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第六章.ノールの毒殺農園

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59.女官ノール

 今日もジョゼは夢を見る。


 サラーナ王宮で暮らしていた日々のことを──




 夢の中で目覚めると、そこは懐かしのサラーナ王宮だった。


 サラーナ草原の中央、キャラバンの踏み均した街道沿いにその王宮はあった。


 国民の殆どが遊牧民である。彼らは春夏秋は移動と放牧に勤しむが、冬になるとサラーナの町へ帰って来る。つまり、王宮周辺は冬以外は閑散としているのである。


 静かな王宮。その離れで、スレンは母・アマラと共に寝起きする。


 兄弟にも序列があり、スレンは一番下級の子であった。サラーナ王である父・バトゥは他国から人質の代わりとして嫁を貰っているような状況にあり、他国の嫁の力関係で序列が決まっていた。スレンは唯一平民の子であり最も格下ではあったが、そのためにバトゥや平民出身の女官にはたいそう可愛がられていた。


 女官ノールはスレン専属のお世話係であった。サラーナでは土着の宗教観から高貴な者は顔と足が汚れないとされており、そのため女官が何くれとなく世話を焼いてくれるのである。


 ノールは長年サラーナの大学教育を担って来た教授一家の長女である。


 彼女もまた遊牧民だったが、スレンが誕生したことで親元から引き離され、王宮付きの女官となった。女官になるのは大変な名誉であった。親族郎党がそれで一生食べて行けるほどの給金を得ることが出来たからである。女が得られる仕事としては、妃に次ぐ高貴な職業であった。


 スレンは細かな刺繍のぎっしり入った絹衣をノールに着せられ、運ばれて来た食事を堪能すると、いつも日課のようにまずは王宮の書物庫へ連れられて行った。書物庫の番人がノールの祖父だったからだろう。スレンはそこで最上級の教育を受けることが出来た。


 書物庫には棚が無く、全て積み上げられていた。サラーナには「地震」という言葉も概念もない。積み上がったものは何千年も同じ位置にあった。サラーナの紙は水草から出来ている丈夫なもので、風化することは稀だった。ノールの祖父は、そこでずっと大昔の書物を書写し続ける役目を担っていた。古い書物を新しく書き換え、サラーナの歴史や教養を維持し続けるのが書物庫番の仕事だった。


 スレンはノールと書物を読み合って、読書トークをした。それが最高に楽しくて、その生活がずっと続くものとばかり思っていた。


 それなのに──




 ある日、突如砲撃が始まった。国境をわずかに接するトランレーヌからの、宣戦布告も無しの一方的な砲撃である。


 王宮はめちゃめちゃに壊され、女官や子供たちは逃げ惑った。男たちは騎馬隊を組んで即時に反撃を開始し、残りの女達は砲撃手として守りに入ることとなった。スレンの母は、偶然にも遊牧民の親族の元へ出かけていて不在だった。


「スレン様!」


 ノールが小さなスレンの手を取り、神に祈りを捧げるようにその手を自らの額に押しつけた。


「王族はこれからまとまって王宮を脱出なさるそうです。スレン様、どうかお気をつけて」


 これは今生の別れだ。スレンはその覚悟を抱いて言った。


「また会おう、ノール」

「スレン様……!」

「私はどこへ行っても、必ずノールを探し出す。必ず……!」


 二人の手が離れる。


 スレンは王族の騎馬隊の中に入れられ、国外脱出を試みた。しかしトランレーヌの砲撃は激しかった。鉄の雨が降って来たかのようにひとり倒れ、二人倒れた。隊は霧散し、小さなスレンはたったひとりで馬を走らせなくてはならなくなった。


 背後を振り返ることは出来なかった。


 声や地響きから、そちら側が地獄であることを知っていたから。




 夜になった。


 馬が全く歩かなくなってしまった。砲撃のショックと走り続けた疲れが一気に出て、へたりこんでしまったようだ。スレンは唯一の相棒と思い始めていた馬が動かなくなって、ショックを受けた。


 どうにか母の親戚がいるキャラバンに行こうと、スレンは自力で歩き始めた。しかし普段の不摂生がたたったらしく、すぐにへとへとになった。それでも朝晩と歩き続け、キャラバンが見え始めたと思った頃には草原が燃え始めており、その火がこちらまで迫っていた。


 川へ行こうと方向転換する。


 しかし川周辺には既に敵陣営が居座っていたので、そちらにも進めなくなってしまった。


 スレンは力が抜け、草原の獣道に横たわる。


(誰か……)


 スレンは心の中で叫んだ。


(誰か助けて……!)

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