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第八章.エトワール殺人事件

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89.悲しみの果て

 馬車に揺られながら、ジョゼは夢を見た。


 アナイスが娼館に帰って来た時の夢を──




 アナイスはリロンデルの中でも一番にパトロンの貴族を捕まえ、水揚げされた娼婦であった。


 当時、娼館の主マレーネは快く送り出したが──数年後のある日、アナイスは幼い息子を連れ、泣きながら帰って来た。


 アナイスは上顧客だったとある伯爵の妾となったが、彼が死に、爵位がその弟に移ったのをきっかけに冷遇され、住まいを没収されてしまったのである。


 一度は羽ばたいたものの、アクシデントに見舞われ結局羽をむしられてしまったアナイス。


 そんな出戻りのアナイスを抱き締め、何も知らない新入りの小さなジョゼは言った。


「どうした?腹でも痛いのか?」


 アナイスは更に咽び泣く。当時のジョゼは戸惑ったが、彼女はこう言った。


「ジョゼだって大変だったのに……ごめんね」


 アナイスはジョゼが戦災孤児であることを知っていた。異国の風貌のジョゼを見、マルクを取り上げられなかった幸運に気がついた彼女は、更にこう続けた。


「亡くした者を想っても、帰って来ない。一生を賭けて、まずここにあるものを愛し抜かなければね」


 その言葉は、ジョゼに新鮮な驚きを与えた。何もかも奪い去られても、逆風に耐えて来た人生を歩んでいるのは、自分だけではなかったのだ。


 一方まだ幼いマルクは、新しい環境と、いつもとは違う母の様子に困惑していた──


 いつの時代も、弱者だけが奪い取られ、足蹴にされるのだ。


 しかし生き抜く力は、どんな弱者でも持っている──


 ジョゼはうつむくマルクの手を握って言った。


「大丈夫だ、ここもいいところだぞ。腹は減っているか?何を食べようか……」




 誰かに肩を揺さぶられ、ジョゼは目を覚ました。


「おーい、ジョゼ。目を覚ませよ」


 眼前に見慣れた顔がある。アナイスの息子・マルクだ。彼がジョゼを揺すり起こしていたのだ。


「あ。マルク……」

「噂を聞いて飛んで来たんだよ!王立劇場で殺人事件だって?おっかないよなぁ」


 ジョゼはアナイスと共に馬車を降りた。アナイスは馬車から降りるなり、マルクをぎゅっと抱き締めた。


「心配だったのね?ママンはこの通り元気よ!」

「うえっ。やめろよ、こんな道端で……」


 少し反抗期の始まっているマルクを見て、ジョゼはくすくすと笑った。


「いいわね、家族って……」


 それに対しアナイスは、娼館の扉を開けながら、あっさりとこう言った。


「父親が生きていたら、もっと良かったんだけどね」


 その言葉に対しては、ジョゼも頷くしかなかった。


 がらんどうの娼館に、今日も黒服が照明をつける。


「何食べようか。私、お腹すいちゃった」

「僕、ピザ」

「まったく……マルクったら、隙あらばピザよね~」


 ジョゼは二人の会話を聞きながら、今日の事件を思い出しため息をつく。


「マルクは父親さえ死ななければ子爵になるかもしれなかったのよね……」

「?あら、まだそんなこと言ってるの?ジョゼ」


 アナイスはくすくすと笑って瓶ジュースを開け、めいめいのグラスにとくとくと注ぐ。


 ほかほかのピザが運ばれて来ると、三人でそれを頬張った。


 ずっと大切にして行きたい、永遠に続くかのような平穏な日常──


 マルクが尋ねた。


「で、実際のところ、どんな事件だったわけ?」


 アナイスは息子に教えた。エトワールを狙った事件だったこと、犯人はまだ少女だったこと──


 かくかくしかじかを聞いてから、マルクは「ふうん」と軽く言った。


「そんな手段でしかライバルを追い落とせないなら、その子はどこに行っても一段下で苛立ってるだけだと思うなぁ」


 子どもだてらに地位の乱高下に巻き込まれたことのあるマルクは、栄華など一瞬で崩れ去るし、また落ち切っても何かのタイミングで這い上がれることを知っていた。


 全ては母・アナイスと共に生き、見て、知ったことだ。


 アナイスは言った。


「コラリーも、そこまで追い詰められる前にもっと周りの人に相談して欲しかったわね。アンジェリーナ含め、ダンサーたちはみんなこの国でどうにか生き抜いて来たわけじゃない。私だって、伯爵の妾のひとりとしてマルクを産んで──彼が死んで伯爵家一同に石を投げられて別宅を追い出されても、地べた這いつくばって生きて来たわ。理想を余りにも高く設定しなければ、人生何とかなるものよ」


 エトワールには届かなかったダンサーのひとりとして、アナイスにはコラリーに対し様々な思いがあるようだ。


「それに、貴族に気に入られたからって一生安泰ってわけじゃないわよ。ジョゼも、そう思わない?」


 戦争孤児だったジョゼにも、言葉に出来ない思いがある。


 この国の女に選択肢は少ない。


 だから、男とそれに付随する邪魔者を攻撃しても意味がないのだということが理解できないぐらいに追い詰められてしまう者が現れるのだ。


 ジョゼは言った。


「本当は、女だって生き方は色々選べるはずなの。でも、世間や家族によって選択肢を狭められているから──あんなことをしでかしてしまうのよ。あんな事件が起こらないように、私がこの世界の仕組みを変えてみせるわ」


 アナイスは笑った。


「ジョゼ、かっこいい!」


 とはいえ──ジョゼの真の目的は変わっていない。


 あくまで彼女は「王への復讐」という個人的な理由で動いている。そこに国も巻き込まれてもらおう。


 世界を変える〝誰か〟を待っていたら絶対に出会えない。


 世界を変えられるのは、自分のみなのだから。


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ブレイブ文庫様より
2025.11.25〜発売 !
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[一言] またしても名言が生まれた( ˘ω˘ )
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