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第八章.エトワール殺人事件

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88.猫の爪痕

 ベルナールが渋々頷くと、ジョゼは言った。


「ヒントは〝猫の爪痕〟よ」


 ベルナールは苦虫を噛み潰したような顔になる。


「ならば……やはり犯人は猫!」

「ヤケを起こさないのっ。落ち着いて、よーく思い出して。猫の爪ってどんな形かしら?」

「どんなって……」


 ベルナールは憐れなアンジェリーヌを見下ろし、足や腕にある複数の傷を確認した。


「この遺体を見るに、平行で、かつ直線的な傷がついているな」

「それが何カ所もあるわね」

「そうだな。似たような傷が何カ所も……」


 そこまで呟き、ベルナールはハッと確信に満ちた顔になった。


「あっ……そういう傷か」

「理解した?」

「となると、彼女たちにまだ調べ足りない部分があるようだな」


 ベルナールは前へ出ると、踊り子四人に言った。


「そこの四人。ちょっと整列してくれ」


 四人は言われた通り、壁を背にして並んだ。ベルナールはまず、アナイスのコルセットを確認した。コルセットは革紐で縛り上げられている。


 次に、ベルトのトゥシューズを調べた。トウシューズは少し古びていて、先が裂けていた。


 更に、コラリーの櫛を調べた。銀製の櫛の先にはふわふわした絹の花が咲いていて、反対側は髪にしっかり刺さっている。


 最後に、ドゥーニーズの指輪を調べた。金で出来た指輪のようだ。


 ジョゼとベルナールは頷き合った。


「どうやら、俺は〝武器〟を見落としていたようだな」

「そういうこと」


 戸惑う四人に、ベルナールは告げた。


「犯人は、君だ──」




 指し示した先に、コラリーの顔がある。


「コラリー。君がエトワールを殺したんだ」


 それを聞くやコラリーは憮然とした。


「は?私が殺人を?そんなわけないじゃない!」


 ベルナールはひょいと手を差し出した。


「その櫛を寄越せ」


 コラリーはぐっと言葉を飲み込んで、その髪に差してある櫛を差し出した。


 ベルナールはそれを手にすると、アンジェリーヌの遺体についた爪痕の上にかざす。


「……間違いない。平行な櫛の歯の間隔が、ぴったりこの傷の形に沿っている」


 するとコラリーは叫んだ。


「何を言ってるのよ!それは猫の爪痕でしょう!?」


 ベルナールは反論することなく、少女の話を静かに聞く。


「櫛と爪痕の引っかき傷が同じ幅って……だからどうしたっていうのよ?本当にあなた、ヘッポコ刑事なのね!」


 するとベルナールは平然とこう言った。


「そこまで言うなら、その櫛を舐めてみろ」


 コラリーも、そばで見守っていたジョゼもぽかんとする。


「……はっ?」


 ベルナールは押し付けるように、取り上げた櫛を彼女の手に戻した。


「その櫛の歯を口に咥えてみろ。君がそれで死ななかったら、逮捕はしない」


 コラリーは青くなった。


「こ、これを……?」

「どうした?ただの櫛なんだろ。早くしろ」

「……!」


 コラリーの、櫛を持つ手が震え出す。ベルナールは更に言った。


「櫛の先に毒が塗ってあるはずだ。君は舞台の上で踊りながらすれ違いざまに何度もアンジェリーヌを引っかいて毒殺した。猫の引っ掻き傷に見せかけて……そうなんだろう?」


 舞台上の全員が固唾を飲んで彼女の挙動を見守っていた、その時だった。


「コラリー!」


 耐え切れず、舞台袖からコラリーの母が出て来たのだ。途端にコラリーの顔がひしゃげた。


「!ママン……」

「コラリー、その櫛を寄越しなさいっ」


 コラリーの母は娘から櫛を奪ってひざまずくと、命乞いをするようにベルナールにすがった。


「刑事さん!今から私がこれを口に入れますから……どうか娘だけは!」

「……なっ」

「娘は悪くない!私が悪いんです。私がコラリーを追い詰めたの……早く次のエトワールになれと……そうよ、私が犯人なんだわ!私がこの子にこの櫛を渡したのよ。だから、この子だけは助けて……お願い!」

「……」


 すると、周囲の警官が瞬時にコラリーの母を取り押さえた。櫛は舞台の床に落ち、コラリーは泣き叫んだ。


「ごめんなさい!私が殺しました!ママンは何も悪くない……だからママンを放して!!」


 コラリーの母親は娘の告白に気を失い、舞台から運び出された。


 コラリーはしゃがんで櫛を拾うと、静かに泣き出す。


「私が……自分の意思で、櫛に蛇の毒を塗りました……。アンジェリーヌを殺して、早く次のエトワールになりたくて。私のロッカーを今すぐ調べて下さい、毒が入ってます。ママンは何もしていません……!」


 震える少女の小さな肩に、大人の思惑が全て乗っけられた結果──いつかエトワールになれたかもしれない少女は、自らその可能性を潰してしまったのだ。


 コラリーは両脇を警察官に挟まれ、劇場を連れ出されて行った。


 踊り子たちはそれを見送りながら、自分もそうなったかもしれない未来を想像し、ぞっとする。


 優れたエトワールは優れている故に殺され、少女はエトワールを目指したために殺人犯になった。


 舞台上に、カルスタン男爵が上がって来る。


「……最悪のショーだったな」


 視線の先にはジョゼがいた。彼女は肩をすくめると、平然とこう言い放った。


「この国では、後ろ盾のない女は、美しさで男を釣るしか生きる方法はない。その考え方がこの劇団で先鋭化してしまった結果、このような最悪の事態を招いたのですよ、男爵」


 カルスタン男爵は静かに何か考えている──


「むう。確かに、パトロン制は危うい、か」

「男の気分に左右される生き方は、女を狂わせます。もっとダンサーたちの報酬を引き上げ、ある程度年功序列制にするなどの抜本的な構造改革が必要です」

「そうだな……考えてみるか」


 彼はジョゼを眺めると、にやりと笑った。


「随分議員らしくなってきたじゃねーか、ジョゼ。新聞で見たぜ、急進党の党員になったんだってな」

「あら、ご存知でしたのね」

「女の世界のことは、男にはよく分らん。議員にも女が必要だろう。今回のことで恩を買った。何かあったら言ってくれ、恩を返す」

「ふふふ。持ちつ持たれつ……ですね」


 アナイスがやって来る。


「今日も名探偵だったね、ジョゼ!」

「フフッ。まーねー」

「事件も解決したし、早く帰ろう。私にも毒がついてるかもしれないし……一刻も早くお風呂に入りたいのよ!」

「そうね。じゃあ、帰りましょうか」


 ジョゼとアナイスは待たせていた馬車に乗り、娼館へと帰って行った。

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