107.血濡れの愛妾
──それは、朝一番の出来事であった。
アルバン二世は酔いも冷めぬままに目を覚ました。
クレールが隣で眠っている。
アルバンは何のてらいもなく、彼女を起こそうと布団を少しめくって──その異変に気がついた。
血。血。血……
おびただしい血の塊。
シーツから布団にかけて、赤黒い血の跡が広がっていたのである。
アルバン二世は動転し、掛布団を剥いだ。
なんとクレールの腹にはナイフが刺さっている。
しかもそのナイフには王家の紋章が入っていた。かつて戦勝記念に作らせた、宝飾品が散りばめられた見目麗しいナイフである。
アルバン二世は恐怖に耐え切れず叫んだ。
「う、うわあああああ!誰か!誰か来てくれ!!」──
「……というわけで、私が呼ばれたのね?」
「そうだ。陛下がどうしてもとおっしゃるのでな」
相変わらず、ベルナールは不満気だ。
太陽の昇り切った王宮の内部。
普段は入ることのできない王の寝室に、ジョゼとベルナールは立っていた。
ベッドの上には、目を開けたまま冷たくなった遺体がある。
「死後硬直は終わっているが、彼女はここ数日の間に殺害されたと想定できる。アクセサリー、所持品などは特に無し……」
ベルナールが被害者の状況を報告した。
アルバン二世は部屋の隅に居て、真っ青な顔で震えている。今まで何人もの臣下や敵を死に追いやって来た王も、自らの隣で殺人が起きたとなればこのようにすくみ上がるものらしい。
(情けないわね)
ジョゼは心の中で目の前の臆病な王を唾棄した。
ベルナールが平然と言う。
「陛下は〝殺していない〟と証言なさっている」
ジョゼは更に深いため息を吐いた。
「まあ、確かに……この状況を見れば疑われてしまうのも無理はない、か」
「なので陛下は隠匿せず、すぐに臣下をお呼びになったそうだ」
「なるほど。それで警察は〝どうやら陛下は犯人ではなさそう……〟と思ったわけね?」
「そうだ。だが第一発見者であらせられることは確かなので、陛下が犯人であるという線はまだ捨て切れない」
「そうねえ」
「おおおおおおい!」
アルバン二世が怒りを露にした。
「敬語使ってたら、何言ってもいいってわけじゃないぞ!」
「……申し訳ありません」
「私は敵以外は殺さない!ましてや、可愛がっていた愛妾を殺すわけがない!」
「はあ……」
「ああ、可哀想なクレール……誰がこんな残忍なことを……!」
ジョゼはベッドの遺体を見下ろしながら、おぞましい疑念が湧くのを抑え切れなかった。
(まさか、ノールが……?)
しかし昨日今日はジョゼと一緒にいたので、真夜中にノールが誰かを殺してここに運び込んだ……とするには無理がある。
また、王の寝室の中で愛妾を待ち伏せして刺す、というのも難しいだろう。
とはいえ、昨夜のノールの挙動にはどこか含みがある気がする……
ジョゼは気になっていることを尋ねた。
「王宮の人の出入りはどうだったの?」
「それが……」
ベルナールが言いにくそうに耳打ちする。
「実は、クレールは昨夜、馬車に乗って王宮にやって来たらしい」
「えっ」
「つまり王宮に入る前までは生きていたことになる」
「ということは……」
犯人は、アルバン二世。及び王宮内の誰か。そう考えるしかなくなってしまう。
しかしアルバン二世は急にこんなことを言い出した。
「私は昨日、ワインを飲んで寝たのだ。その時、ベッドには先にクレールが寝ていた。暗かったし眠かったし、私はクレールの異変に気づくことなくそのまま眠ってしまったんだ」
ジョゼは言った。
「では、その時にはもう彼女は死んでいたかもしれない。被害者は殺されてからベッドに投げ込まれたのかもしれないわ」
ベルナールが言う。
「そうなると、クレールは馬車に乗ってやって来て、陛下の部屋に来るまでに殺されたってわけか?」
「陛下の証言が正しいとすると、そうなるわね」
「そんなに素早く、誰にも見えないところで、声を上げる間もなく?」
「うーん……そう言われると……」
「どう考えてもおかしい」
「おい、そこの刑事っ!私の証言に疑問を持つでない!」
「……申し訳ありません」
「謝れば何を言ってもいいってわけじゃないぞ!」
しかし証言を聞けば聞くほど、ベルナールが王犯人説に傾かざるを得ないのはジョゼにも理解出来る。
しかも、凶器はアルバン二世が所有する戦勝記念のナイフだ。
「陛下。このナイフは陛下以外は持ち得ないのですか?」
「ああ、そうだ。いつもはあのチェストの上……あそこにナイフディスプレイがあるだろう。あそこに飾ってある」
「それが凶器となったのですね」
「!だから、私はクレールを殺してなどいない!」
遺体の腹以外に外傷はなく、クレールの表情は眠ったままのよう。とすると、彼女が気を許していた相手に殺された可能性は充分にある。
「とりあえず、陛下は犯人候補から除外するとして……」
ジョゼは別の可能性を探ることにした。
「まずはクレールの王宮までの足取りと、交友関係を洗い出しましょう」
そうベルナールに言いながら、ジョゼの脳裏ではノールが妖しげに微笑んでいるのだった。




