16.レイアスの記憶
今でも鮮明に記憶に残っているのは、
僕の一挙一動を注視している大勢の人たち。
みんな知らない人なのに、その誰もが僕のことを知っている。そして皆等しく同じ視線を向けてくるという不気味さ。
羨望、敬愛、期待、敬服…
話したこともない相手に無条件に敬われることは、当時の僕には恐怖でしかなかった。こんなにも純粋な期待に、僕なんかが応えられるわけがないと思っていた。
今はそんなことは当たり前だと思えるのに、当時の僕は幼過ぎて器が足りなかった。
あの日、同世代の友人を作るためのお茶会だったが、その実は僕の将来の側近候補と婚約者を見繕うための場であった。
だから皆が下心を待って僕に接してくる。
会場は異様な熱気に包まれていた。
王家主催の会という華やかな雰囲気とは裏腹に、僕の心は深く沈んでいった。
それでも微笑みを絶やすわけにはいかない。僕は不安や後ろ向きな心を悟られてはいけないのだ。無闇に他人を不安がらせてはならない。
いつだって迷いなく威厳のある振る舞いをするために、物心ついた時から厳しい訓練を受けて来たのだから。
しかし、当時心の弱かった僕はあの空気に耐えきれず、怖くなって逃げ出してしまった。
向かったのは、偶然見つけた大木の裏手にあったベンチだ。
ひとりきりになって、深く息を吐いた。誰の目からも解放されて心の底から安堵した。でもすぐに後悔した。こんなこと、王子である僕がやって良いことではない。だから気持ちを整えたらまた会場に戻ろうってそう決めた。
それなのに、
ふと人の気配がして顔を上げたら、同い年くらいの令嬢達に囲われていた。皆一様に同じ笑みを浮かべ、同じ化粧の香りを漂わせ、獲物を狙うような強かな瞳をしていた。
それは身体が震えるほど気味が悪く、胃が捩れるような強い不快感を覚えた。
ー それでも僕は、嫌な顔をしてはいけない。
長年の教えが自分の抱いた感情を黒く塗りつぶしていく。幼い頃からの刷り込みには勝てなかった。
はっきりと拒絶の言葉を言うことができず、曖昧な笑みを浮かべる僕。あの時の顔を鏡で見たら吐き気がしていたろう。それほどまでに不本意な行為だった。
だが、令嬢達は愚かにも僕の微笑みを好意的だと感じたらしい。
『レイアス殿下、ぜひ今度うちの庭園を見に来てくださいませ。薔薇が綺麗なんです。』
『まぁ、貴女の家にあるのはただの赤い薔薇でしょう?そんなものレイアス殿下は見慣れてるわ。我が家には、南の国から仕入れた紫の薔薇が咲いていますのよ。ぜひいらっしゃってください。』
『花なんて乙女じみたものより、音楽はいかがですか?行商人と共に珍しい楽団が今度うちの邸に来る予定なのです。』
3人から必死な目を向けられて辟易したが、僕の立場上ここで勝手に断るわけにもいかない。僕は曖昧な笑顔のまま、3人の機嫌を損ねないようそれぞれに興味があるかのように振る舞った。
ー 早くここから立ち去って欲しい…
そんなことを考えながら取り繕った笑顔で耐え忍んでいた時、もう一人近づいてくる気配がした。
ー またか
その足音からまた令嬢だと分かり、僕は心の中でうんざりとしていた。
『何をやってるの?』
淀んだ空気を切り裂く凛とした声音と共に姿を現したのは、燃えるような赤髪を靡かせた美しい少女だった。ペリドットのようなグリーンの瞳に目が釘付けになる。
『い、いえ別に…私はたまたまここで…』
『私は用事を思い出しましたので、こちらで失礼させて頂きますわ。』
『わ、わたしくしも…ご機嫌よう!』
彼女の一言で蜘蛛の子を散らすように、皆この場から去って行ってしまった。
ー 助けてくれたんだ
見知らぬ少女の助け舟に、僕の心は嬉しさで震えた。私益のためではなく、僕のためを思って行動してくれる人は彼女が初めてだったから。
『あの、あり』
『私は貴方に言ったのよ。』
『えっ?』
今度は真逆の感情で僕の心が凍りついた。初めて他者から向けられた咎める視線と言葉に、僕は微笑を浮かべたまま内心慌てふためく。
『嫌ならはっきり言わないと駄目よ。あんなの勘違いさせるだけだわ。』
彼女のペリドットの瞳が僕を見据える。その目は、未だ嘗て誰にも向けられたことのないものだった。
嘲笑も下心も嫌味も期待も何もない、ただただ真っ直ぐに僕の核心をついてくる瞳。
『まぁ別に私には関係ないけど。』
吐き捨てるわけでもなく、本当に興味がなさそうに言うと、彼女は僕の返事を待たずに長い髪を靡かせて去って行った。
迷いなく背筋を伸ばして歩く後ろ姿は堂々としているのに優雅で、僕は目が離せなかった。彼女の歩いた道が光が輝いているようにさえ見えた。
たったの二言。
会話すらしていないというのに、彼女は僕の中に鮮烈な印象を残した。
ー 彼女のことをもっと知りたい
ー 自信を付けてまた会いたい
ー あわよくば、彼女と…
そんな欲望と下心を持った僕は、初めて自分の意思を持った。同時に、立場を気にして曖昧な笑顔を振り撒くことをやめた。
僕は自分の欲しいもののために、己の立場を最大限活用してやろうと決めたんだ。
だから、どんな手を使ってでも彼女を手に入れて見せる。多少騙し討ちになったとしても、それを忘れさせるくらい、熱烈に愛せばいい。
何事もはっきりした方がきっと君も好きだよね。
今の僕はもう曖昧になんてしないから。




