第16話 おにいちゃんを独占していいのは妹だけ 上
剣間春梅が八階から下へ向かおうとした時、エレベーターの表示はすでに消えていて使えなかった。
階段で下りた七階はさらに騒がしかったが、感染者に襲われている様子はなく、他校の生徒たちが大勢で廊下へ出て、言い合いがはじまっていた。
素通りもしにくく、近くの生徒へ知っていることを伝えていると、ほかの生徒もどんどん集まってきて二度手間、三度手間の説明になりかける。
春梅は平常時でさえ説明が苦手だった。
しかし相手から代表者をしぼってくれたので助かる。
すでに紫州田高校の教員が『危ないから部屋で待機』までは伝えていた。
しかし生徒の多くは、皆桐杏理華の放送ではじめて異常の実態に気がついたという。
「ホテルの外にある電話も通じないらしい。警察無線はどうだかわからないけど、ヘリがまだ来ないってことは長期戦を覚悟かな……急いでバリケードを作ろう。男子はベッドを運んで!」
「鍵とかも普通に開けてしまうので、あまりゾンビと思わないほうがいいです。では、わたしはこれで……」
「ありがとう。気をつけて!」
代表者の男子たちは話しやすく、礼儀正しかった。
しかしここでも春梅がひとりで下へ向かうことを引き止める者はいない。
現実的な護身術の初歩にして最重要は危険を事前に避けることで、古くは武芸者も用心深さが第一の資質だった。
かまえてからの技量がどれだけあったところで、不意を打たれては活かしきれないか、まったくの無意味にもなりかねない。
常に細かく注意を広げつつ、そもそも犯罪などの標的にされないために、すきのない堂々とした居ずまいも意識する。
春梅はそれを身につけすぎたのか、しかも生来の鋭い目つきや顔だちが武芸向きすぎたのか、女子である自分の扱われかたに疑問をぬぐえない。
六階へ下りると、廊下をうろつく感染者らしき女子を見かける。
「あの、危ないので……」
つい話しかけ、それでも拘束用のタオルは抜き、接近するなり伸びてきた腕を背へねじって縛る。
その様子を近い部屋のドアの隙間から見られていた。
「ま、待ってください! この人をあずかってもらえませんか!? このままだとこの人は……」
「おにいちゃんといっしょにいる~」
「……階段から落ちたり、扉にはさまったり……」
「わたしそんな、うっかりさんじゃないも~ん」
とりあえず口も縛る。
その間にカチャリと音がしたので逃げられたかと思ったが、ドアが開いて男子ふたりと、感染していない様子の女子生徒もふたり、顔を出した。
廊下の向こうにも感染者らしき姿がふたりほど近づいていたので、呼ばれるままに部屋へ入る。
中にはさらに女子がふたりいて、置いてある荷物も女子らしいものばかり。
それと感染した男子がひとり、ベッドに寝かされていた。
事情を説明すると感染した女子を引き受けてもらえた上、タオルなども貸してもらえる。
「でも感染者をこんな風にみんな助けていたら、きりがないよ。それよりは、そういう情報をさっきの放送みたいに流せたら……でもすみません。オレたちも文化系一直線のヒョロヒョロなもので、あんなすご腕にはついていけそうにないです」
「いえ、そこまでは……」
春梅は自分の外見や態度が誤解されがちで、相手を萎縮させやすいと知っていた。
しかし考えすぎると悲しくなるので、気にしないふりをしている。
今に限ってはそんなことを言っていられる状況でもないが、この部屋で看護をする人数だって余裕はない……などと自分にいいわけして、独りきりで出た。
空は夕日の赤が広がりはじめている。
助言されたとおり、目の前にいる感染者の救助はいったんあきらめ、下の階を目指す。
五階にも感染者はちらほら見えたが、さらに下へ……向かおうとした時に、気になる声を耳にした。
「助けて~。おにいちゃ~ん」
四階への階段が中途半端に家具で埋められていて、別の階段を探そうかと迷い、つい返事をする。
「どうしました? ケガですか?」
「いじめるの~。ブスだって~」
美人ではない。
それはともかく、ほかの感染者のうめきも「どこ~。待って~」に混じって「助けて~」が多い。
「いじめるかたは、どちらにいますか?」
指された南側へ廊下を駆ける。
つきあたり近くで、丸めたシーツを引きずる太めの男子生徒たちを見つけた。
「くそっ、重すぎっ」
「おい、シーツがゆるみはじめている。また逃げられるって……え。高速タイプのゾンビ!?」
ひとりが春梅の急接近にあわてて、シーツがさらにずれ、縛られた女子生徒の脚が出てくる。
「なんでそんなことをしているのですか?」
春梅は速度を落としてゆっくり近づく。
感染者の保護のしかたに慣れていないだけ……そう善意に解釈したかったが、男子ふたりの不自然な笑いには清潔感がない。
「いや、この子たち、ちゃんとベッドで保護しないと危ないでしょ?」
「個体差けっこうあるみたいだから、オレたちから見て、特に危なそうな子から……」
シーツから感染者がさらにずり落ち、縛られた手首と顔が見える。
美人だった。胸も大きい。
「なんであわてているのですか? 廊下は監視カメラに映されていますが……」
「ち、ちがうって、ちゃんと中を見てよ。服とかは脱がせていないし」
ふたりの視線や動作は隠しきれない『臨戦態勢』を語っている。
看護をしていた者が返す言葉や表情にも思えない。
部屋への立ち入りは危険だと直感した。
春梅のわずかな沈黙でも、ふたりは追いつめられた顔になる。
春梅は自身にも危険が迫っており、即座に走って逃げる選択が最も正しいと判断していた。
格闘の有段者であろうと、実戦では不意打ちひとつでシロウトに惨敗しうる。
相手は男性がふたりで、体はたるんでいるが、春梅より背も体重もあった。
しかし春梅もまた、胸のむかつきに追いつめられている。
「スマホを見せてください」
ふたりが顔色を変え、ポケットを隠し押さえるしぐさを見せたことで春梅は確信した。
そしてもう、自分の体を抑えられない。
一歩を踏み出してからは迷わないように鍛えられている。
両者の顔面、ひざ、腹と一気に当てて沈めた。
スマホを奪ってのぞくと、やはり不快な画像が出てくる。
ベッドに縛られた女子生徒の下着姿が接写されていた。
感染者へ使うはずだったタオルで誘拐犯たちを縛るが、さわるのも苦痛だった。
実家の道場でも春梅をいやらしい目で見る男性はいたが、拳を交えてもこれほどの気色悪さではなかった。
そしてやはり、自分には実戦のための精神力が不足していると感じる。
……などと考えている間に、縛った男子生徒のひとりが、誘拐途中だった感染女子にかまれていた。
「あ」
あわてて女子生徒の口も縛る。うっかり忘れていた。
「『あ』じゃないって君!? おい皮衣田、オレ、どうなっちまうんだ!?」
「落ち着け灸田! 殺す目的のウイルスじゃないはずだから……」
騒ぐふたりはとりあえず放置して、部屋の中へ入って探る。
ふたりの女子生徒がベッドで大の字に縛られていたが、スカートがめくれているだけで、それ以上の乱暴をされたようには見えない。
扱いに悩んだが、口を縛ってから両手首、両足首で縛りなおす。
ほどいてしまう可能性は高くなるが、まったく動けない状態は火災などを考えると怖い。
「すみません。嫌な思いをしたばかりだと思いますが」
被害者の再拘束には罪悪感をおぼえるが、なぜか好意的にすりよられた。
男子力の高さもたまには悪くないかと自分をなぐさめつつ廊下へ出ると、縛っておいた男子がもうひとりの男子にかまれていた。
「あ」
「やめろ灸田~!? お前の見てくれで妹属性なんて、かんべんしろよ~!?」
泣いていた。
「そういえば、男性の感染者もたまに動けると聞いていたのをうっかり……」
顔をこわばらせた春梅は胸の大きな感染女子も部屋へ運び入れると、誘拐犯ふたりの醜態からは目をそらして階下へ向かう。




