42.マレーネの病
今日もジョゼは夢を見る。
マレーネが倒れた日の夢を──
ドノヴァン男爵邸の応接間に使用人を集め、ピンクのドレスを着た小さなジョゼは宣言した。
「奥様を殺害した犯人は──ダミアンだ!」
ダミアンは猛烈に抗議した。
「このチビ、何を言ってやがる!あの時間、俺は風呂を沸かしていたんだ。大工見習のコームと一緒にな。だから工事中の水車小屋の近くに行って奥様を殺すだなんて、そんなことは出来るわけがねえ!」
するとジョゼは簡単に言った。
「虫駆除用の硫酸をダミアンが持ち出したとの証言があった。これを薄めて希硫酸にし、縄に塗っておけば、いずれ水分が蒸発し硫酸で縄が焼き切れる。ダミアンが風呂を沸かしている間に工事中の木材を束ねた縄が切れ、奥様は木材の下敷きになったのだ。これは事故に見せかけた殺人だろう」
「証拠はあるのかよ!」
「ある」
「何っ……!」
「風呂を沸かすかまどの辺りで、お前が何度も縄を燃やした形跡があったと、不審に思った召使の証言がある。何時間で焼き切れるのか、繰り返し実験していたようだな。それから、かまどの中の灰に恐らく硫酸が混じっているだろう。警察にはもう使いを出した」
「!」
少女の手際の良さに、男爵家一同は驚愕した。
かくしてダミアンは水車小屋に一時監禁され、警察の到着を待つこととなった。
ドノヴァン男爵がやって来る。
「ジョゼとやら、君はとんでもない女の子だね!」
「何、以前私も同じ方法で暗殺されかけた経験があったのだ」
「?」
「おっと……こちらの話だ。報酬をよこせ」
「ははは。本当にとんでもないね君は。約束通り、1000デニーやろう」
ジョゼは少女らしからぬ大金を手に入れた。娼婦の約三か月分の給料である。
(一回の事件解決で、こんなに)
ジョゼはうっすらと自分の夢のことを考えた。
(娼館の狭い部屋で暮らしていると、頭がおかしくなりそうだ。もっといい場所に住みたい)
そんな時、頭をかすめたのはルブトン川上流にあるフルニエ城のことだった。
(あの城はいくらだろう……)
そんなことをぼんやり考えていると、警察がやって来た。王都警視庁捜査員のお出ましである。
刑事が男爵に挨拶をしている。ジョゼが壁際にはりついてその面々を見上げていると、ひとりの捜査員の青年がこちらに向かって話しかけて来た。
「事件を解決した少女、というのはお前か?」
ジョゼはその鼻持ちならない青年を見上げて言った。
「そうだが」
すると彼はふんと鼻を鳴らし、
「余計なことをしてくれたもんだな。下手をしたら犠牲者が増えてしまう。事件は俺たちが解決するから、君のような女の子は家で大人しくしているべきなんだ」
と言い捨てる。ジョゼは笑顔で彼の顔を覗き込むと、挑戦的にこう言ってのけた。
「馬鹿め。お前たちが役に立たなかったから、私のようなオンナノコを呼ばなくてはならなくなったのだ」
青年はじっと少女を見下すと、ぶっきらぼうに告げた。
「俺はベルナール・ド・シモンだ。お前の名は?」
「ジョゼだ」
「ジョゼ、か……まあいい。せいぜい、事件に巻き込まれて死なないよう気をつけるんだな」
互いにふんと顔を背け、ジョゼは再び大金に視線を落とした。
(何を綺麗事を抜かしているんだ?……これだから貴族は)
妙に美しい面立ちの、印象的な青年であった。しかしジョゼはそんなことより札束の輝きに魅入られてしまった。
(こんな風に事件解決を繰り返せば、きっと一城の主になれる)
ジョゼにはサラーナ王朝の血が流れている。やはりここは父親譲りで、体中を地位への執念が駆け巡った。
(金の力でひざまずかせてやる。貴族の男を、そしていずれ王を)
ピンクのドレスを翻し、少女は颯爽と用意された馬車に乗り込む。
きっとマレーネが取り分を要求するだろう。いくら手に出来るのか、不安でもあるし楽しみでもある。
「ただいま戻りました」
娼館リロンデルに着くと、ジョゼはすぐに事務室へ向かった。金の話に置いて回り道しないことが、娼館の主の信頼を得る最良の方法だと彼女は心得ていた。
事務室の戸を叩く。
応答がない。
ジョゼは嫌な予感がして、すぐに扉を開けた。
そこには、床に倒れ込んでいるマレーネの姿があった。
「!!」
ジョゼはマレーネを助け起こした。彼女は辛そうに唸っている。
「大変だ……医者を!」
二階からリゼットが降りて来た。
「わっ、何か騒いでると思ったら……マレーネ?!」
「息が荒い。様子がおかしい」
「私、医者を呼んで来るよ!ジョゼ、マレーネをよろしくね」
「分かった」
マレーネが咳込んだので、ジョゼは背中をさすってやった。煙草を吸っている間に咳をする癖のあるマレーネだったが、今回は様子がおかしい。
「か……はっ」
再び苦しそうに咳をしたマレーネだったが、ジョゼはその姿を目の当たりにして刮目した。
口から、鮮血が吹き出している。
「マ、マレーネ……」
マレーネは目を覚ますと、気丈に微笑んで見せた。
「お帰り、ジョゼ」
「喋るんじゃない。今、医者を呼んで貰った。ベッドまで歩けるか?」
二人は支え合って二階へと進んだ。
ベッドに横になると、マレーネはうわごとのように呟く。
「私も、そろそろかねぇ……」
ジョゼの胸が、どくんと跳ねた。少女の懐に仕舞っている札束が、その感情を窮屈に押しとどめる。
「そんなことを言うな、マレーネ……」
「……」
「あなたは第二の母だ。私から母親を二度も奪わないでくれ……!」
「……」
マレーネの目が、力尽きたようにすうっと閉じる。
その瞬間、ジョゼは心に決めた。
フルニエ城に住もう。
マレーネの夢であった、〝娼館以外の場所での死〟を叶えよう。
そのためには、金策をせねばなるまい。
かくしてジョゼは、探偵の真似事をして稼ぐようになった。客が客を連れて来る循環が出来、いつしか手元に頭金が溜まった。
ジョゼは持ち主と交渉し、まずは賃貸契約を結んだ。二十年一定額を払い続ければ二十年後にジョゼのものとなるし、一気に全額を払えばそのまま買えるという契約だ。
ジョゼはフルニエ城の一室だけを豪奢にし、そこにマレーネを寝かせた。
医者によると、マレーネは結核を患っていた。他の娼婦たちに感染らないように、という配慮もあり、ジョゼはしばらく使用人を雇い、マレーネの介護に当たらせた。
それからは、長くなかった。
半年後。
ジョゼが十四歳になった次の日、マレーネは死んだ。
その日から、ジョゼは黒いドレス以外、着ることを辞めた。
葬儀はフルニエ城近隣の教会で執り行われた。娼館の客や関係者が押し寄せ、田舎町は一時急に騒がしくなった。
心のよりどころを失った小さなジョゼは、流されるままに喪主を務めた。気がつくと、がらんどうの城と数人の娼婦がジョゼの元に残された。
「ねえ、ジョゼ」
新人娼婦のアナイスが言った。
「あなたについて行くと言ったのは、この三名よ。あとの娘たちは、みんな別の娼館へ移るって」
殆どの娼婦が、子どもが娼館経営など出来るわけがない、と判断したのだろう。または、娼婦未経験の彼女を、密かに妬んでの行動なのかもしれなかった。
そこで再び、ジョゼの心に火がついた。
「リゼット、ミシェル、アナイス。ついて来てくれてありがとう」
ブラックドレスの少女は立ち上がった。
「私はお前たちの恩に報いる──お前たちを必ずや、世界で一番稼ぐ娼婦にしてやる」




