サラーナの悪夢
草原は焼けただれ、焦げた煙がそこかしこから上がっている。建物は破壊しつくされ、所有する家畜も家族も全て殺された。
古代に整備された石畳の街道を、ひとりの少女が歩いている。
かつては繊細な模様の絹の衣を着ていたが、それも戦火で破れ焼き切れ、皮膚に糸状にまとわりついている。靴もないので足の裏はずたぼろだ。それでも、歩かないわけには行かなかった。
(殺される)
少女は声のない叫び声を心の中で上げ続けた。
(殺される)
一族間の中で謀略毒殺は当たり前という修羅の世界に生きて来た少女だったが、まさか他国からの侵略に遭うとは思ってもみなかった。内紛を嗅ぎつけられての侵略行為、民族浄化。なんと間抜けな王朝の最期であろうか。狂って笑いたいところだが、焼け出された少女にはそんな体力すら残っていない。
そんな時だった。
向かい側から、重い荷馬車がやって来た。積み荷は全て女子どもだ。少女はぞっとしたが、隠れる場所はなかった。
「いたいた!」
見知らぬ男たちに力づくで持ち上げられ、彼女は有無を言わさず荷馬車に押し込められる。幼い少女に抵抗する力などあろうはずもなかった。
行先は案の定奴隷市場だった。
少女は家畜のように水で洗われ、貫頭衣を着せられて街道に並ばされた。周囲を見渡すと、どの少女も自分と同じ民族だということを把握した。
隣の女が、声をかけて来る。
「スレン様?」
少女はおっかなびっくり隣の女を盗み見た。
「ノール……」
「久しゅうございます、スレン様」
「ノール、父上と兄者は」
「……申し上げにくいのですが、広場にて磔の上、殺されました」
「……」
「何も出来ず申し訳ありません」
「……女の力じゃ、何も出来ない。世界は変えられない。……仕方ないのよ」
と、人買いがやって来てノールの腕を掴んで引き上げた。スレンはぞっとするが、ノールは力強い視線を浴びせて彼女を鼓舞した。
「何をおっしゃいますか!この世界を変えられるのは、あなただけなのですスレン様」
「……!」
「サラーナの民を再び集められるのは、スレン様だけです。サラーナ国王の血を受け継いだ、あなただけが」
「ノール……」
「お願いします、どうか再び我々の国を取り戻して下さい!」
その瞬間、人買いがノールの頬を打った。無駄口を叩くなということなのだろう。ノールは買い手がついたらしく、別の馬車に乗せられた。
スレンは静かにノールを見送った。別の荷馬車に乗せられたノールを、視線が合う限り──
涙は枯れ果てていて、出なかった。
心が引き千切れそうになった、そんな時。
目の前に、ふわりと花の香りが漂った。
スレンは顔を上げる。そこには、奴隷市場に似つかわしくない煌びやかなドレスを着た中年の女が煙管をふかしながら立っていた。
「へえ。あんた、不思議な髪色をしているね。金と黒が入り混じった色だ。それに、トランレーヌの男が好きそうなエキゾチックな顔立ちだねぇ」
スレンは言葉を理解したので、咄嗟に答えた。
「男に好かれるなど、私の欲するところではない」
するとその女はぎょっと目を見開いた。
「驚いた。滅亡王国サラーナの奴隷市場だと聞いて来たけれど、あんたそんなちっちゃいのにトランレーヌ語が話せるのかい」
「だからどうしたと言うのだ」
「ちょっと口調がお固いね。でもいい買い物だ。ちょっと、この子いくら?」
売られる。
スレンは絶望した。トランレーヌ語など、知らぬふりをしておけばよかった。しかし時は元に戻せない。
スレンは馬車に乗せられ、女と共に道なき道を走った。
怯えるスレンの手を無遠慮にぎゅっと握り、花の香りのする女は言った。
「私の名前はマレーネ。それから──」
スレンは、おしゃべりなマレーネを無言で睨み上げる。
「あんたの名前は、今日からジョゼだ」




