19.茶会殺人事件
ジョゼはガレット缶を持ったまましばらく立ち尽くしていたが、急にバンと扉が開かれたので慌てて飛びのいた。
御者が、慌てて早馬を出したのだ。物凄い勢いで遠ざかって行く馬を見て、ジョゼは何かこの屋敷の中でただならぬことが起きていることを察知した。
黒々と口を開けた屋敷にジョゼは乗り込んで行く。警備が手薄過ぎる。耳をすませると、遠くで女の騒ぐような声が聞こえた。
麻袋を持って今まさに横をすり抜けようとした召使を捕まえ、ジョゼは尋ねる。
「こんにちは。私、この屋敷に招待されているミシェルの忘れ物を届けに来た、ジョゼと申します。あの。あなた、ミシェルがどこにいるか知らない?」
するとその召使はきょろきょろと周囲をはばかり、こう言った。
「今、ミシェル様の元へ行くべきではありません」
「まあ、どうしてかしら」
召使は麻袋を掲げた。
「お一方、食後に倒れてしまいました。この菓子が原因かもしれませんので、私は今からこれを捨てようと」
ジョゼはぎょっとして、そのまま去ろうとする召使を止めた。
「だめよ、そんなことしちゃ!そういったものこそ証拠になるから、現場にきちんと戻しておかないと!警察は呼んだの?」
召使はそれを聞き、ハッと我に返る。
「はい、先程、御者が医者と警察を呼びに行ったようです……」
「ちょっとそれを捨てるのは思いとどまって頂戴。現場に私を案内して。とにかく、証拠を洗ったり、捨てたりは厳禁!」
「はあ……」
ジョゼは召使を引き連れ、お茶会の催されている客間へと歩いて行く。
そこには、泣く女、青ざめる女、じっとしている女が騒然と混在していた。水浸しの青いドレスの女が床に転がされ、執事たちがその周囲で必死の介抱を繰り広げている。どうやら水を飲ませて毒となるものを吐かせようとしたようだ。病変の可能性もあるが、毒を食べさせられた場合のことを考えてこのようにしたのだろう。窒息の心配さえなければ、あながち間違った対応とも言えなくはない。
「……ミシェル?」
ジョゼが声をかけると、沈んだ表情で部屋の隅にいるミシェルが顔を上げた。
「あっ、ジョゼ!」
「忘れ物のガレット缶を持って来たわ。それにしても、大変なことになってるわね」
ミシェルは静かに青いドレスのデボラを見つめた。
「……多分、死んでる……よね」
ジョゼはそれについては黙った。妙なことを口走って、周囲を混乱させるようなことは避けなければならない。
「ミシェルは、大丈夫なの?」
「ん?ああ。あんまりお菓子を食べられなかったし、今のところ体に異常は感じないよ」
「そう……」
「だけど、不安だよぉ。もし本当に食べ物に毒があったとしたら、時間が経てば何か異常が出て来るかもしれないし……」
ジョゼは周囲を見渡した。
派手な女たちがいる。あれが招待客だろう。白いドレスの中年の女は、バルバラだ。以前オーブリー男爵に紹介されたことがあるので、よく覚えている。
ジョゼの姿を認めると、バルバラが小走りでやって来た。
「マダム・ジョゼ!お久しぶりです。それにしても、なぜここに……?」
「こんにちは奥様。ミシェルの忘れ物のガレットを届けに来たのですが……何やら大変なことになりましたね?」
「ええ。急にデボラ様が倒れてしまって……ご病気か、それとも……」
バルバラは言葉を濁した。同じ食品を食べた手前、招待客は平常心を保つのでいっぱいいっぱいになっている。
しばらくすると、デボラの体に赤い斑点が浮き出して来た。
ジョゼはそれを見つめ、最悪の状況を予感する。ジョゼは以前、似たような症状が現れた身内を知っているのだった。
そこに、ようやく医師が到着した。
医師はデボラの脈をはかり、瞳孔を確認し、斑点を観察すると静かにこう告げた。
「……残念ながら、お亡くなりになりました」
招待客たちから、小さな悲鳴が上がった。
医師は続ける。
「この症状は、毒を飲んだ可能性があります。速やかに警察を呼んでください。その間、皆様の診察をします。体に異常がある方は来てください」
招待客四名は、順に医師に体を診てもらったが、特に異常は見られなかった。
しかし、これで安心できないことをジョゼは知っていた。
毒物は、個人個人でその毒への耐性が違う。ある民族は平気だがある民族はすぐに致死量に達してしまうことだってある。地域の食文化や体の大きさやその日の健康状態によっても、その毒に耐えられるかどうかは変わって来る。ひとりだけが何もかもが悪い方に作用して、運悪く死んだとしか言えない可能性だってある。
しかし、現状の問題はそこではない。
「誰が毒を盛ったのよ!」
誰しも互いに配慮して言わなかったことを、真っ先に叫んだのはベレニスだった。彼女は手作りのクッキーを持ち込んでいるのだ。疑惑を持たれてはかなわない、とばかりにまくしたてる。
「そうよ、きっと紅茶に毒が入っていたんだわ!カサンドルが持って来た紅茶に!」
いきなり矛先の向いたカサンドルは、泣き出しそうな顔で反論した。
「手作りのクッキーが一番怪しいわ!それに毒を仕込むのが一番簡単じゃない!」
図星をさされたベレニスは、今度はクローデットに指を差した。
「何を関係なさそうに知らんぷりしてるのよ!あんただって怪しいわ!持って来た手土産の食器に毒をこっそり塗っておくことも可能じゃないの!」
クローデットは反論する。
「馬鹿言わないでよ。これはここに運んで来た時に召使が持って行って、使用前に一度洗ってるのよ?」
そして、彼女は続けた。
「バルバラ様だって怪しいわ。どの女も憎くてたまらないはずなのに、わざわざ家に招待したってのはどういうわけかしら?一番毒を盛るチャンスが多いのはあの方よ。あの方こそ怪しいわ」
バルバラは押し黙ってクローデットを睨んでいる。
四人の間に熾烈な火花が散った。
一方、何の土産も持って来なかったミシェルは完全に蚊帳の外になっていた。ジョゼと壁に寄りかかりながら囁き合う。
「なんだろう……手土産を持って来なくて正解だったみたいだな」
「運が良かったわね」
「しかし、誰が毒なんか入れたんだろうね?」
「あの症状はね、ヒ素が原因よ」
一瞬時が止まり、ミシェルが「え?」と聞き返した。
「ななな、何で分かるの!?」
「私、ヒ素中毒で死んだ人を見たことがあるの。殺鼠剤の中にもヒ素は入ってるし、割とどこでも手に入る毒なのよ。飲むと、体に赤い斑点が出るの」
「へ、へえ~」
「少量で死に至らせることが出来るから、誰が持ち込んでも目立ちにくいし、まだどこかに隠し持っていてもおかしくないわ」
そう言いながら、ジョゼは四人の女をじっくりと見比べた。
「赤いドレス、ピンクのドレス、緑のドレス、白のドレス……クッキー、紅茶、食器か……」
そして天井を見上げた後、黒いドレスのジョゼは言った。
「私……犯人、分かっちゃったかも」




