44.セルジュの秘密
セルジュは一番街の喫茶店に入り、苛立つ心を落ち着けていた。
父と再会したことで、子供の頃から受けて来た数々の仕打ちを芋づる式に思い出す。
どの兄弟も父に従い、父の期待に副う結果を出し、父の機嫌を損ねないように暮らして来た。損ねればどんな叱責や嫌がらせが待っているかも分からないからだ。そんな環境の中で、セルジュだけ怪我が災いして父の敷いたレールを外れざるを得なくなってしまった。あれは事故なのだが、ダヴィドは〝気がたるんでいた〟と彼を叱責したのだ。
(物事に〝絶対〟はないはずなのだが、父は自分の決めた〝絶対〟を子らに強いて来る。不運も事情もお構いなしに──それでいつも家族関係がこじれるのだ)
セルジュは歯噛みする。思えば、そもそもアルバン二世が異民族排斥を掲げ、侵略戦争を打ち出したのが間違いだったのだ。
あれのせいでセルジュはサラーナ軍の砲撃を受けることになり、大怪我を負った。
一方、遊牧民だったジョゼはこの戦争で親族を失い、娼館へ売りに出されたらしいとクロヴィスからは聞いている。
(六年前のことだから……ジョゼは十歳ぐらいか)
十歳の少女が虐殺の現場に居合わせたと言う悲劇。その地獄を見てから娼館で花開くまで、彼女はいくつの修羅場をくぐり抜けて来たのだろう。
(あの娘は強い。強すぎて……たまに、見ていて悲しくなる)
彼女は強かでなければ、殺されたり搾取されたりする環境にずっと身を置いて来たのだ。
セルジュはジョゼに対し元軍人を名乗ったが、どの戦争に行ったかは秘匿していた。直近でも三つの戦争があったので、どこの戦地でどのようなことをしたかまでは伝えていなかったのである。いつかそれが明らかになったら、きっと彼女は自分を頼っては来なくなるだろう。
(だから、もうちょっと……時間の許す限りあの子を見守って、一緒に)
その気持ちは、贖罪の意識から来るのだろうか?
それとも──
セルジュがぐちゃぐちゃの感情でやけくそ気味にパンを頬張っていると、ふと背後から声をかけられた。
「あのう……」
驚いて振り返ると、そこには見覚えのある少年が佇んでいる。
「きっ、君は……確かジョゼの城の……!」
「はい。マルクと申します。セルジュ様の馬車をお見かけしたのでやって参りました」
「何か用か?」
「はい。実はジョゼ様からセルジュ様宛のお手紙を預かっています。それがこれです」
セルジュの眼前に、封筒が突き付けられた。貴族のような流麗な字で、〝セルジュへ〟と書いてある。
彼はしげしげとその宛名を見て、少年に言った。
「ありがとう。もう行っていいよ」
「……セルジュ様」
「え?」
「それ、結構簡単な内容なので、今返事貰ってもいいですか?」
「……!」
なぜか内容を知っているらしい少年に背中を向けると、セルジュは急いで手紙を読んだ。
そこには衝撃の予定が書いてある。
「……ジョゼが、アルバン二世の裏社交界に招待された、だと?」
「はい。そこでジョゼ様はセルジュ様に同伴して欲しいそうなのです。が、何せジョゼ様は王宮に行ったことがないので不安がっておいでです。事前にマナーなどをレクチャーして欲しいとおっしゃっています」
手紙を受け取った時は少し身を固くしていたセルジュだったが、手紙をしまうと彼はほっとしたような笑顔を見せた。
「勿論行くよ。彼女に〝お誘いありがとう〟と伝えてくれ」
「かしこまりました。いつ頃ジョゼ様にお会い出来ますか?」
「3日の昼に娼館へ行くよ。その時に例の件について話し合おう」
「では、そのように伝えておきます」
マルクは去って行った。
セルジュはその手紙の美しい文字を指でなぞると、彼女の今までの努力を思って少し鼻をすする。
3日がやって来た。
ジョゼは外出着を着て、セルジュを待っていた。彼の助言によっては、小物も買い足す算段だ。
昼になると、ギイと扉が開いた。
セルジュがやって来る。
「あら、早かったのね。まだ昼前よ?」
セルジュはにっこりと微笑むと、
「時間はあるかい?話し合いも兼ねて、どこかに食べに行こう」
と言う。ジョゼは目を見開いた。
「あら、珍しい。デートのお誘い?」
「そう受け取ってもらって構わないよ。それにしても、意外と裏社交界への招待状を手にするのが早かったね、ジョゼ」
彼らが出会った時、話題に上ったあの〝裏社交界〟への扉がついに開かれたのだ。
「セルジュは社交界には行ったことがあるのよね?」
「あるよ」
「ふーん。その時一緒に行った女性は、誰だったの?」
セルジュは一瞬言葉に詰まったが、
「……当時の婚約者かな」
「へー」
「でも、破談になった。私が何の断りもなしに軍を辞めたことが、相手の親の気に入らなかったそうで」
「あらら……人生って色んなことがあるのね」
セルジュは何かを隠すようにはにかんでから、扉を大きく開けた。
「私の馬車で行こう。街中のカフェなんかどうかな」
「カフェなんて久しぶり!最近忙しくて、ちっとも外食する時間の余裕がなかったの」
するとセルジュはまるで社交界へ行く時のように、ジョゼに肘を差し出した。
ジョゼはくすくす笑ってその腕に手をかける。
初めて掴む彼の腕は、なぜか小刻みに震えていた。
「……震えてるの?セルジュ」
「左腕は、自由が利きにくいんだ」
「そうだった!戦争で大怪我したのよね」
ジョゼはその腕にしがみつくと、彼と共に街中へと歩いて行った。




