64.ノールとアトス
ジョゼは思わぬ名前が飛び出し、慌てて返事をした。
「は、はい……!」
「彼女から君の話は聞いているよ。探偵ジョゼ……幾多の事件を解決して来たそうだね」
やはりこの件はノールが関わっていたのかと動揺したが、アトスは更に意外な言葉を口にする。
「私はノールのパトロンなんだ。あっちにとっては金蔓のひとりなんだろうが、私は彼女の気を引きたくてしょうがない。これも何かの縁だ。もしよろしければ、彼女のことについて教えてもらっても?」
ジョゼは予想外のことにドギマギし、更に考える。
「まあ、いいですけど……条件は、この毒草がどこからもたらされたものなのか明らかにすることです」
ジョゼはかまをかけたつもりだった。しかしアトスは構わず言う。
「使用人を問い詰めましょうか」
「いいえ。もうこの際だからはっきりと申し上げますわ。この花はノールがもたらしたものではないですか?」
アトスは眉をひそめると首を横に振った。
「ノールがここに来たことはない。私が彼女の家に行ったことはあるが……」
またしてもアテが外れ、ジョゼとベルナールは顔を見合わせた。
「犯人はノールじゃなさそうだな」
「……ノールの線が消えたとしても、真犯人を捜すだけよ」
王族専用牧場の従業員も怪しいが、この土地の使用人も怪しくなった。捜査で逆に犯人の範囲が広がってしまい、ジョゼは悩んだ。
しかし、そんな時。
「もう暗くなって来ました。もしよろしければ、皆様滞在なさいますか?一度、ジョゼさんとも話してみたいと思っていたところだったんです」
思わぬ申し出に、ジョゼの目がきらりと光った。
「まあ……何だか悪いですわ」
「よろしければ、そちらの刑事さんも」
「……ええ?」
明らかに嫌がったベルナールの足を、ジョゼは踵でふんづける。
「いっ……」
「はい、是非!」
「おいジョゼ……」
ジョゼは声を低くした。
「滞在中に何かヒントが見つかるかもしれないから泊まるべきだわ。探偵の勘よ」
「俺はひどい目に遭いそうな気がしている。刑事の勘だ」
「陛下から依頼を賜ったのは私よ」
「……」
簡単に口で負け、ベルナールは諸手を上げて降参のジェスチャーをした。
「話はまとまりましたか?客間へご案内します」
アトスの案内で二人は屋敷の中に入った。
そしてその玄関に飾られている花を見て、ジョゼは立ち止まる。
玄関の大きな花瓶に活けられていた花。
そこには紛れもない、あのマルバフジバカマが花開いていたのだ。
「……!?」
ジョゼは目を疑った。しかし、先程のアトスの言葉はこの一件で簡単に信用出来るとも感じた。
アトスは本当に、あの花の姿を知らないのだ。
「あの」
ジョゼは先を歩こうとするアトスを呼び止めた。
「この花は、どこから手に入れたものですか?」
すると彼はちょっと考えてから、恐ろしいことを口走る。
「それなら、王妃陛下から」
ジョゼはぞっとしながら──しかし被せ気味に言った。
「これがマルバフジバカマです」
振り返ったアトスが目を見開く。ベルナールは花に駆け寄った。
「これが……。確かに、飼料に入っていたものと同じ形だ」
「アトス様。花瓶から捨てた花も、飼料に混ぜていたと言うのですか?」
「先程も言ったが、私にはよく分からない。しかし確かに刈った雑草も屋敷内で飾られている花も、干し草と一緒にされていることは多かったかな」
ジョゼはじっと考え込む。それは、あえてやっているのだろうか。それともただ管理が杜撰なだけだろうか。
どちらにせよ、この花が王妃ヴィクトワールから贈られたことには間違いなさそうだ。とすると。
(事態は超面倒な方向へ転がって行きそうね……)
一体どういうつもりでヴィクトワールはこの花をアトスの農園に贈ったのだろうか。ジョゼが気にしたことに、アトスがすぐに明快な答えを出した。
「この花は、ヴィクトワール様の牧場で摘まれたものらしいんです。王宮を飾る花も、ヴィクトワール様の牧場で栽培しているんですよ。うちの農園と飼料の取引をしているので、こうして花を定期的にプレゼントして下さるんです」
ジョゼはくらくらして来た。この地域は牧場だらけで、日常的に互いに何かを分け合ったり融通したりしているのだ。物資のやりとりが増えるほど、問題は複雑化して行く。
「なるほど……この周辺にはヴィクトワール様の花牧場がある、ということなのですね?」
「はい。ここからちょっと遠いですが、フェザンディエの西にあります」
「そちらにも行かなくては……」
「明日になさったらどうです。もう日が沈みましたよ」
今回の捜査は、どこへ向かっても徒労感がひどい。
肩を落とすジョゼの背中を、ベルナールがぽんと励ますように軽く叩いた。




