34.有益な情報
「リゼット女史の〝籠の中の小鳥〟は、会話劇ですが素晴らしい出来でした。彼女は女優だそうですが、やはりこれは舞台の経験が大いに活きた台本だったと思います。厳しい貴族の家で囚われるような生活を送っていた主人公を、彼女に恋した騎士が助け出します。それは熱い恋というよりも、鮮やかな逃亡劇のようです。途中の〝実は彼女は幽霊〟という展開にはびっくりしましたが、騎士は〝彼女を愛せて良かった〟と、嘆くことなく夜空へ消えて行く彼女を見送ります。余韻があって、今後の二人の心情を想像してしまう点まで含め、良かったです。エンタメとしてはかなり完成度が高い作品と言えるのではないでしょうか」
リゼットが、ほわりと笑顔になる。ジョゼもつられてほわりと笑った。
「以上が、私からの講評になります。これらを踏まえて議論に移りたいと思います」
議論?とジョゼが訝しんでいると、バルナベが手を挙げた。
「〝籠の中の小鳥〟は、いささか少女文学が過ぎるのではありませんか?文学サロンに持ち込むにしては、ちょっとねぇ」
ジョゼが「おじさんに何が分かるのよ」と言いたい気持ちをぐっとこらえていると、リゼットではなく主催者のフィル伯爵が手を挙げた。
「はい。フィル伯爵、どうぞ」
「今回のサロンはカテゴリーなどは決めておらず、同人誌テーマは〝自由〟です。ジャンルを議論するつもりは毛頭ないので、そのつもりで参加していただきたい」
バルナベが言葉に詰まる。今度はレイモンが手を挙げた。
「言いたいことは分かる。幽霊というオチが安直過ぎますね。これを完成度が高いエンタメと評するのは、いささか乱暴かと思いますが」
すると編集者のブライアンが手を挙げた。
「えー。出版社側からすると、〝籠の中の小鳥〟は売れる作品であると判断します。安直というのは実はかなり大事な部分でして、言い換えれば〝分かりやすい〟作品であるということです。商業化を目指すのであれば、これぐらい分かりやすくして何の問題もありません。分かりにくさを有難がる読者など、まずいないことを前提にしていただきたい」
これに関しては全員ぐぬぬと歯ぎしりをする。編集者にその怨念めいた目線を送る彼らに、ジョゼの背中が一気に冷えた。
フロランがふんと鼻を鳴らす。
「だから最近の出版業界はダメだって言うんだよ」
その言葉に、なぜか会場の殆どが頷いている。単なる一読者のジョゼには、訳が分からなかった。
「俺も商業でやっていた身だけどね、読者の質がどんどん下がっているのを肌身に染みて分かっているんだ。出版社は売れ線や安直な方に決め打ちし過ぎて、文学をないがしろにしている。それで読者離れを起こしているんじゃないのかい?」
なぜかちらほらと拍手が巻き起こった。ブライアンは顔色ひとつ変えずこう返す。
「読者離れとおっしゃいましたが、ペンドリー出版全体としての収益は増えております。それから、読者の質という点ですが──つまりあなたの本が売れなくなったのは、読者の質が落ちたから、とお考えなのですか?」
それに関しては、フロランは黙ってしまう。ブライアンは続けた。
「読者層は時代と共に移り変わります。老人は死に、子どもは青年になる。そうやって常に動いているものなのです。なので、購買層に関しては質が落ちたのではなく〝変わった〟と捉えて下さい。変わったら、その購買層にどうやったら届けられるかを考えて書いて下さい。幸いこちらにはデータの蓄積がありますから、どうやったら届けられるかを皆様と一緒に考えて行けると思います」
ジョゼは「おや」と思った。ペンドリー出版の情報の蓄積があるのであれば、フロランの情報より遥かに信頼出来る──
アルセーヌが身を乗り出した。
「え!?その情報、我々にも教えていただけるのですか?」
ブライアンはこともなげに答えた。
「ええ。編集者は作品を作ることは出来ませんが、売れるジャンルや購買層の変遷などはお伝えすることが出来ます。出版社としましては売れる作家先生がたくさん出て来るのは大歓迎ですから、皆様が欲しい情報ならばいくらでも差し出しますよ」
先程フロランに情報の対価を支払ったアルセーヌは、がっくりと肩を落としている。ブライアンはその反応を見て何かに気づいたような表情をしたが、ビジネスライクにあえてそこには触れなかった。
リゼットがこちらに振り返る。
「ちょっとジョゼ!いいことを聞いたわ。あの編集者を娼館に呼ぶのよ!」
「えー?ここで聞きなさいよ」
「そうだわ。メリアス先生が取材に来る時にでも……!」
物書きというものは、常に情報に飢えているものらしい。だから文学サロンというものがあるのだろうが、ふとジョゼはサロン全体に漂う違和感に気づいた。
小説家志望たちは出版に恋しながらも、小説や出版社を恨んでいる──
特にフロランは、お株を奪われて顔を赤くしている。今日は儲け時と思ってやって来たのに、ブライアンのひと声で流れが一気に変わってしまった。プロ作家であるがゆえに厳しく評価され、プライドもへし折られたことだろう。
議論の時間が終ると、みな一斉にブライアンのところに押し寄せた。一方、ジョゼたちはメリアスに呼び寄せられ、ティータイムを楽しむ。
フロランはぽつんと部屋の隅で同人誌を読み返していた。
「何だか、みなさんすごい剣幕でしたね。文学サロンって魔境だわ」
ジョゼが本当のところを述べると、メリアスとリゼットが笑った。
「驚いたでしょう。作家連中って、みんな気が荒いの」
「もう、彼らはいつだって殺すか殺されるかなのよね。作品って、自分の命と同等だから。読書は命のやり取りと信じて疑わないのよ」
「〝これだから女は〟ってよく言われちゃうけど、創作は楽しまなくては駄目よ。そうじゃなければ、楽しみたい読者に届かないと思うの」
「メリアス先生、いいこと言う!」
女たちはケラケラと笑って、甘ったるい菓子をつまんだ。
メリアスが言う。
「そうだ、さっきブライアンとも話していたんだけど、18日の昼頃、そちらにお邪魔出来るかしら?取材を申し込みたいのだけれど」
ジョゼは快諾した。
「はい、大丈夫ですよ」
「部屋の中なんかを、見せてもらっても……?」
「もちろんです!」
その会話を、リゼットは目を輝かせて聞いている。
その時だった。
「これにて文学サロンはお開きになります。次回のサロンの同人誌テーマは〝推理〟です。あと、皆様に記念品がありますのでどうぞお持ち帰り下さい」
フィル伯爵が用意したのは、最近流行りの紙巻き煙草だった。ヘビースモーカーのリゼットは、オリエンタルな網代編の箱に入ったその煙草を愛おしそうに抱える。
「ふふっ。楽しかった~!」
屋敷を出て馬車に乗り込むと、ジョゼは感嘆した。
「フィル伯爵って、太っ腹ね。素人の同人誌を刷ってくれるわお土産をくれるわ……」
「あの方は、最近煙草加工業で儲けているらしいわよ。私が脚本家として成功したら、パトロンになってくれるかしら?」
「まーたリゼットの悪い癖が……色仕掛けで何でも上手く行くと思わないでよ?」
二人は娼館へと帰って行った。




