21.安心と恐怖の隣り合わせ
黒の外套で全身を覆い隠し、フードを目深に被った高身長の男がアンジェリカのことを見下ろす。隙間から覗く彼の薄い唇は、美しい弧を描いていた。
アンジェリカが息を呑む。
(ど、どどど、どうしてレイがこんなところにいんのっ!!?)
聞き慣れた声と聞き覚えのある台詞に、見慣れた身長差。アンジェリカには、すぐに相手がレイだと分かった。
これはまた厄介な相手に見つかってしまったと、動悸が激しくなり脈拍が上がっていく。今にも卒倒しそうなほどの混乱ぶりだ。
「アンジェ、顔色が悪いけど大丈夫かい?」
アンジェリカの取り乱した様子に、心配したレイが顔を近付けて来る。
「!!」
思わず仰反りそうになるが、彼の大きな手が背中に回っているせいで逃げるに逃げられない。
(貴方のせいですっ…!!)
心の声で叫ぶがそんなことを口に出せるわけもなく、猛烈に既視感を覚えながらひとまずシラを切ることにした。
「こんな所で会うなんて奇遇ね。レイもお買い物?」
「ん?僕はアンジェの跡を追ってきただけだよ。」
「・・・・・」
(終わった……)
それとなくはぐらかそうとしたが、アンジェリカを捉えた青の瞳は逃してはくれなかった。お手本のような美しい笑みで圧をかけてくる。
「まぁ、君が話したくないというなら、無理に聞くつもりはないけど。」
「本当に!?」
予想だにしなかった展開に、アンジェリカの瞳が期待に輝く。
一気に彼女の頬の血色が良くなり、間近でその反応を見たレイも嬉しそうに一つ頷いた。
「好きな子には優しくしたいからね。」
「そ、そんなっ…」
こんな状況下での不意打ちの甘い声音に、アンジェリカの顔がポッと赤くなる。バレないよう、両手で頬を隠して俯いた。
「で、このことを君の父上にはなんて説明するつもりなのかな?」
「え…?」
「こんな夜遅くに、変装して旅行鞄を持って長距離馬車の列に並んでたなんて知られたらどう思うかなぁ。」
「え゛」
「僕はあれほど親身になったというのに…ねぇ?」
にこにこと変わらぬ微笑みを向けてくるレイだったが、最後は一度も聞いたこともない低い声だった。その瞳の奥には、隠しきれない怒りの感情が渦巻いていた。
(めちゃくちゃ怒ってんじゃんっ…!!)
ここでようやくレイの怒りに気付いたアンジェリカ。
その理由までは分からなかったが、これ以上怒らせたらマズイことになるというのだけは野性の勘で感じ取っていた。
「いや…ええとその、これには色々と訳がありまして。だからその……っ!??」
「良かった…アンジェが無事で。本当に心配したんだ。」
気付いた時には強く抱きしめられていた。
見かけによらず逞しいレイの腕で身体を締め付けられ、アンジェリカが口を噤む。彼の心情を慮り、言葉を選び直した。
「………ごめんなさい。」
「うん。」
抗えないほどの強い拘束力なのにそれが嫌ではなく、むしろ安心感を覚えたアンジェリカ。心配をかけたレイに罪悪感が募り、素直に謝罪の言葉を口にすることが出来た。
(あったかいな…)
落ち着く体温の中でほっと息を吐き、肩の力が抜けていく。アンジェリカの心の真ん中で、レイの存在そのものに安らぎを感じていた。
「お二人とも、いつまでそうしているおつもりですか?御者が困ってますが?」
「おい、ウィル!」「…っ!?」
長距離馬車を待つ人の列はいつの間にか消えており、残す乗客はアンジェリカのみとなっていた。
訳ありな様子で情熱的に抱き合う二人に声を掛けられず、御者が困り果てていたのだ。そこで仕方なく、待機命令を無視したウィルヘルムが二人に声を掛けにやって来たというわけだ。
(はっず………!!!)
完全に自分たちの世界に入り込んでいたアンジェリカが顔を真っ赤にしてレイから離れようとするが、彼の腕は離してくれない。肩を抱え込まれたままウィルヘルムに向き合う。
「それで、アンジェリカ様はこちらの馬車に乗られますか?」
澄ました顔のウィルヘルムが御者とアンジェリカの顔を交互に見る。
「あ…ええと…」
「乗るわけないだろう。アンジェは僕が連れていく。」
「え?」
アンジェリカが答えるより早く、レイがにべもなく否定してしまった。
(連れていくってどこに…?)
御者は売上が減ったことに肩を落としながら馬車へと戻って行った。
「それはまた大胆なことをなさりますね。一体どうご説明されるおつもりで?」
「僕とお忍びデートしていたところをウィルに見つかったことにしよう。」
「はぁ!?」
「…なるほど。既成事実を作って囲い込みをするというわけですね。実に貴方様らしい戦略的な攻め方で感服致します。」
「既成事実ぅ!??」
「おい、ウィル。お前、後で僕の執務室に来るように。」
「ええ、喜んで。私も見て頂きたい書類が沢山ありますので。」
戸惑うアンジェリカを置き去りにして、レイとウィルヘルムの会話は終了してしまった。どうやらこのやり取りでカタがついたらしい。
「アンジェ、さぁ行こうか。」
レイは肩に回していた手を外してアンジェリカの荷物を待つと、もう片方の手で彼女と手を繋いだ。
「さぁって…一体どこに行くのよ?」
「ん?それはもちろん僕の家だよ。」
「は……………………?」
話の急展開についていけず、アンジェリカの思考が停止する。
長距離馬車に乗ろうとしていたことに対しての追及も終わっていないというのに、今から家に連れて行こうとする意味が分からなかった。
「君にはしばらく我が家に滞在してもらうことになるから、これから宜しくね。あぁ楽しみだな。」
レイは一人、何もない空間を見つめながら目を細め、恍惚とした表情で歓喜に震えていた。
(待って…ほんとこの人何考えてんの……)
その狂気を感じる横顔を見たアンジェリカが恐怖に震えていたなど、彼は知る由もない。




