15.さよなら、ギロチン
その頃。
うらぶれた街道を、フレデリクはおんぼろ荷馬車でひたすらに走り続けていた。
農夫のような変装をして。
荷馬車には、〝リロンデル〟から盗んだ愛しのギロチンを乗せているのだ。
人買いたちが所有するギロチンは碌な手入れをされておらず、生臭いギロチンだった。あれとは共に国境を越える気にはならない。
フレデリクは馬に揺られながら、初めて自分の手でギロチンを落とした時の快感を思い出していた。
その瞬間、自分は幽霊になれた。
視点と意識を手に入れた、透明な存在に。
今思えば、誰かを殺すより自分が死にたかったのかもしれない。死に憧れていた。そうでなければ、スパイなどという刹那的な仕事などすぐに飽きていただろう。
貴族と言う立場上、怪しまれないので他国からスパイを打診されたのだ。最初は小遣い稼ぎのつもりだった。簡単に手に入るような小さい機密事項でも、売ればかなりの金が手に入ったのだ。しかし、調子に乗ってそれを続けて行く内に、結局のところ敵味方全方位から弱みを握られてしまった。あっという間に家族をも巻き込んで危険なスパイ行為に深入りせざるを得なくなってしまったのだ。
しかも、急進党がそれを嗅ぎつけて周辺をうろうろするようになった。トランレーヌではスパイ行為は最悪、死刑だ。早くゲルトナー国に入り、追手を巻かなくてはならない。
政略結婚とはいえ、妻には悪いことをした。
川から上がった遺体を夫であると証言してくれ、また水死体に結婚指輪をはめておくからそれを証拠にこの遺体は夫だと証言してくれ──と頼んだところ、妻は快く応じてくれた。まさか後日娼館でその指輪を失くすとは思いもよらなかったが、妻は大慌てで指輪のレプリカを作ってくれた。「家名を汚されたらたまらないから」と……。私の存在がこの国から消え失せることはどうでもいいらしい。あの感じだと、むしろ夫がいなくなってくれて清々しているのではないだろうか。
まあ、今になってはどうでもいいことだ。恐らく、別の国ではギロチンを手に入れることは出来ないだろう。これがあれば、また新しい土地で別の仕事が待っている。
フレデリクは己の不甲斐なさに少し笑って、娼館リロンデルのギロチンをちらりと見やる。
そうだ。これがあれば、私はまたいつだって「透明ごっこ」が出来る──
恍惚の中にいた、その時だった。
「あのう」
突如横から女の声がして──フレデリクは我に返った。
「……フレデリク様?」
その名を呼ぶのは──
「ジョゼ……!」
フレデリクは銃を取り出したが、それより早くジョゼは銃身を抜き彼の手目掛けて迷いなく発砲した。
ガン!
「ヒイッ」
余りにも正確に銃を撃ち落とされ、フレデリクは真っ青になる。更に、銃声を聞いた馬が危険を察知して暴れ始めた。
「うわあっ!」
フレデリクは地面に投げ出される。仰向けになって、馬上から見下ろすジョゼと対峙した。
「おっ……お前、銃が撃てたのか!?」
「ふふ。ギロチンより、こっちのプレイの方がようございますか?」
「やっ、やめろ……!」
更に背後から、警官たちが集まって来た。
「フェドー議員だ!」
「急げ!!」
ジョゼを追尾していた警官たちが集まり、一斉に荷馬車は取り囲まれた。
ジョゼは喪服をめくると、太ももに銃をしまう。
フレデリクは縄で縛られた。連行され、ジョゼとすれ違った瞬間、彼は言った。
「何正義ヅラしてやがる……お前もスパイみたいなもんだろ?」
ジョゼは真っ直ぐ前を向いたまま、それを無視した。フレデリクはそれを見て「ケッ」と悪態をつく。
ジョゼは荷馬車の中でバラバラになっているギロチンを眺めた。
「……無惨ね」
ベルナールがやって来る。
「娼館まで運ぶか?」
「あなたがお手伝いとは珍しいわね。どういう風の吹き回し?」
「協力してくれた礼だ」
「……そう」
荷馬車は馬を変えられ、闇夜をとぼとぼと歩き出す。
数日後。
ジョゼは日課の新聞を読んでいた。
〝王都警視庁、フェドー邸を捜索。複数の国の国家機密の写しを発見。フェドー議員のスパイ行為は確定的と判断された。自由党は現在党員資格を停止中であるが、容疑が固まり次第議員資格を剥奪する予定だ。〟
ジョゼはどこにも自分のことが書かれていないのを確認し、ほっと息をついた。
ここは久方ぶりのフルニエ城。娼婦たちはようやく監視から解放され、優雅にガーデンパーティを楽しんでいる。彼女たちが不在の間も、薔薇は棘を伸ばしいくつも蕾をつけていた。
ジョゼは、ワインのコルクを開けて香りを嗅ぐ。
「あの日の毒は……」
そして頭痛を我慢するかのように、ぎゅっと目を閉じる。
「ジョゼ様」
マルクが入って来て言った。
「セルジュ様がお見えです」
「……そう」
ジョゼはいつものようにセルジュを招き入れると、応接間へと移った。
「ジョゼ、無事大きな仕事を終えたな。これは追加の報酬だ」
ジョゼの目の前に、紙幣の束が置かれる。ジョゼはそれをぼんやりと眺めてから、鋭い視線をセルジュに向けた。
「ねぇ」
「……何だ?」
「私たちが出会ったあの日──ワインに毒を入れて寄越したのは、セルジュ、あなただったんでしょう?」




