71.みんな大嫌い
ノールとヴィクトワールはしばし考え込んでから、互いに目配せし合う。
「ジョゼ様の言葉は綺麗ごとではありますが……言いたいことはよく分かります」
「そうね。あんなやつのためにわざわざ手を汚すこともないのよね、本来は……」
そうなのだ。
復讐における最大かつ最終手段は殺人である。
しかし殺人という罪をあえて犯さずとも、復讐方法は様々にある。
ジョゼは王政を終わらせ、自分達と同等の地位にまで王を引きずり下ろすという手段を選択した。それを完遂するためには下手をしたら百年ぐらいかかるかもしれないが、これは未来永劫続く正攻法だ。今の王を殺したところで王政は続いてしまう。ジョゼにとって、それでは復讐たり得ないのだった。
「ですから二人共。毒殺はもうやめて下さい」
「えー?いいところだったのにぃ」
「前も言ったわ。私、ノールを失いたくないの。ヴィクトワール様だってそう思いませんか?」
ヴィクトワールはそれを受け、じっと考え込む。ノールは王妃の顔を覗き込むと、冷や冷やと汗を流した。
「ヴィクトワール様……?」
「そうね……確かに、彼女を危険な目に遭わせるのはこちらも本意ではないわ」
「ヴィクトワール様!」
ノールは絶望の表情をして見せたが、ジョゼは何となく気づいていた。
今日、なぜ王妃がお茶会を開いたのか。
きっとこれもノールが王妃の背を押し、開かせたに違いないのだ。王から頼まれ探偵役をしたジョゼを巻き込み、アルバン被害者の会でも結成して仲間意識を持たせ、口封じをし、あわよくば毒殺仲間に引きずり込もうと画策したのだろう。
しかし王妃は別の目的で三人の顔合わせをしようと思ったのではないか。
そう、ただ単純に──ノールのお友達のジョゼとも仲良くなるために。
ヴィクトワールは続ける。
「ねえノール、私は確かに私とあなたを不幸にした陛下を殺したいと思ったわ。けれど、それはあなたを楽にしてあげたかったからなのよ。もし毒殺が失敗したら、確かにあなたが一番危険な目に遭うことになる」
「ヴィクトワール様……」
「そうよ。王妃が毒殺を画策したとバレないよう、王が私以外の近しい人間に罪をなすりつけることだってあるかもしれないわ。ジョゼの言う通り、そろそろ毒殺計画は一旦終了にした方がよさそうよ。大体、ジョゼと警察にはもうバレちゃってるわけですものね」
「……」
ノールは思い描いていたのとは違った方向へ話が転がって行ったことを悟り、口を尖らせた。
ジョゼはそんな二人を眺め、くすっと笑う。
「お二人共、仲がいいんですね」
ノールは意外な顔をしたが、ヴィクトワールの方は女神のように微笑んで頷いた。
「そうなの。ノールが愛妾として王宮に来るようになって、周囲は私たちを分離したがったけど、私は孤独だったから、ノールが出入りしてくれるようになってとっても嬉しかったの。彼女はとても教養があって、話していてとても楽しい人だったのよ。どちらもアルバンへの殺意があってそれで意気投合したけれど、今では何でも話し合える友人だわ。孤独だった私を救ってくれた、親友。だから、ジョゼにも是非とも会っておきたいなって思ったの」
一息でそう言ってのけ、王妃は「ね?」とノールを覗き込んだ。
ノールは静かに王妃の言葉を、悔やむように噛みしめている──
何かが丸く収まったような気がして、ジョゼは口を切った。
「だから、毒殺計画は今日でおしまい。今度は、お二人とも私に力を貸して欲しいの」
ノールとヴィクトワールは顔を上げた。王妃の方は複雑な表情になったので、ジョゼはちょっと弱気になる。
「ヴィクトワール様を無理にはお誘いしませんけれど……」
ヴィクトワールは少し悩んでから、首を横に振った。
「私は王政については、否定的に思っていないの。でも、参政権がないことには内心苛立っているわ。あからさまに〝女に決定権を与えない〟という国を挙げた意地悪にしか思えませんもの。この点ならば、私は陛下に働きかけ、協力することを惜しみません」
「……本当ですか!?」
「ええ。私はジョゼが議員になることを応援するわ」
これで事態は少し前進した。ジョゼは心からの笑顔を見せる。
(やったわ!王と王妃の尻尾を踏んづけながら政治活動を始めることが出来る……!)
これも神の導きであろう。暴走していた毒婦ノールも、王妃のエネルギーがジョゼに向けられたことで毒殺計画は「一旦休み」だ。
互いの未来を約束し合い、ジョゼとノールは王妃の別荘を出た。
ジョゼは馬車にノールと一緒に乗り、ノールの空馬車をついて来させる。
夕陽が落ちて行く窓を眺め、ノールは気だるげにサラーナ語で話し出した。
「あーあ。また殺せなかった……」
ジョゼは、それについては少し語気を荒げた。
「あなたねぇ、女官らしくちょっとは頭を働かせなさいよ。復讐で目の前が見えなくなってるのは分かるけど、失敗したらあなたがこの国で積み上げて来た全てが消え去るのよ」
ノールは子どもっぽく頬を膨らませる。
「スレン様ったら、保護者みたい」
「あなたこそ子どもすぎるわよ。嫌いなものにばかり目を向けていないで、もっと未来や希望を叶える足掛かりを積み上げて行くべきではないの?」
「嫌だスレン様ったら。私はあいつを殺せるなら死んだって構わないのに」
ジョゼはふと、アトスのことを思い出した。彼なら、すさんだノールを変えられないだろうか。
「多分、アトスならあなたを幸せにするために頑張ってくれるんじゃないかな」
ノールは目を丸くした。
「スレン様は、ルフォール農園にも行ったのね?」
「ええ。誰かさんのせいで、あの人思いっきり毒殺の嫌疑をかけられそうになってたから」
ノールはふんと鼻を鳴らした。
「彼は王族専用牧場に毒を寄越すのに都合が良さそうだから、会ってあげただけよ」
「……」
「彼はだいぶ私に熱を上げてるみたい。私のことを何も知らないくせにたくさん愛を囁いてくれるし、ひっきりなしにお金を恵んでくれるわ。本当に馬鹿みたいよね」
ジョゼはきっぱりと、サラーナ皇女の威厳を湛えて言った。
「差し伸べてくれる手を馬鹿にしたり、払ったりすることは、遊牧民の誇りに反するであろう」
ノールはハッとしてから、ぐっと息を呑む。
「……そんなこと言うなんて卑怯よ」
「どっちが他者に対して卑怯なのだ?よくよく考えよ」
「……」
ジョゼは再び一介の少女に戻って話を続けた。
「私はノールに優しい心を失って欲しくない。王の命なんかもうどうでもよくなって来たけど、ノールの瑞々しい心だけは何とか守りたいの。だって……あなたはサラーナ王国を再建したいのでしょう?私とずっといてくれるんでしょう?」
「……」
「もう危ない橋は渡らないで。私が何とかするから、協力して欲しいの」
ジョゼはノールの手をそっと取る。
ノールは苦悶の表情をしていた。
そして、それから二人はひとことも声を発することはなかった。
ジョゼは先に娼館前に降ろされた。ノールはさっさと馬車を乗り変えると、逃げるように走り去って行った。
ジョゼはうなだれながら、娼館へと足を踏み入れる。
「あっ、お帰りジョゼ!」
先に娼館へ着いていたアナイスが声をかけて来る。
「今日、ミシェルはバーへ歌謡ショーを開催しに行ったの。リゼットは舞台へ行ったわ。今日は私しかいなくて──」
彼女の声を聞いた瞬間、ジョゼはぽろぽろと涙を流した。
「……ジョゼ?」
ノールの家に「お帰り」と言ってくれる人はいるのだろうか。
「ああ、泣かないでジョゼ……一体何があったの?」
背高ノッポのアナイスは、小さなジョゼを肩口からぎゅっと抱き締めてくれる。
ジョゼは甘えるように泣き続けた。
やるせないのは、誰もが同じなのだ。晴らせない恨みや苦しみは誰もが持っている。それでも優しさを選択して接するべきだなどと、何と浅はかで傲慢な言葉を投げつけてしまったのだろうか。
一方、ノールは──
「お帰りなさいませ」
たくさんの使用人や執事に迎えられ、街外れの、王の用意した別荘へと帰っていた。ノールは無言でベッドに転がると、天井を見上げてひとりごちた。
「嫌いよ、みんな……大嫌い」




