85.魅惑のエトワール
真っ白なチュチュから覗く、すらりとした白い足。更に真っ白なトゥシューズが舞台を駆け巡り、観客の視線を釘付けにする。
ジョゼは初めて観るバレエに興奮していた。
ここは王立劇場の観客席。アナイスに誘われ、ジョゼはバレエの観劇に来ていた。
舞台の中心にいるのは、エトワールのアンジェリーヌ。彼女も元々貧民街の出身だが、その身体能力の高さと美貌で何人のパトロンをも抱える稀有な踊り子だった。
アナイスは年増ということもあって、主役級からは外れているが準主役だ。しかし魅せる技は主役に負けず劣らず多彩である。オーケストラの生演奏に合わせ、彼女の足は高々と上がったり、かと思えば回ったり、駆けたりと常に忙しい。
そこから薄暗い観客席に目を移せば、女性客はほぼいない。
観客の殆どは男性だ。特に、特等席では鼻息荒い男たちが食い入るようにバレリーナの品定めをしている。ジョゼはそこにちらりと視線を向け、逆に男たちを品定めした。
そこは貴族や商家の男たちでひしめいている。娼館リロンデルでも馴染みの顔がちらほら見受けられた。
当然である。
このバレエ団──カルスタン・バレエ団も、娼館の一種なのだから。
午前の演目が終り、バレリーナたちが引き上げて行く。ジョゼも慌てて立ち上がった。
今日はアナイスのはからいで、カルスタン・バレエ団との交流会に呼ばれたのだ。
この交流会は、莫大な年会費を払わないと出入りできない特別な交流会だった。ジョゼが誘われたのは、このバレエ団の主催者であるカルスタン男爵のはからいによる。
演目のあと、舞台袖に引っ込んだ踊り子たちは、今度は莫大な年会費を払った高貴な男たちだけに裏側のしどけない姿を見せる。
つまりこれは、舞台裏の〝特別な〟追加演目なのである。
実のところ、ジョゼはその輪に入ることで顔を売っておきたい思惑があった。アナイスも、ジョゼを呼んでもっと金脈を広げる目論見があったに違いない。
ジョゼがいつもの黒いドレスを引きずりながら舞台裏に向かうと、ふと舞台袖に同じような黒いドレスをまとった女たちが控えているのに気がついた。
ショールをひっかけながら、踊りたてのアナイスがジョゼの元にやって来る。
「ジョゼ、来てくれたのね!」
「アナイス、とても素晴らしい踊りだったわ。ところで──」
ジョゼが黒いドレスたちの女に視線を送ると、彼女たちはそれに気づいて笑顔でこちらに手を振った。
「あの女性たちは……?」
「あ、紹介するねジョゼ。彼女たちは、さっきまで舞台後方で踊っていたバレリーナの保護者たち。娘の将来のために、つきっきりなの」
ジョゼは保護者たちに愛想笑いを返しながら、アナイスを見上げてふと笑う。
「ならばこの服では、私はまるでアナイスの保護者みたいね」
「あら。保護者でしょう?」
「……」
とはいえ、ジョゼは向こうにいる保護者達とは心の中で線を引いた。
彼女たちは、ステージ・ママというやつだ。自分たちの娘を舞台で踊らせ、娘をエサにして男たちの歓心を引いている。男は金持ちであればあるほどいい。彼らの寵愛を受けた娘のおこぼれで、どうにか自分も生活しようとしているのだ。〝娘の将来のため〟などとは口実で、自分の生活のために娘の若さを差し出しているだけに過ぎない。この国特有の、「親」という立場を利用して娘たちの青春を先回りして搾取してしまう行為を、遊牧民のジョゼは好まなかった。親離れし成熟した女が自分の意思でそういった稼業にありつくのは何とも思わないが、年端も行かない少女に親がそれしかやらせないのは、さすがのジョゼも「醜悪が過ぎる」と思う。
劇場の舞台裏には、続々と男たちが集まっていた。
舞台裏に引っ込んで来たバレリーナの少女たちは、懇意にしている男たちに色目を使いながら母の元に帰って来る。ステージ・ママは熱心に汗を拭いてやり、男たちと娘との仲を取り持つのである。
そんな中、エトワールのアンジェリーヌが戻って来た。
アンジェリーヌ目当ての男たちが、どっと彼女に押し寄せる。美しきエトワールはその黒い髪をほどいてかき上げて、めいいっぱい彼らに愛想を振りまく。それはまるで、彼女のパトロンの集いというよりは女神崇拝者の集会であった。
女のジョゼも、その色気には度肝を抜かれた。
「わっ……初めて近くで見た……きれいな人!」
「ジョゼ、あれが伝説のエトワール、アンジェリーヌだよ。二十歳で既にパトロンは二十人以上。その内十人を破産させたスーパースターで、うちの稼ぎ頭なの。どんなに若いバレリーナが束になったって敵わない、色目ではなく、踊りで観客を魅了する本物の踊り子よ」
「へー。高級娼婦も真っ青ね」
アンジェリーヌが男たちをどやどやと連れて控室へ引っ込んで行く。ふとジョゼが妙な圧力を感じて背後を振り返ると、そこには去り行くエトワールを恨みがましそうに見つめる幼きバレリーナと、そのステージ・ママたちが禍々しい炎を瞳の中にたぎらせていた。
その様子を眺め、ジョゼは呟いた。
「……ぞっとするわね」
ジョゼに同意するように、隣のアナイスは苦笑いで肩をすくめて見せた。




