56.ベルナールの恋
視線がからみ合ってしばらく夢うつつの中にいた二人だったが、ふと馬車の戸が激しく打ち鳴らされた。
「ここか?セルジュ!」
ベルナールの声だ。ジョゼは真っ赤になると、大慌てで向かいの席に飛び移った。
セルジュは憮然とする。
無遠慮に扉が開かれ、ベルナールが入って来た。
「取り込み中に悪いが、早く俺の靴を返せ。王宮内が騒がしくなっている。今は王宮警察が捜査しているようだが、我々下っ端も、呼び出されたらすぐに行かなくてはならない」
馬車の中で、セルジュとベルナールの靴が交換され、銃は刑事の胸に戻された。
ジョゼはそれを見て呟く。
「そっか。ベルナールの靴を履いて犯行に及べば、足跡で犯人を特定されることがない、とセルジュは考えたのね?」
セルジュは我に返ると、いつもの笑顔になって頷いた。
「弾が飛んで来た方を捜索されると、裏庭は土だらけだから靴跡が残って特定されてしまう。事件後はどうせベルナールがあの辺りを踏み荒らすだろうから、証拠を隠滅出来ると思ったんだ。ジョゼを抱いて歩いて来たのも、君の行き先が私の方向だと分からないように、だよ」
確かにベルナールの靴には土や泥がしっかりとついている。
セルジュの靴は、かかとが踏みつぶされてはいるものの綺麗なままだった。
セルジュと靴を交換しながらベルナールが言う。
「……セルジュのアリバイは、ジネットと口裏を合わせて作っておいた。セルジュはあの時間、俺たちと一緒に王宮にいたんだ。いいな?」
「分かった」
セルジュは笑顔でそう言ったが、ジョゼは少しもじもじしている。
「では、みんなで王宮へ戻ろう」
そう言ってベルナールが馬車に背を向けた時──ジョゼは意を決したように彼に言った。
「あの、ベルナール」
彼はジョゼを振り返る。
「何だ?」
「……ありがとう」
「礼には及ばない」
「あの」
「……?」
ジョゼは、あえて勝気に胸を張って言った。
「今夜、一緒に踊らない?友好のしるしに」
ベルナールはきょとんとしたが、ジョゼは構わず続けた。
「えー。何でそんな顔するのよ」
彼はすぐにこう返した。
「嫌じゃないのか?」
思わぬ問いかけに、ジョゼは面喰らう。
「嫌じゃないわ。散々憎まれ口を言い合った仲だけど、何だかんだ、私たちはお互い助け合って来たじゃない?」
「……まあな」
「あなたはセルジュと同じように、私のために危険を冒してくれたの。それに感謝の意を表したいと思うのは、当然でしょう」
セルジュがジョゼの背後で少し笑って言う。
「まだ閉会までに時間がある。行ってきたらどうだ、ベルナール」
ベルナールは少し照れ隠しをするように斜め上を見上げると、
「そこまで言うなら、しかたないか」
と言って馬車の前にうやうやしく片膝をついた。そして、手を差し出す。
「迎えに参りました、マダム・ジョゼ」
ジョゼはくすくすと笑うと、子どものごっこ遊びのようにその手を取った。
二人はそのまま王宮へ歩き出す。セルジュもその後ろをついて行った。
大広間では、まだ舞踏会が続けられていた。
ベルナールはジョゼの体を引き寄せると、セルジュよりスムーズに踊りに入る。
「あら、踊り慣れてるわね?ベルナール」
「……」
「今まで何人の女の子を泣かして来たのかしら」
「……」
ベルナールは少しぎこちないジョゼの足取りを静かに感じながら、彼女の耳元で囁いた。
「こっちが、泣いたことがないとでも?」
ジョゼは不思議そうにベルナールを見上げた。
「何よ……どういうこと?」
「俺はジョゼが思うほど、器用じゃないんだぞ」
「分かってるわよ推理下手のヘッポコ刑事さん」
「……そういう意味じゃなくてだな……」
ベルナールは、ジョゼの目をまっすぐ見つめて言った。
「ジョゼにもっと優しく出来ていたら俺の未来は変わっていたんじゃないかと……この数年ずっと、後悔している」
ジョゼはその告白を聞いた衝撃で、思わずステップをつんのめった。
ベルナールは慌ててジョゼを抱き止める。ジョゼは汗を拭いながら間一髪、ふんばった。
「ちょっ……急に何を言い出すのよ!」
ベルナールはちょっと微笑んでからジョゼの腰を引き寄せると、
「からかっただけだ」
と言う。ジョゼはそんな彼を訝し気に見上げたが、思いがけない光景に出くわしてくすりと笑う。
「ふふっ。からかったにしては、あなたの顔真っ赤なんだけど」
「……見るな」
「いいえ!その顔、しっかり目に焼き付けて帰るわ!」
「……」
「人間って、そんなに顔真っ赤に出来るんだぁ。へ~」
「見るなっ……頼むから……!」
踊り終えると、ジョゼはベルナールの手を引っ張って大広間を出た。
向かいのラウンジで、ワインを片手にセルジュが待っている。
「お帰りジョゼ」
「セルジュ、お待たせ!」
セルジュは最初は笑顔で彼女を迎えたが、ベルナールの顔を見るや少し憮然とする。
「ベルナール、どうした?顔真っ赤だぞ」
ジョゼが代わりに答えた。
「ベルナールったら、もっと私に優しくしときゃよかったって思ってるんだって!」
「……ふーん」
「おいっ。馬鹿正直に言う奴があるか!」
「だって、顔真っ赤にしてるのが面白かったんだもん」
「……」
セルジュはしばらく何事か考えていたが、ジョゼに肘を突き出すと、彼女は訓練された犬のように条件反射で彼の腕に手を通した。
ベルナールはそれを無言で見つめる。
その時、背後からジネットが歩いて来た。
「いたいた、ベルナール!陛下から呼び出しがかかってるわ、我々も現場に行きましょう」
「……ああ、そうだな」
王都警察の二人が歩き出したところで、ジョゼが言った。
「またね、ジネット。それに、ベルナール!」
ベルナールが後ろ髪を引かれるようにこちらを振り返った。
ジョゼは手を振って別れを告げる。セルジュはどこか寂し気なベルナールの背中を、真剣な眼差しでじっと見送っていた。




