35.推理の狼煙
約束の18日がやって来た。
昼から娼館を開け、リゼットとジョゼは作家メリアスと編集者ブライアンとを待った。フロアに昼食の準備を整え、部屋も掃除し、準備は完璧だ。
少し遅れてメリアスたちはやって来た。
「こんにちは。……まあ!お食事のご用意までして下さったんですか!?」
「これはいつも娼館のフロアで出しているものです。食事の取材をどうぞ」
四人はワインを開け、乾杯をする。魚介のカナッペやハーブ入りチーズに舌鼓を打ち、ワイングラスにデザートのごとく盛られたトマトとパプリカのジュレを平らげた。
「ああ、素敵な前菜ね」
「普段、フルコースはお出ししてませんの。みなさんどれもおつまみとして単品で頼まれるのが常ですが、今日は特別です」
パスタの五種盛り合わせとパン、メインはチキンのマスタードソース。デザートに紅茶のシフォンケーキを食べると、メリアスはうっとりと天井を見上げた。
「ああ……これは確かに、オジサマたちも足しげく通ってしまうわね」
「意外と女性も連れられて来るんですよ。ですので食材にはこだわっています。お連れ様も虜にしようと、あらゆる手段でリピーターを増やそうと試みているの」
「ねえブライアン。また来ましょうよ、ここに」
「……誰が取材費用を出すと思ってるんですか?」
無邪気なメリアスにクスクスと笑うと、次にジョゼは彼女を各部屋に案内した。
最高級のシノワズリ風の部屋から、ギロチン部屋、お仕置き部屋、少女の寝室風の部屋、仕事場のような部屋、粗末な物置小屋。あらゆる舞台が娼館には用意されていた。メリアスは男たちがこういった部屋でどんな風にプレイするのか詳細に尋ね、またリゼットも詳細に答えたが、余りに赤裸々な話の内容に黒一点のブライアンはげっそりして行った。
メリアスを歓待したあとは、こちらの出番とばかりにリゼットの質問攻めが始まった。
相手はブライアンだ。
「ブライアン様に、ちょっとお聞きしたいんですけど」
「何ですか」
「最近の文学賞の傾向はどうなっておりますの?私も応募の身ですから、気になります」
ブライアンは簡単に言った。
「審査する作家の好み、下読みのセンス、編集者の勘。複雑な要素が絡み合って受賞者は決まります。ですから、受賞する方法は運としか言いようがない。成功の方法など存在しないのです。あるなら、編集者の私の方が教えて欲しいぐらいです。しかしながら──早々に落選するパターンというのは決まっています」
「へー。例えば?」
ブライアンは指折り教えた。
「伝わらない文章を書く。これは即落ちます。それから、迷いの多い、何を書きたいのか狙いが不明なお話。これも落ちます。最後に、意外と誰も心掛けていないのが〝サービス精神〟です。これがなければ、作品は商品たりえません」
「サービス精神……」
「読み手に楽しんでもらえるかどうかを心掛けている人は、下手でも伸びます。先のサロンでリゼット様のお話を高評価としたのは、その点が評価されたんですね。あなたは女優で娼婦ですから、息を吐くようにお客様にサービスすることが出来ます。その意識の延長で会話劇を書かれた。メリアス先生も私も、そこを高く買いました」
リゼットは喜びに身悶え、浮かれながら言った。
「文学は競争ではありませんから〝勝ち負け〟や〝上手下手〟に縛られると、いい作品は書けませんわね」
「おっしゃる通りです。文学賞では、誰かを楽しませた人間が勝ちます。しかし最近は各出版社で賞を増やし続けているため受賞者の数も増え、それに従い、敗者も増えてしまった。これは恐らく、今後悪い流れを作って行きそうな予感がしています。特に、貴族男性の作家志望者が危うい」
「……どういうことでしょうか?」
「彼らはお膳立てしてもらうのが当たり前で、負けることに慣れていません。そのくせ、全ての地位と仕事は自分が〝勝ち取った〟ものだと勘違いしています。その悪い癖が執筆においても影響してしまい、小説を書いて受賞することや誰かを出し抜いてデビューすることが彼らの至上命題になってしまっている。しかしそれが長年叶えられなくなると、どうなるか──」
ジョゼはごくりと喉を鳴らした。あの日、サロンで抱いた彼らへの違和感が胸によみがえる。
「勝者を妬み、出版社を恨むようになるんですよ。リゼット様がなぜか集中砲火を浴びたのも、これで説明がつきます。編集者や出版社に向けられる憎悪の視線を、私は以前にも増して感じるようになりました。文学サロンは作家志望者を高め合ういい機会だと思いますが、調子に乗って出入りし過ぎると別の問題に足を取られるような気がしますね。私も最近、乞われるままサロンに出るのを躊躇うようになっているのですよ」
空気が重くなって来たところで、リゼットは何かに気づいて黒服に網代編みの箱を持って来させた。
「……どうですか?ブライアン様も、一本」
「?じゃあ、お言葉に甘えて……」
リゼットは手慣れた様子でマッチを取り出して擦った。
ブライアンの紙煙草に火がつき、場が和むかと思われたその時──
「火事だー!!」
娼館の裏手で声がし、消防署の警報ベルがカーンカーンと鳴り出した。
しばらくすると、慌ててアナイスが降りて来る。
「大変だよジョゼ!四番街のアパルトマンが燃えてる!」
四番街は、リロンデルにほど近い住宅街だった。ジョゼは叫んだ。
「皆さん、避難しましょう。川岸まで逃げるのです」
娼館の従業員と作家と編集者は、バタバタと支度をすると娼館を出、ルブトン川までひた走った。
四番街から上がった大量の黒煙が空に溶け、異様な景色を形作っていた。




