでは?」
ディアナは堪えきれなくなった。手のなかのお守りを跡がつくくらい強く握り、奥歯を噛み締める。目の奥がじんじん熱くなって、涙がぼろぼろこぼれた。
「ユゼフが助けに来たと……イザベラから聞いた時は……夢だと思った……私は……ぺぺが……ユゼフが直接助けに来てくれるものとばかり……」
ディアナは指で涙を拭った。強くならなくては。ミリヤのように。これから、彼に……愛する人に会うのだ。そのためには自分の力で乗り越えないといけない。怖くても、勇気を出すのだ──
「わかった。おまえを信じる」
ディアナは声を振り絞った。
※王配……女王の配偶者のこと。
カットしたバルバソフ視点↓
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