25.それぞれの私情
急進党本部は貴族の別荘を改築したものだったらしく、小さな城ながら堅牢な造りであった。壁に絵画などはなく地味な印象だが、これは一時期この城が礼拝堂に転用されていた名残りなのであるという。
「この棟も昔は、シスターの寮だったようだ」
沢山部屋がある小さな棟には掃除夫がいて、ひと部屋ひと部屋を掃除している。
「あの部屋は未だに使われているの?」
「ああ。議員宿舎として使っているし、地方から出て来た党員を泊める時にも使っているよ」
ジョゼは党本部を歩きながら、その構造を頭に詰め込んで行く。
部屋には窓がひとつあって、その窓に沿うようにベッドが置かれていた。そのほかは暖炉と小さなデスクと椅子のみである。鏡や絵画などはなく、壁も石壁で壁紙がない。
天井にはシャンデリアを引っかける金具がある。部屋の壁の上部側面にも二箇所金具がついていて、洗濯物を干すためのロープが天井と平行に引っ張ってあった。クローゼットがないので、上着などはこのロープに引っ掛けて置くしかなさそうだ。
「いかにも男性用、って感じのお部屋ね」
「ああ、そうか。確かに女性議員がいないから、この城には鏡も洗面台も、備え付け家具もないな」
ジョゼは部屋に入ると、窓から外を見る。外には庭が広がっていたが、特に花は咲いておらず、木々が揺れるのみである。
「男性向けだから仕方ない……のかな」
そう呟くと、まるで呼応するようにガラス窓がドンと大きく揺れた。
「……!?」
「雨だ。かなり強くなって来たな」
「帰るまでに、止んでいればいいけど」
しかし、雨足はますます強まって行く。
歓迎されないジョゼの歓迎会は、大雨の中行われた。
幹部のクロヴィスを中心に据え、長テーブルに五人が座る。ジョゼはセルジュの隣に座った。
召使たちによって食事が運ばれて来る。
食事の祈りを捧げた後、クロヴィスが促した。
「ではジョゼ殿、自己紹介を」
ジョゼはこの時ばかりは愛想笑いを振りまいた。
「娼館〝リロンデル〟を経営しております、ジョゼと申します。セルジュ議員に説き伏せられ、急進党の党員になることにしました」
本当は〝急進党から攻撃されないように党員になった〟という裏事情があるのだが、それは伏せておいた。
エンゾがからかうように言う。
「おいおいセルジュ。お前、実はあれ以降この娘に入れ込んで、パトロンでも始めたんじゃないか?困るなあ、仕事に私情を持ち込まれちゃあ」
ジョゼは「まだそんなことを言うのか」と呆れたが、セルジュは平然とこう言い放った。
「だったら、どうだと言うんです?」
場が静まり、咳払いが漏れる。ジョゼは彼の言葉に驚いたが、セルジュは構わず続ける。
「あなたも今〝女に議席を盗られたら面目が立たない〟という私情を党内に持ち込んだではないですか。私はあのスパイ事件を解決した一件以降、彼女の度胸に惚れ込んでいます。どちらも同じ私情ですが──私の私情は、党の未来を拓き、党の利益になる私情です。あなたの、何も未来を生み出さない、つまらない私情とは全く違う」
エンゾが言葉に詰まり、クロヴィスが微笑む。更にセルジュは畳みかけた。
「あらぬ噂を作り出し、新参党員の足を引っ張るのはおやめ下さい。そのような行動はいずれ優秀な人材を逃すことに繋がります。いずれ我が国も、女性議員の道を拓く時が来ます。他国ではもうその流れが来ておりますから、女性議員誕生の未来は変えられないのです。エンゾ殿」
ジョゼは胸のすく思いがし、心の中で拍手を贈った。ちょっと頼りのないセルジュも、よく考えれば議員なのだ。相手を言葉で言い負かし、丸め込むプロなのであった。
しかし、そこに口を挟む者が現れる。
「無駄だな」
パスカルであった。
「そいつは娼婦だろう。女に選挙権が認められた時、果たして娼婦に票が流れるかねぇ?私には疑問だ。女の敵は女、という状況はいつだってあるし、男が娼婦に票を投じるとも思えんしな」
議員のくせに堂々と職業差別を繰り出して、平気な顔をしている。ジョゼは腹立ち紛れに言い返した。
「あら、娼婦の票が入るかもしれませんわ」
「……微々たるもんだろう」
「娼館のお客様が投票するかも」
「しないと思うが」
「なぜそう言い切れるのかしら……女性参政権のある他国で、娼婦に票が入らない事例でもあったのですか?」
するとパスカルは口ごもる。実は、他国で高級娼婦が当選した実例があったのだ。ジョゼは他国の新聞でそれを知っていたので、余裕の笑みを浮かべる。
「ゲルトナー国では、既に高級娼婦が当選した実績があります。去年の新聞にその記事が掲載されていたはずですが……パスカル様はご存知なかったのでしょうか?」
食前酒が運ばれて来たので、ジョゼはしゃべり疲れた喉にそれをくいと流し込んだ。モーリスは警戒して口を開かない。クロヴィスはそれをじっと眺め、手ごたえを得たかのように微笑んだ。
雨の音は最高潮のまま絶えず鳴り響き、屋敷を微細に揺らしている。
ジョゼは薄暗い部屋で、少し不安になる。これから帰るとなると、かなりの悪路を進まなければならない。
同じことを全員が考えていたようで、五人は轟音うなる天井を見上げた。
モーリスが言う。
「……クロヴィス殿、だいぶ雨が」
「そうだな。ここまでひどくなると、今日は泊まった方がいいかもしれん」
ジョゼは不安に思うが、隣でセルジュが囁いた。
「君も泊まった方がいい。ここまで雨脚が強いと、夜道は危ない」
「そうかしら……」
ジョゼは浮かない顔だ。男だらけのところに泊まるのはどうも不安だ。それに気づいてセルジュは付け加えた。
「私の隣の部屋に泊まるといい。何か困ったことがあれば呼んでくれ。すぐに駆け付けるよ」
ジョゼは大雨の夜道と男性のみの議員宿舎の危険性とを天秤にかける。
「うーん、じゃあ今日は泊まって行こうかしら……」
「分かった。掃除夫さんに、部屋を用意してもらうよう言っておくよ」




