47.裏社交界へ
裏社交界当日。
ジョゼが娼館でベルベットの箱から豪奢なイミテーション・チョーカーを取り出すと、隣で見ていたアナイスが感嘆した。
「わああ、面白いチョーカーね!」
「アナイス、これ、つけてくれる?」
「もちろん!」
シンプルな黒いドレスに身を包んだジョゼの首を、カラフルな色石のついたチョーカーが包む。
シャラシャラと金属の触れ合う音がして、カチリと留め具の音が鳴ると、ジョゼの心にもスイッチが入った。
今日が、勝負の日。
ジョゼが頬を固くしているのを横目に見て、アナイスは言った。
「それ、自分で買ったの?」
「いいえ。セルジュに贈られたものよ」
「ふーん……」
アナイスはニヤリと笑った。
「多分さ、ジョゼは陛下と仲良くなりに行こうとしてるんだよね?」
「ええ、まあ……そうね」
「地位の高い奴って意外とえげつないから、基本的にはセルジュと離れたら駄目だよ?私も経験あるけど、一回試されてポイなんてザラなんだからね。女は絶対に傷つかないように動かなきゃ。じゃないと、一生ものの傷を引きずって生きることになるよ」
娼婦の言葉は重い。ジョゼは少し上の空で頷くと、よたよたとフロアへ出て行った。
「あの子、大丈夫かしら……心配だわ」
事務室へミシェルが降りて来た。
「どうしたの?」
「何だか嫌な予感がするの。ジョゼったら、ずっとあの調子で上の空なのよ。一応、セルジュのそばを離れるなとは言ったんだけど……」
「あの子、自分の美しさに無自覚過ぎるのよね。あの子がここへ来た当時はマレーネがとんでもない上玉を買って来たって噂が街中を駆け巡って、客が大挙して来たもんだよ。結局、娼婦にはならなかったけどさ」
娼婦二人で悩んだところで、どうしようもないことだった。
「あの子を信じよう。それに、セルジュは元軍人だから大丈夫。困ったことがあっても、その目が届く内はきっと何とかしてくれるさ」
セルジュの馬車に乗り込んだジョゼは、緊張の面持ちで王宮へと向かう。
今日はセルジュもしっかりと燕尾服を着込んでいる。ジョゼは彼の見慣れない正装に一瞬どきっとしたが、別のどきどきに紛れてその感覚は夕空に逃げて行った。
そんな彼女をそっと覗き込み、セルジュは尋ねた。
「何でそんなに緊張してるんだ?」
「だ、だって……」
「きっと他にも知り合いがいるよ。私を含め、裏社交界には貴族も来てるんだから」
「そう?」
「自然体で大丈夫だよ。陛下が招待したって言うことは、君を招待したくなる理由があってのことだろうから」
ジョゼは難しい顔で考える。
王がジョゼを招待した理由は、一体……
夜の帳が下りる頃、二人は王宮に着いた。
馬車から降りると、そこには見たこともない煌びやかな世界が広がっている。
噂に聞く高級娼婦たちが、貴族よりも派手なドレスを着て馬車から次々下車していた。既に足元には金箔が降り注いでいる。ジョゼが月明かりに照らされたそれを娼婦たちの髪や肌にまぶしたものだと理解するのには、少し時間がかかった。とんでもないところに来てしまった、とジョゼは思った。
貴族の世界など何のその、娼婦たちは金を湯水のように投入し、流行の最先端を行っていた。横に広がるドレスは鳴りを潜め、締め付けの少ないスタイリッシュなドレスが夜会の主流である。その分、下半身のラインがしっかり出るので相当に体を美しく絞らなければならない。
(こんな化け物たちに交じって、王の視線を引き付けなければならないのか……)
ジョゼはセルジュの腕に手をかけると、王宮へと入って行った。
裏社交界の身分の上下はある意味で緩い。ジョゼもそうだが、既婚未婚何でもござれ、何もかもごった煮の状況だ。ここで目立つのは至難の業だろう。
セルジュが言った。
「予想出来ていたことだが、デビュタントの列がないな。裏社交界では初顔はどうしたらいいんだろう」
「ど、どうすればいい?」
「まあ、あちらから招待状が届いたぐらいだから、陛下の側がどうにかするだろう」
セルジュは真っ白な顔になっているジョゼをそっと見下ろした。
「あんまり緊張するようなら、酒を飲んでから踊ればいい」
「えっ。そんなんでいいの?」
「舞踏会っていうのは、ずっと踊っていなければならないわけじゃない。前も言ったが、基本は社交だからな。時には別の部屋で立食したり、劇や歌を催している場合もあるし」
「へぇー……」
「……本当に何も知らないんだな。いい機会だから、気になることがあれば私に何でも尋ねてくれ」
ジョゼは今日ほどセルジュを頼もしく思ったことはなかった。
受付を済ませると、セルジュがすぐにジョゼの手を引いた。
「酒を飲むなら早めにしてくれ。この地域の舞踏会は、未婚者が先に踊る習わしなんだ」
えっ、とジョゼから情けない声が出る。
「未婚者が、先……?」
「だから未婚者がずっと壁に貼りついていると、既婚者と高級娼婦の邪魔になる。さ、早く」
「何で未婚者が先なの?」
「未婚の男が未婚の女に声を掛けやすいように、または既婚者が未婚者に声をかけにくくするためだよ」
「はー、なるほどぉ」
初心者丸出しのジョゼの反応を見て、セルジュがくっくと声を押し殺すように笑う。
「いつもはジョゼに頭が上がらないから、今日みたいに教える立場なのは新鮮だな」
別の会場に行くと、軽食とワインが用意されていた。
「乾杯しよう、ジョゼ」
給仕係に渡されたワインを手に、二人は向かい合う。
グラスが重なり合うと、ジョゼは今までの思い出が一気に頭を駆け巡るのを感じた。
買われて、主を失って、娼婦たちと頑張って、セルジュと出会ってここまで来たこと──
ジョゼは赤ワインをあおると、セルジュの瞳を覗き込んだ。
彼も快く笑ってジョゼを見つめ返す。その男女の視線のやりとりが妙に現実的で、ジョゼの心拍数は急上昇した。
(今から踊るってことは、今からセルジュと密着するってこと……よね?)
ジョゼは今更ながら、急な恥ずかしさに襲われた。




