冬の楽しみ
予約日間違えました!
申し訳ありません。
人間の味覚において、人類の歴史上求めてやまないものが「甘味」でる。日本でも奈良時代には「甘葛」「蜂蜜」「水飴」が登場している。また砂糖も、鑑真によって大陸からもたらされていた。
だがいずれも大変貴重な物であり、口にできるのは殿上人などのごく一部の人間だけであった。戦国時代において、南蛮貿易によって海外からもたらされた「スイーツ」は、権力者に衝撃を与えた。日本には古来より饅頭が存在していたが、塩や味噌による味付けであった。安土桃山時代においてようやく、甘い饅頭が登場するのである。
江戸時代になると、甘味料としての砂糖が普及し始める。結果、江戸や上方を中心に和菓子が爆発的に普及するようになる。一八世紀末には、日本国内でも砂糖生産が本格化され、現在に続く和菓子の形はほぼ完成した。
甘味は、人を渇望させるものであり、甘味一つで褒美として成立しうるものである。甘味がほとんど手に入らない陸奥においては尚更である。当然、吉松は甘味には早くから目を付けていた。
「甘く香しい香りですな。先ほどからアベナンカが唾を飲んでおりますぞ?」
「吉右衛門も同じ」
田名部館の厨(台所)では、侍女のアベナンカが鍋を火にかけていた。近習の松千代、梅千代、さらには吉右衛門まで香りに釣られてやってきた。
「楓の木に穴を開け、木で作った筒を差し込むと、楓から透明な水が出てくる。この水は甘味を含んでいる。それを煮詰めていくと、やがてとろみがつき、褐色の液体になる」
メープルシロップはサトウカエデから作られるが、日本国内においても各地で生産されている。特に、北海道から東北に広がるイタヤカエデはメープルシロップを造るのに適している。実際、アイヌ民族ではイタヤカエデをトペニと呼び、冬の間に木を傷つけて、出てきた樹液が氷柱になったところを飴として賞味していたという記録もある。
「この地には楓が多いからな。この冬で大量に樹液を集めて甘味料とする。名前は…… 楓蜜だと原材料がすぐにわかってしまうから、紅飴としようか」
できあがったメープルシロップは紅いというよりは褐色であった。だが糖度は六〇%を超えている。イタヤカエデ一本から、一〇日間でおよそ二〇リットルの樹液が得られる。樹液の糖度はおよそ二%。メープルシロップの糖度を六五%とした場合、一〇〇リットルのメープルシロップを得るためには、何本のイタヤカエデから何日間、樹液を得ればよいか?答えは一六三本の木で一〇日間である。
「二〇人の人間が睦月(旧暦一月)の一〇日間だけ、この紅飴の材料集めのために働けば、この壺で一〇〇個分が集められるわけだ。ちなみに田名部から大畑、川内にかけて万を超える楓があるぞ。さて、どうする?」
「殿様、もっと作る!」
アベナンカが叫ぶ。松千代、梅千代もコクコク頷いている。クックックッ……そうだろう、そうだろう。甘味というのは常習性が極めて強い。甘いモノが食べたいという誘惑は強烈なのだ。
「蝦夷の民にも教えよう。新田、蠣崎、蝦夷で、この紅飴を独占する。そして大館、田名部、十三湊で甘味処を開こう。大挙して人が押し寄せるぞ」
吉松はそれ以外にも、ハチミツや麦芽水飴の商品化を目論んでいた。特に養蜂は実際に試さなければわからないことが多い。なぜなら現代日本で広まっている養蜂技術は、すべて「西洋ミツバチ」の養蜂であり、明治時代から行われているものだからだ。戦国時代には西洋ミツバチは存在せず、すべて日本ミツバチである。採取できる蜜の量は、西洋ミツバチの僅か五%と少なく、しかも神経質のため遠心分離による採蜜もできない。江戸時代に貞市右衛門が確立した「旧式養蜂」を試しているが、まだ成功していなかった。
「小麦粉、牛の乳と卵もあるからな。紅飴をつかって簡単なクレープでも作るか」
臼で挽いた小麦粉に牛乳、卵、メープルシロップを加えて混ぜ合わせる。ホイッパーを作っておけばよかったと後悔しつつも、吉松はアベナンカに命じて木箸で混ぜさせた。背が低い鉄鍋に牛乳から作った牛酪を溶かし、生地を焼く。最後に上からもメープルシロップを掛ければ完成だ。
「ハッハッハッ……美味いな!」
吉松は笑っているが、他の者たちは深刻な表情を浮かべている。なぜならあと一枚、残っていたからだ。
陸奥の冬は長く厳しい。雪は屋根よりも高く積り、出歩くことは困難になる。吉松により、室内でもできる加工産業が振興されているが、全員がそれに就くわけではない。特に子供などは暇になるのである。文字や算術の冬季集中講座を開催しているが、一日中勉強というわけにはいかない。
「やはり作るとしたらリバーシーか。だがなぁ…… やり方は知っているが、遊んだことなど数えるほどしかないぞ」
リバーシーが日本に普及したのは一九七〇年代。吉松が前世で会社を起業し、ブラック企業さながらに働いていた時期である。子供と遊んだことはあっても、自ら遊びたいと思ったことはない。
「いっそ作るか? あの亡国の遊戯を…… いやダメだ。読み書きはともかく、算術ができない者は多い。点棒計算ができないだろう」
こうして天文一九年冬、田名部の地において返碁、西洋でいうリバーシーが誕生した。
「殿、これは素晴らしい遊戯です!」
松千代、梅千代が嬉しそうに遊んでいる。相手はアベナンカだ。この遊戯の素晴らしいところは、ルールが単純で直感的に遊べるところだ。囲碁や将棋ではそうはいかない。だが吉松としては不満だった。金崎屋を通じて取り寄せた古事記や日本書紀を写本しながら告げる。
「それはあくまでも試験的に作ったものだ。田名部の民に受け入れられた暁には、商品化して大々的に売り出す。少量ながら孔雀石が採れているからな。それを使って麻布を緑に染め上げ、鉛白と炭で白黒の石を作って売り出すぞ。ついでに三無の思想と新田の家紋も入れよう。クククッ パクられる前に新田の名を広めんとなぁ」
写本しながら、悪巧みをする子供の顔を浮かべる。どうやら殿は己が世界に入られたらしいと気づいた二人は、それ以上は何も言わなかった。
冬の代名詞といえば、やはり温泉であろう。純白の雪景色の中、濛々と湯気が立ち昇る露天風呂に浸かる。現代においても贅沢と思えるひと時であろう。
「恐山までの道がようやく整備され、宿泊できる館も立てた。吉右衛門、約束通り一番湯を許す」
恐山山系にある天然温泉を開発し、露天風呂および宿泊施設として整備した。吉松はここを新田家の保養地として活用するつもりであった。いずれより多くの重臣たちが揃うだろう。彼らと裸の付き合いをし、ともに同じ料理に舌鼓を打つ。幹部社員限定の社員旅行のようなものだ。
「ふぅぅぅっ。良いのぉ。風呂とはこれほどに良いものなのか」
盛政が湯の中で感嘆の声を漏らす。吉松はしてやったりと笑った。
「新田が大きくなれば、重臣も増えていく。年に一度くらいは、遊女を侍らせて羽目を外す場を作っても良かろう。浮気は男の甲斐性というしの?」
片目を瞑って揶揄うように見る吉松に、盛政は苦笑せざるを得なかった。本当にこの孫は童なのだろうか。祖父の自分でさえ、時々、物ノ怪のように思うことがある。だが言っていることは間違ってはいない。男というものは、しょうもない生き物なのだ。
「御爺も吉右衛門も、俺に遠慮するな。良いものを用意してある」
それは田名部で初めて作られた「清酒」であった。ただの濁酒ではなく、器の底まで透き通っている。
「雪景色を見ながら、湯につかって冷えた酒を飲む。これが温泉の楽しみ方だ。もっとも、俺は飲めんがな」
進められるまま清酒を一口呷る。なんとも言えない美味さであった。稗の濁酒も良いが、この清酒は米本来の旨味を感じる。ついつい、もう一口飲みたくなる。
「湯の中では酒が回りやすい。二人とも、一合だけにしておけよ?」
吉松の声が少し遠く聞こえた。盛政は笑った。酒と景色、そして孫の頼もしさに酔ったのかもしれないと思った。
(´・∀・`):頑張ってはみましたが、やはり本日は一話投稿になりそうです。申し訳ありません。
(=゜ω゜=):あらら、まぁ平日昼間は書けないしね。
(´・∀・`):ちなみに15日~18日は一話投稿になると思います。ちょっと仕事が立て込んでおり、結構忙しいのです。
(=゜ω゜=):でも二話投稿は目指すんでしょ?
(´・∀・`):15日~18日のどこかで二話投稿するかもしれません。その時はあらかじめお知らせします。今後も応援、宜しくお願い致します。
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