96話 使者
日が昇らないため、淡い自然光が差し込んでいる。視界に靄がかかったみたいにぼんやりしていた。薄暗い天幕内にて、ユゼフはあくびをした。
朝早く、城へ向かうエリザは化粧をしている。湯浴みに洗髪。焦げ茶色の髪は綺麗に編み込まれる。このおめかしを手伝ってくれたのはライラだ。村で唯一の生き残り。紫色の瞳と髪を持つ美しい娘である。
「変じゃないかな? 大丈夫?」
エリザは不安そうに尋ねる。
甲冑を着ていても、今日のエリザは女らしい。集まった盗賊たちの視線が色を帯びているのは、気のせいではないだろう。むさ苦しい男所帯では、女の出す色香が余計に濃く感じられる。ユゼフは盗賊たちの視線からエリザを守りたくなった。
いつもの元気で飾らない姿も、もちろん愛おしい。だが、格別な魅力に惹きつけられる。
「大丈夫。かわいい」
ライラに言われ、エリザは微笑んだ。不揃いな歯が見えると、やっぱりエリザだなぁ──とユゼフはホッとする。
あと三十分で約束の九時になる。
村に着いて、丸一日が過ぎた。今はバルバソフの天幕で、エリザを送り出すまえの打ち合わせ中だ。
ユゼフはバルバソフの横に立ち、小綺麗にされたエリザを見守った。
中央にバルバソフが座り、左右にユゼフとアスター、正面にエリザとライラが立っている。他の盗賊はユゼフたちを取り囲み、様子をうかがっていた。
──しかし、眠い
ユゼフは口に手を当て、何度目かになるあくびを堪えた。緊張やら後悔やら、心配やらで一睡もできなかったのだ。
昨晩、エリザはライラと同じ天幕で過ごした。当然、誤解を解くこともできず、わだかまりが残ったままである。危地へ向かう恋人に、ユゼフは気持ちを伝えることすらできやしない。止められなかったことを、悔やんでもいた。
そして、ユゼフと同様、女性に優しい言葉をかけられない武骨者もいる。
アスターが口を開いて何か言おうとしたので、エリザは手をパーにして止めた。勘がいい。
「オッサンは何も言うなよ! どうせ、ムカつくことを言うに決まってんだから!」
「まだ何も言っていないのに、ひねくれた娘だな? さっき言われたことをちゃんと覚えているか? 間違いなく、滞りなくできるか?」
「わかってるよ! くどい! 城に着いたら、白旗を掲げて大きな声で名乗りを上げる」
「門塔から番人が顔を出したら、だ。そのまえに振り鈴を鳴らすんだ。ほら、忘れてるではないか」
「はいはい、わかった、わかった!」
エリザは鬱陶しそうに答えた。エリザにとって、アスターは口うるさいおじさん。アスターは男に慕われても、女には嫌われるタイプなのかもしれない。
説教臭いアスターに対し、バルバソフは適当だ。最初から面倒なやり取りを省いて突入したいし、早く終わらせたいのだろう。投げやりに言う。
「女好きの奴みたいだから、ニコニコ愛嬌振りまいとけばいいんだよ」
「おまえ、緊張で顔が強張ってるぞ? もっと自然にしろ」
ふたたびアスター。バルバソフも、
「そうだ、笑え。笑ったほうが、かわいい」
「礼儀作法はちゃんとわきまえているな? 相手は有名な馬鹿だが、一応名家の嫡男だ。不作法を働くなよ?」
「……もう、みんなうるさいな」
エリザはウンザリした顔で肩をすくめた。暑苦しい髭親父にしつこくダメ出しされるのだから、無理もない。クソ親父にクソガキ……
アスターの横にいるレーベがユゼフを睨んでくる。あくびばかりしているのを咎めたいのだろう。エリザの一大事に不謹慎だと、そもそもおまえのせいで、こうなったのだと──
クソガキはエリザに横恋慕しており、ユゼフを目の敵にしている。思ったとおり、
「嫌なら行かなくてもいいんですよ。ぼくたちはもともと、無関係なんですから」
こんな身も蓋もないことを言い出す。レーベの言葉に焦ったのはアスターだ。
「おいおい、今さらやめるとか言うなよ? 相手に約束を取りつけてるんだからな?」
「じゃ、今からでも断ればいいでしょうが」
「約束事の解除を簡単にしてはいかん。約束は守ることを前提にするものだ。大人になるまでには、こういう常識を身に付けねばならぬぞ?」
「盗賊に寄生して、甘い汁を吸おうとしている人が常識とか……? なに言ってんだか……アスターさんみたいに、おもしろ半分でここまでついて来た人とは違うんですよ」
「おもしろ半分て、おまえ……」
迂闊にもプッと吹き出しそうになり、ユゼフは口を曲げた。傍目からは、しかめっ面に見えるだろう。
エリザがアスターとレーベの間に割って入った。
「言い争いはしなくていい。アタシは大丈夫だ。引き受けたからには、ちゃんと最後までやる!」
はっきり言い切ったエリザは、健気だった。青灰色の瞳が輝きを増している。強い意志の表明にはハッとさせられる。
子分の一人がバルバソフに耳打ちをした。
「そろそろ時間だぞ!」
バルバソフは膝を叩いて急かした。エリザの気が変わるまえに、さっさと送り出したいようだ。
いよいよ──とうとう来てしまった。あどけない少女はユゼフのため、その身を捧げる。イアンと魔物が待つ城へ、エリザは行ってしまう……ユゼフは感情に追い立てられ、言を発した。
「ちょっと待ってくれ」
手を上げたユゼフにバルバソフは顎をしゃくる。早く済ますよう促した。ユゼフはエリザに向き直った。
「なるべく余計なことは言わないように。こちらの情報はあまり知られたくない。俺たちの人数、武装や編成に関することは、いっさい口にするな。それと言葉遣いと立ち居振る舞いにも気をつけろ。貴族の娘らしく、礼儀正しく上品に振る舞うんだ。何がきっかけで怒るか、わからないからな……」
昨日のライラとの一件以来、エリザと話すのは初めてである。ユゼフは至って冷静に注意点を伝えた。
敵地へ一人で乗り込む恋人に対し、「愛してる」とか「本当は行ってほしくない」といった素直な気持ちの吐露ができなかった。寂しそうにうなずく彼女を見て、胸が痛くなる。見つめ合ったまま、エリザはユゼフのほうへ手を伸ばそうとした。
しかし、小さな紅い指先はユゼフまで届かない。怒気を発したレーベに邪魔をされた。
「エリザさん、もう行きましょう。ぼくがついて行きます」
「おい、まだ話は……」
「もういいでしょ? どうせ、ああしろ、こうしろと言うだけなんだから」
レーベはエリザの腕を引っ張った。エリザの視線はユゼフからバルバソフへ。バルバソフは首肯し、ライラにも目で合図する。エリザはレーベ、ライラと共に外へ出て行った。
「ん? レーベ? まさか、一緒に行くつもりじゃあるまいな?」
アスターが慌ててあとを追う。この数日で情が移ってしまったのか。まるで保護者のようだ。
天幕の外では、供をするために盗賊が二人待っている。アスターがレーベと言い合う声が中まで流れてきた。
「供をするのは他の者だ。危険だから、おまえは行かんでよろしい」
「いやです。ぼくはついて行く!」
「わがままを言うんじゃない!」
子供には危険過ぎる。アスターが止めるのは当然だが、レーベは頑なだった。大人を嘲る生意気な子に言葉で言い聞かせるのは不可能だ。ユゼフはアスターがレーベを打つと思った。
ところが、意外なことにアスターはすんなり引き下がった。
一方的な力で威圧しても反発を強める。それぐらいのことは学んだのか。
「わかった。私がレーベと一緒に行こう。おまえたちは残ってバルバソフに伝えろ」
アスターの落ち着いた声が聞こえてきた。どうやら待っていた供の者には残ってもらい、自ら付き添うことにしたらしい。ユゼフは胸をなで下ろした。周りを見ると、盗賊たちも同じく溜め息を吐いている。顔を見合わせて笑う者もいる。情が移ったのはアスターだけではなかった。
レーベ視点↓↓
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