29.周到な偽装工作
部屋の中に、ジョゼへの落胆と失望の空気が漂う。パスカルはやれやれと首をすくめた。
「そんなわけあるかよ。やっぱ駄目だな、この女」
「あら、そうでしょうか。もし、自殺を他殺と勘違いさせることで、得をなさる方がここにいるとしても?」
すると、急に部屋の温度が上がったような気がした。ジョゼは全員をつぶさに観察すると、天井のシャンデリアを指さした。
「あそこに、シャンデリアをかけるフックがありますね」
全員が上を見上げた。
「そして、ここには取り外し可能な物干しロープが」
彼女が何を言いたいのか、全員が理解する。
「そして、椅子もあります。モーリス様は、ここにあるもので首を吊って死亡した。それを発見した犯人は強盗の他殺に見せかけるため、慌てて偽装工作に打って出たのです」
セルジュが気づいた。
「そうだ。首吊り遺体には、首に必ず使用した縄の跡がつく。犯人はそれで、わざわざ首へ傷をつけたんだ」
ジョゼは頷いた。
「そうです。でも──他殺と思わせるには、もっと強力な、すぐに見て分かる死因が必要だった」
「それで、銃を?」
「ええ。党本部を出て、庭先へ回り込み、首を吊った状態のモーリス様に狙いを定めて銃撃した。上手く当たったところでずぶ濡れのまま部屋に引き返し、遺体をロープから外す。そして首にロープの跡を発見した犯人は、慌ててガラスの破片でモーリス様の首周りを荒らしたのです。そして──」
ジョゼは問題の核心をついた。
「この暖炉で、テーブルの上に置いてあった遺書を燃やした」
すると、ベルナールがすぐさま暖炉を捜索した。その様子を見てパスカルが言う。
「そうは言ってもよ、あんなに真っ黒けなら完全に燃えて──」
「あら、そうかしら」
ジョゼは何かに気づいているらしく、微笑んだ。
「遺書って、必ず一通しか作成しないものでしょうか?そして……必ず紙に書くものでしょうか?」
ベルナールが煤で黒くなった顔を上げた。
「ジョゼ、お前……!」
「複製した二通目を、私はもう見つけました。皆様お気づきにならないの?」
議員と警官たちは、慌ててきょろきょろとかぶりを振った。
ジョゼはデスクを指さす。
「ほら、ここに」
近寄ってみると、確かにデスクにうっすら文字の跡が浮かび上がっている。
「!……これは」
「ここに座って遺書をしたためたのでしょう。筆圧で筆跡が残っていたのです」
「えーっと……何なに?」
ベルナールが燭台の光を当てて凹凸を読み上げようとした、その時だった。
「やめろおおおお!」
叫び声がして、ジョゼに飛び掛かって来たのはエンゾだった。
その瞬間、セルジュが横からタックルしてエンゾを床に伏せ倒す。
「ふぐっ!」
更に、警官らがエンゾに向かって銃を構えた。
ベルナールが読み上げる。
「私は義理の息子、エンゾに脅されている。脅されている理由は、ここには書けない。言われるまま保険金をかけたので、いつか事故を装ってあいつに殺されるだろう。私は殺される前に潔く死ぬ。保険金をかけてすぐの自死では、受取人に保険金が下りなくなるからだ。これで復讐を果たした。カロリーヌ、元気で。さようなら。モーリスより」
机に使用されていた木が柔らかかったようで、思ったよりしっかりと筆跡が確認出来た。
エンゾの胴に縄が巻かれて行く。
モーリスの首を縛り上げた、あの物干しロープで──
「ふざけんなよあのクソ義父!」
エンゾは力の限り叫んだ。
「こいつは麻薬カルテルから賄賂をもらってたんだ!脅されてるだなんて被害者面しやがってよぉ、本当は極悪人なんだぜ!」
急に親族の悪事の暴露が始まった。議員たちは深刻な顔で聞き入っている。
「保険金かけた途端、とっとと死ぬとは思わねーよ!俺に保険金を渡したくない一心で自殺、わざわざ党本部で!あーあ、上手く行くと思ったのに、あの馬鹿女が出しゃばって来るから!」
ジョゼは涼しい顔をして言った。
「あら。その馬鹿女に吠え面かかされた情けない男は、どこのどなたかしら?」
「てっ、てめー!」
「ごめんなさい。あいにく私、もうあなたのことなんて忘れてしまったみたい。あなたこそ死んだのよ……世間的にね」
エンゾは激高し、口汚く娼婦だの売女などと騒いでいたが、警官に一喝されると静かになった。
ジョゼはその背中を見送った。
「ふん……情けない男」
そう思うと同時に、
「警察も腐ってたけど、政治家もなかなかに腐ってるみたいね」
とも不満をこぼす。セルジュとクロヴィスは気まずそうに目配せし合った。
パスカルがジョゼに近づいて来る。
「遺書を見つけて自殺と仮定し、現場を構築し推理し直したのか。やるじゃん」
ジョゼは面倒そうに、手のひらを返した男へじっとりとした視線を投げかけた。
「そんな顔すんなよ。女だからって甘く見てたのは認める。だから驚いたんだよ……しかし凄い奴を見つけて来たな、クロヴィス殿」
ジョゼは「へ?」と首を傾げる。
「クロヴィス様が、私を……?」
クロヴィスと目が合う。彼はにっこりと微笑んだ。
「毒入りワインの話は聞いたよ。急進党内も一枚岩ではなく、様々な派閥があってね。君を引き入れようとする派閥がこの〝雑草派〟だ。君に毒を仕込んだのは恐らく〝王権派〟の一派だろうと踏んでいる」
ジョゼは首を傾げた。
「王権派……?」
「国王を崇拝する派閥だ」
「そんなものがあるんですね。まあ、強いものに付きたい気持ちは分かりますけど」
「私は正直、議員になるなら王権派なぞに所属するべきではないと思っているけどね。彼らは何のために議員をやっているのかすら理解していないんじゃないか?強者に取り入りたいだけなら政治家を目指すべきではない」
クロヴィスはそう言い切ると、ジョゼに手を差し出した。
「裏社会での君の評判はよく聞いていた。怖いもの知らずで強欲な異民族の女がいる、とね」
「ふふふ。誉め言葉として受け取っておきます」
「私もそれを〝中傷〟ではなく〝称賛〟として聞いていたんだ。皆、君をこう評しながらも、心の奥底ではなぜか応援してしまっているみたいなんだ。こういう人間は、政治に向いている」
「本当に?」
ジョゼは浮き足立ったが、セルジュからの何か言いたげな視線を感じて身を引き締める。
褒められている時ほど、危ないのだ。
雨が止み、朝焼けが顔を覗かせる。
庭では捜査員の手によって、泥の中から銃が掘り出されていた。




