99話 待ち時間
打ち合わせのあと、ユゼフはただちに黒曜石の城へ向かわねばならなかった。
麓の村から、城までは十五分程度。門の前まできたところ、すでに跳ね橋は下ろされており、待ち構えていたドワーフが玉座の間に案内してくれた。
ドワーフがコック帽をかぶり、前掛けをしていたので尋ねると、料理人だと返ってきた。やはり、人手が足りないのかと思われる。
玉座の間に入ってからは、かなり待たされた。もう昼時というのに、イアンはなかなか現れない。
緊張を保っていられるのは、異様な場所だからだった。
床や壁の見た目は確かに硬質な黒曜石である。だが、ときおり踏み心地が柔らかくなったり、拍動を感じたりする。石のなかに血管が通っているかのごとく、ドクンドクンと脈打っていた。触ればわかる。
──生きている
城全体が一つの生命体のようだ。
誰かにずっと見られている。そんな気もした。
ユゼフはだだっ広い玉座の間を見回した。ライラは、つねに掃除が行き届いていたと言っていた。
ところが、床のあちこちに泥がこびりついているし、玉座の近くに置かれた燭台には埃が積もっている。
入口近く、小さなテーブルに置かれた花瓶は何日も放置されていたのだろう。干からびた花がそのまま差されていた。綺麗好きのサチが、ここに住んでいるとは思えない。
……と、生きている城とは違う気配を感じて、ユゼフは身構えた。
気配は玉座の裏側、ステンドグラスのあたりだ。
ステンドグラスには、一枚布を体に巻いたメシアの姿が描かれている。メシアの背後には光輝く太陽と精霊たち、下のほうにはケルビム……全身にいくつもの目を持ち、足の代わりに車輪を持つ智天使が控える。
ステンドグラスに描かれたケルビムの車輪の下、濃い青色のガラスが揺れたとたん、ガリガリッと嫌な音を立てて外された。
外されたところに、人一人が通れる穴が空く。穴から出てきたのは、たおやかな白い手だ。
その手は、ぽっかり空いた穴の両端をつかんだ。美しい本体が穴を潜り抜ける。
黒い睫毛、雪の肌。紅色の頬。唇は赤い蘭。うねった黒髪のその娘には見覚えがあった。
──イザベラ・クレマンティ
彼女は学院で、いつもディアナ王女のそばにいた。ディアナの交遊関係を侍従長に毎月報告していたから、ユゼフは覚えている。
「こんな形で現れて失礼いたします」
イザベラはガウンについた埃を払い、髪を整えてからスカートの両端をつまみ、優雅にお辞儀した。
「わたしのこと、覚えているかしら? ほら、学院で……」
「知っている。話したことはないと思うが」
「覚えていてくださって、光栄ですわ」
ユゼフは面食らって、何を言えばいいのか、わからなかった。
とんでもない所から出てきたのに、彼女の様子はどこかの城の舞踏会で、知り合いに会ったような気安さだったからだ。
「安心して。ディアナ様はご無事ですわ」
イザベラは微笑んだ。
「あの……イアンは?」
「そうね、イアンが来るまえに確認したいことがあったの」
「??」
「ユゼフ・ヴァルタン、あなたはディアナ様を助けに来たってことでいいわね?」
「そうだが……」
「よかった!」
どうも会話が噛み合っていない。彼女の思惑がなんなのか、見当がつかない。困惑するユゼフを尻目にイザベラは勝手に話し出した。
「本当に私たち、いろいろと大変だったの。グリンデル人から奪ったグリンデル水晶を持って、時間の壁を渡ったはいいけど……時間が二ヶ月くらい遡っていて、主国に戻れるかと思ったけど戻れないし……」
「ちょっと待ってくれ! 今、グリンデル水晶と?」
「ええ。グリンデル水晶を持っていれば、時間の壁を渡れるのよ」
驚きを隠せないユゼフに対し、イザベラは得意気に言った。
「サチが発見したのよ。それとね、村に入るとき、襲って来るカルキノスをおとなしくさせたのもサチなの。あの蟹の化け物は、自分より強い者や知っている者には危害を加えないのよ」
呆然としているユゼフに気づいて、イザベラは咳払いした。
「話を元に戻すわね。壁を渡ってからは、メニンクスを張って魔国を移動した。ダモンに上空から調べさせて、パレルソンの位置もすぐにわかっていたし……」
「メニンクス? パレルソン?」
「ああ、ごめんなさい。ご存知ないわよね? メニンクスは膜を張る魔法のことよ。パレルソンは村の名前」
イザベラは息継ぎもせず、魔の国へ入ってからの経緯をベラベラと話した。普段のおしゃべりと変わらぬ雰囲気だ。
「パレルソンについてからは楽しかったわ。村の人は、みんな良くしてくれたし、物が足りなくて最初は大変だったけど、余ったグリンデル水晶が結構いい値で売れて……」
「悪いが……」
ユゼフは、とりとめのないおしゃべりを中断させた。
「話の要点が知りたい。どういう目的で俺に声をかけたのか、この城のことやイアンのことを教えてほしい」
イザベラはポカンとして、口の動きを止めた。
「質問が悪かったか? では、イアンと君の関係について教えてほしい」
「……イアンと私の関係!?……失礼ね! わたしとイアンは何でもないわよ!」
「君は人質のはずでは?」
「父はもう死んでいて、人質としての値打ちはないわ」
「でも、クレマンティ宰相はイアンたちによって……」
「父に対して愛情はもともとないの。わたしは一人娘だから、父が亡くなったことによって、家を継がねばならないのが重荷ではあるけれど」
「それにしたって、イアンに従う義理はないはずだ」
「従う? わたし、イアンになんか従ってないわよ?」
「じゃあ、どうしてこんな所までついて来た?」
「……わたしのことは、どうでもいいじゃない」
イザベラは急に歯切れが悪くなった。
「どうでもよくない。君がどうしてイアンについて来たのか、理由がわからなければ、信用することはできない」
イザベラは困った顔で、少し考えた。
「……ニーケ様をお守りするためよ。そう、そうなの! ニーケ様の付き添いで、イアンについて来たんだったわ!」
「ニーケ様……末の王子殿下のことか?」
「そう」
「人質なのにイアンに協力するのは、なぜだ?」
「イアンに協力?……わたしは、あなたに聞きたいことがあるから、わざわざこうやって出向いたの。どうでもいいことはもう聞かないで。時間がないんだから」
一方的に話し始めて、質問はするなと言う。ユゼフは肩をすくめるしかなかった。
「あなた、サチ・ジーンニアと仲が良かったわよね? 友達を救いたい気はある?」
不意打ちとも言えるその言葉にユゼフは固まった。
「イエスかノーで答えて。質問はなしよ」
その時、広間の外、回廊の辺りからダモンの騒々しい鳴き声が聞こえた。
イザベラはすばやくステンドグラスを外したところへと、体を滑り込ませる。そして、ガラスをはめ込むまえに、顔を出して急かした。
ユゼフは声を出さず、唇だけ動かして「イエスだ」と。




