6.刑事ベルナール
ジョゼはすっとんで行って、荒ぶるフレデリクをなだめた。
「フレデリク様……どうなさいました?」
「どうもこうもない!あの娼婦たちは泥棒だ!」
「……話がどうにも見えて来ませんね……詳しい話はこちらで」
「私の言うことが信じられないのか?とにかく警察を呼べと言ってるんだ!」
フレデリクはそう言うと、腹立ち紛れにジョゼの胸倉を掴む。その瞬間、セルジュが咄嗟に二人の間に割って入り、素早くその腕を下方にひねった。
「ぐっ!」
「それが議員の振る舞いか?女に手を上げるなど言語道断……議員の名を汚すな!」
ジョゼはそっと退き、千切れたボタンを拾う。ジョゼの薄いレースの胸元がぱっくりと開き、糸が所々飛び出してしまっている。ジョゼは眉を寄せ、悲しそうに胸元を見つめた。
「ああ……新しいドレスが」
セルジュはジョゼを観察して無事を確認してから、フレデリクを軽く突き放した。フレデリクは忌々しそうにこう宣言する。
「あの三人の内のどれかが、私の金の指輪を盗んだんだ!」
フロアは静まり返った。
「これは事件だぞ!いいか?御者を使いに走らせる。お前らは証人だ、一匹たりとも外へ出すな!」
全員が迷惑そうに顔をしかめる。商会の主のマシューがそれを眺め吐き捨てた。
「これだから貴族はよ……」
ジョゼは娼婦たちのいる二階へと上がって行く。三人はしょげた顔で主人を出迎えた。
「ねえ、みんな。何が起こったの?説明して」
「ジョゼェ……あんたもこの部屋を探して?フレデリク様は?」
「警察を呼ぶって息巻いてるわ」
リロンデルで一番長く働いているベテランのリゼットが疑問を呈した。
「どこかに落としただけだと思うけどね……それにしてもフレデリク様、何であんなに焦って出て行ったのかしら。いつもは何があろうと、もっと鷹揚に構えていらっしゃるのに」
アナイスが言う。
「あれは結婚指輪なの。だから、どこかに着けて行く用事でもあって早く見つけたいんじゃないかしら?確か裏側に、奥様と結婚した日にちが刻印されていたはずよ」
「事情は分からないけど、警察もこんなしょーもないことで呼び出されちゃたまったもんじゃないわよねぇ」
「でも貴族で議員だから、何だかんだ大ゴトにして来ようとするわよね、きっと」
階下から声が聞こえた。
「おーい!姉ちゃんたち、降りて来いよぉ!」
「フレデリクの馬鹿なんか放っておいて、こっちで口直ししようぜ!」
四人はどこか諦め顔で頷き合うと、階下へと降りて行った。フロアでは、マシューが客全員に大判振る舞いをしていた。
「嫌な客に当たったな。よし、全てを忘れるためにシャンパンを入れろ!」
ジョゼは周囲を見渡した。セルジュとフレデリクの姿が見えない。
しばらくすると、再びリロンデルの扉がギイと開いた。
扉の向こうには、フレデリクを羽交い絞めにしているセルジュと、見知った男がもうひとり立っていた。
栗色のウェーブがかった髪に、エメラルドの双眸。その整った顔の口元は気難しそうに、貝の口のごとくぴたりと閉じている。
ジョゼはしかめ面でその美男子を出迎えた。
「あら、ベルナール様……お久しぶりね」
その若い男は全く挨拶もせず、不愛想に彼女の眼前に警察手帳を掲げた。
「刑事部所属、ベルナール・ド・シモンだ。窃盗事件が発生したとのことなので、入らせてもらう」
三人の娼婦は彼の登場にキャー!と嬌声を上げる。
「ベルナール様が来たわよ!」
「あのイケボの自己紹介、聞いたの何回目かしら?」
「素敵!抱いて!」
ベルナールははしゃぐ女たちをぎろりと冷徹に睨んだ。そして数人の巡査を引き連れ、ギロチン部屋に入って行く。
フレデリクはセルジュの腕を振りほどき、ベルナールについて行った。ジョゼとセルジュは顔を見合わせつつその後を追う。
部屋に入るなり、ベルナールはため息を吐いた。
「またジョゼか……この町の事件現場には、必ずお前がいるな」
はぁ、とジョゼもわざとため息をついて見せた。
「みんなが呼び出すのよ?警察よりも私を、ね。あんまり警察が役に立たないものだから……」
「……必ずお前をしょっぴいてやるからな。娼館リロンデルで事件が発生した今がチャンスだ」
「あら、怖ーい」
セルジュは全く目を合わそうとしない二人を見比べながら、フレデリクの挙動に注意を払った。
ギロチン部屋の捜索が始まった。捜査員が床のクロスまで剥がし始め、ジョゼは言葉を失って佇んでいる。
「フレデリク様はどこで指輪を外しましたか?」
「この部屋……としか言いようがない。外した記憶すらない。もみくちゃになっていたものでな」
「……もしや娼婦が結託して?」
「あっ。そう言えば、あいつら妙なことを聞いて来るんだよ。最近国外へ行ったかどうかとか」
それに関してはセルジュの方が青くなる。ベルナールは忙しくメモを書きつけて行く。
「他に怪しい点は?」
「そういや、二階は貸し切りだったな。それに今日はいつもより極端に客が少ない」
「あえて客を入れなかった、と?」
「その可能性がある」
ジョゼが割って入った。
「二階を貸し切れと言ったのはフレデリク様でしょ?話を歪めないでください」
「そうだったか?まあともかく……私はあの指輪さえ見つかれば全てを許す。だから、あれだけは」
「許すだなんて……まるで人をはなから罪人みたいに!」
ジョゼが忌々し気に吐き捨て、ベルナールの視線がふとセルジュに向いた。
「……あなたは?」
「急進党議員のセルジュ・ド・バラデュールだ」
「部外者は立ち去っていただきたい」
「はあ……でも」
「何だ」
わけもなく威圧的に詰め寄られ、セルジュは少しむきになって答えた。
「フレデリク様は我を忘れると時に女性に暴力的になりますので、このように見張っています」
すると、それを聞いたベルナールは意外にも
「そういうことか。恥を晒す議員を生まないように、という配慮なのだな」
と納得の顔になった。セルジュは思わぬ反応にぽかんと口を開けたが
「警官たちも結構やらかしますものね」
とジョゼが言ったので、全てを理解した。ベルナールは「うるさい」と言ったきり、それから無駄話をすることはなかった。
結局その日、指輪は見つからなかった。
それからというものフレデリクはリロンデルに来なくなり、セルジュの目論見は完全に外れてしまった。フレデリクが娼館に行かないとなれば、この話は頓挫したということになる。
しかしその後、一同は最悪の形で彼と再会を果たすことになる。
あの〝金の指輪事件〟から一週間後の、ある晴れた日──
ジョゼはいつものように日課の新聞を読み始め、一面見出しに踊る文字を見て驚きに息が止まった。
〝フェドー議員の遺体を発見〟
〝鋭利な刃物で首を切り離された後、ルブトン川に流されたか〟




