74.幽霊騎士
ジョゼは夢を見た。
サラーナ草原で母の親族から馬を貰った夢を──
春になると、スレンは母の親族と共にサラーナ草原へ出るのが常だった。
父王は末娘のスレンには特に自由にさせていた。母親が妾と言うのもあるが、今思えば、彼は娘を通して各地のキャラバンの様子を聞きたがっていたようである。
スレンは5歳になったある日、母・ターニャから「あなたに贈り物があるの」と告げられた。
母の馬に乗せてもらい、半日ほどして小さなキャラバンに着くと、あるゲルに入るなり母は言った。
「ごめんください。いい馬がいると聞いて来たのだけれど」
スレンはびっくりした。ゲル内部にいた男が立ち上がり、うやうやしくターニャを案内する。スレンも付いて行った。
見せられた馬は葦毛でまだ小さく、腹に腹帯を巻かれていた。サラーナでは腹帯を巻いたり連れ歩かれるのを嫌がらない大人しい馬は乗り物にし、どうやっても暴れる馬は食用にしてしまう。
その大人しい馬は人間に寄り添いながら、大きな瞳でこちらをじっと見つめていた。
サラーナでは馬に名前を付ける風習はないが、スレンはこの葦毛の牝馬を「シロ」と呼んだ。彼女はとても大人しい馬で、人間をよく信頼し、よくなついた。
スレンは早速馬に乗せて貰った。
鞭でたたいてもまだぼうっとしているような、おっとりした馬だ。それがおかしくて、スレンは何度もシロに乗ったり降りたりした。水飲み場まで連れて行ったり、一緒に走ったり、世話をしたりもした。
しばらくそのキャラバンで世話になっていたが、母親族のキャラバンがやって来たので、二人と一頭は合流した。シロが新しい群れに馴染むまで、スレンはずっと一緒にいてあげた。母は「その馬は優しくて頭がいいから、王宮に持ち帰るといい」と言ってくれた。
シロはすっかり鞍が板についていた。小さなスレンは右へ左へ馬を誘導する。牝馬は特に不安がるので、自信を持って接するといいらしい。スレンはいつだって胸を張り、遊びの時も、水汲みの時も、その馬と一緒にいた。
馬が草原を駆ける音が懐かしい──
「ん?」
ジョゼは幸福な夢から目覚めた。周囲がざわついている。
ベッドから起き上がって窓の外を見に行くと、何やら牧場で黒っぽい馬が暴れているようだ。
「何かあったのかしら……」
目を凝らしてよく見ると、銀色の甲冑をまとった何者かが牧場を猛スピードで突っ切って行くところだった。
ジョゼは胸騒ぎがし、全く起きもしない娼婦たちを残して部屋を出る。
ジョゼが正面玄関に駆け降りて行く頃には、甲冑を乗せた馬は走り去ってしまっていた。マシューは慌てた様子で入って来て、玄関先でジョゼと鉢合わせた。
「大変だ大変……うわあっ!ジョゼ!!」
「ちょっと……やめてくださいマシュー様。人をオバケみたいに」
「アッ、失礼。マダム・ジョゼ……実はね、私たちは道中あいつに追いかけられていたんだ」
「えっ?あの甲冑に?」
「そうだ。まあ途中で追い抜かされはしたが、肝を冷やしたよ……」
マシューはブルブルと震えている。確かに、夜の移動中、突然甲冑騎士の乗った馬に追いかけられたら誰だって恐しかろう。
「妙に古めかしい甲冑だったな。骨董品のような……」
「マシュー様、お怪我などはございませんか?」
「お気遣いありがとう。しかし、あれは何だったんだ?」
確かに、誰の仕業であろう。マシューは真っ青になって言った。
「まさか、幽霊!?」
ジョゼは呆れたように笑った。
「幽霊なんているわけないじゃないですか!」
「そ、そうか?それならあいつは何者で、何のために私を追いかけて来たんだ?」
「マシュー様、誰かに恨まれるような心当たりなどは……」
「めちゃくちゃある。あり過ぎて誰だか見当もつかん。私を恨む生きた人間、恨みながら死んだ亡霊、どっちにしろ怖い!」
続いて、玄関へクラヴリー公爵が入って来た。
「お怪我はありませんでしたか?マシュー殿。優勝レース後のひと時がこんなことになってしまい、誠に申し訳ない」
「いや、いいんだ。あなたのせいではないし……こんな夜中に謎の騎士に追いかけられるなんて、誰も予想出来ないだろこんなこと」
使用人たちがランタンを片手に出て行って、牧場内を捜索し始めた。それを見送り、公爵はマシューに言う。
「……深夜で視界も悪いし、あのスピードでは今夜は見つからんだろうな」
「しかし……変な話だがいい馬でしたな。そこらへんの家で飼っている駄馬ではなく、軍馬にでも出来そうな素晴らしい馬だった」
「どこかのファームから脱走でもしたのでしょうか?」
「そうかもしれませんな。これ以降何かあっても嫌だから、早く警察に届け出ましょう。あれほどのいい馬だ。誰かが遺失物として捜索願を出しているに違いない」
ジョゼは男たちの会話を聞きながら、ふと例の馬の走りを思い出していた。
「ふーん。さっきの馬……走り方としては〝差す〟馬ってことね」
それに気づいた男二人は、彼女へ同時に顔を向ける。
「ん?差し馬だと?」
「走る馬を追い上げて、追い抜かして行ったんでしょう?」
「そうだけど……それが何だって言うんだ?」
ジョゼは何かが引っかかってじっと考えた。
「まあいいわ。幸い怪我人もなかったようだし、あとのことは警察に任せましょう」




