110.二つのワイングラス
次にジョゼたちは王都中心部のとあるアパルトマンへ移動した。
ここにクレールは住んでいたらしい。
警察が先に入って、階段や部屋の内部を調べている。ノールの邸宅とはかなり差がある小さな住居に、ジョゼは何とも言えない違和感を持った。
「ずいぶんと小さな家ね」
ジョゼが言うと、ベルナールが応えた。
「そうは言うが、ここは王都の一等地だ。そこに女が稼げる額で住まいを得ようと思ったら、この規模の住居になるのは致し方あるまい。ジョゼは仮住まいをしたことがないからよく分からないのだろうが、最近は王都の家賃が高騰しているんだ」
「へー……」
「警察も先頃、宿舎を建て増ししたばかりだ。若い警察官が、あまりの高騰ぶりに住む場所がないと憂いているらしいからな」
アパルトマンの三階に、クレールの部屋はあった。
内部に足を踏み入れると、そこは思ったより広い部屋だった。
玄関からまっすぐ歩いて行くと広い窓があり、小さなベランダもあった。観光地が見渡せる好立地だ。きっとクレールも、ここに立って街を見渡したことがあるであろう。
ベルナールが言った。
「近隣住民によると、昨晩は特に争うような音はしなかったそうだ」
ジョゼはその言葉を受け止めるように、ベランダから室内を振り返って見る。
アパルトマンには似つかわしくない白い高級家具が同柄で揃えられていた。恐らくこの家具も王族御用達なのであろう。経営者のジョゼですら手に入らないものだ。
刑事の言う通り、部屋内部では血痕や、争った形跡などは見られない。
暖炉を覗いてみる。燃えカスが残っていて、掃除はされていない。
テーブルの上には飲みかけの白ワインが入ったグラスと、空のグラス。ふたつのグラスが置いてある。
白いドレッサーの隣には空間があり、そこだけ埃が積もっている。
ベッドの上には、なぜかクレールの衣装が大量に乗せられていた。
「きっとクレールはここを出て王の用意させた馬車に乗り、深夜に王宮へ向かった。とすると、夕方から夜にはここを出ないとね」
ベルナールがせわしく室内を歩き回るジョゼの背中に向かって言った。
「部屋には鍵がかけられていた。つまり、被害者が出て行く時に鍵をかけたと考えるのが自然だ」
「へー、鍵が……」
「あと先程、捜査員が部屋のデスクからこんなものを見つけた」
振り返ると、彼は手紙の束を持っている。
「あら。それはクレールに宛てられた手紙?」
「そうだ。彼女は高級娼婦だったので、複数人と手紙のやり取りをしていた」
「ちょっと見せて」
ジョゼが適当に差出人を確認していると、そこに見慣れた名前を見つけた。
ノールだ。
(ノールもクレールと交友していた……?)
ベルナールが言う。
「当然のことだが、そういった手紙のやり取りをしていた人物は捜査の対象となる」
ジョゼは他の手紙の差出人も確認した。アルバン二世の名を見つける。あとは見知らぬ男性の名前ばかりだ。
ジョゼはテーブルの上のワイングラスを睨んで呟く。
「……グラスが二つ残されたままということは、きっと彼女は王宮へ行く前に、ここで誰かと白ワインを飲んでいたということね」
ということは、このワインをクレールと最後に飲んでいた人物が事件のヒントを握っている可能性が高い。
先程の手紙から交友関係を洗い出せば、彼女とこの部屋にいた人物が誰だったのか判明するだろうか。
(ま、そういった細かい情報の洗い出しは捜査員や刑事に委ねるとして──)
ジョゼはふと気になって、空になっているグラスの匂いを嗅いだ。
その時だった。
「……ん?」
ワインとは違う、妙な香りが鼻をつく。
「どうした?ジョゼ」
「この匂い、どこかで……でも、何の匂いか思い出せないの」
嗅ぎ覚えのある香りに、ジョゼは頭をめぐらせる。
「そうだわ。化粧品っぽい、かも……」
その匂いの正体を確かめたくて、ジョゼはドレッサーを開けてみる。そこにはアクセサリーと化粧品がごちゃ混ぜに入っていた。
ある予感に導かれるように彼女が数々の宝石の中を掻き分けていると、そこには見覚えのある小瓶が埋もれていた──
それは、目薬だった。眼疾患の治療目的ではなく、最近娼婦の間で流行っている、瞳孔を大きく見せるためだけに使われる目薬だ。
中身はない。空っぽだった。
ジョゼはそれをつまみ上げると、静かに匂いをかいだ。
「あっ。なるほど、これだわ」
そしてテーブルに戻って来ると、空になったグラスの匂いを嗅ぐ──
「……ジョゼ。一体何をしている」
ベルナールに問われると、ジョゼは答えた。
「私、分かっちゃったかも。クレールの〝本当の死因〟」




