Spesterra / スペステラ村
長めです。
ライアンが外出のために執務室を片付けていると、廊下からリンの声がする。
「シロ エクセウト」
王都へ行く前に、できる限り古語の復習をするように言ったので、古語でシロと遊んでいるのだろう。
そう思って執務室のドアを開けると、目の前を薄緑色をした、風でできたシロが走り、その後ろを本物のシロが追いかけ、裏庭へと駆け抜けた。
「ライアン、準備できました?」
「古語の復習かと思えば、風でシロをつくったのか」
「復習ですよ。風以外だと、家が燃えたり、泥だらけになるといけないから、風にしたんです。シロが喜ぶと思ったんだけど……」
一応考えて作ったらしいリンだが、なぜシロを作ろうと思ったのか。というより、なぜこの祝詞の復習なのか。
シロは唸りながら、空に上がった「風のシロ」に飛びつこうとしては、落ちている。
「喜んではいないみたいだな」
「シロはこの間の、『火のシロ』を見ていないじゃないですか。自分でもうまくできたと思ったので、見せてあげたかったんですよ」
そう言って、さっと風を消した。
確かにうまくできていた。
リンはさっとその場で覚えて、事もなげにやっていたが、風、水、火で何かを形作るのは、非常に強い力と集中力がいる。土人形も、形は作れても、自在に動かすのは大変なものだ。
「さて、行くか」
今日はスペステラ村を訪れることになっていた。
ハニーミントとカモミールは大市の頃から摘み始め、クリムゾン・ビーも先週から収穫が始まったという。大市の期間は見に行きたくとも動けなかった。
リンはピクニックバスケットを提げている。バスケットを取り上げると、意外と重かった。
「何が入っている?」
「サンドイッチですよ。いいお天気で、ピクニックにぴったりじゃないですか」
「外で食べるということか?」
「そんな気分なんです。きっと気持ちがいいですよ」
シロと前後しながら、森の脇を、リンのペースでスペステラまで歩いていく。
村の近くで、シロはふいっと森へ入ってしまった。
久しぶりに見たスペステラは、家が建ち並び、春先に見たときより随分と村らしくなっていた。
村へ入ると、一番手前の大きな家から、薬事ギルドのマドレーヌと、スペステラ村の村長となったトライフルが出てきて出迎えた。
「ライアン様、リン様、おはようございます」
「おはようございます」
「おはよう」
「お越しいただき、ありがとうございます」
「トライフル、久しぶりだ。早速だが、案内を頼む」
バスケットをその場で預け、では、まず畑の方からご覧いただきましょう、と、トライフルが先導して、村を横切り歩いていく。
「養蜂用のカモミールやクリムゾン・ビーは、花を摘み取れませんので、小川の向こうのハニーミントの並びに植えてあるんです」
トライフルが左手の森の方を指した。
「石鹸や美容製品用の花畑は、右手、奥になります」
家が途切れると、途中で色を変えた絨毯のように、花畑が広がっていた。
手前はカモミールで、緑に、白や黄色が所々に浮かぶ。奥の方が真っ赤なクリムゾン・ビーだ。
真っ赤な絨毯の方では、何名かが作業をしている。
「森があるのに慣れているので、こう目の前が開けているのも、気持ちいいですね。それに風が甘いです」
「ああ。薬草花の香りがしっかり届いているな。生育の状況はどうだ?」
「今年は春先が少し涼しく、開花が遅めでしたが、問題はございません」
マドレーヌが答えた。
「カモミールは朝早く摘み終わり、工房と乾燥室に移してあります。今、クリムゾン・ビーを摘んでおりますね」
畑の脇道をクリムゾン・ビーの方へ向かうと、畑から出てきて一礼している者が見えた。サントレナから来て『金熊亭』に滞在している、ポセッティである。
「ポセッティさん、来ていらしたんですね」
「ええ、収穫が始まりましたから、毎日通っておりますよ」
足元には二つ大きな籠があり、花と葉の両方が摘まれて入っていた。細い花弁が幾重にも重なった、濃い赤の花だ。
「ポセッティ、ローズマリーに、ラベンダーはどうだ?」
「そうでございますね……。ここの気候がサントレナより一月ぐらい涼しい感じですが、やはり株が小さめに思えます」
クリムゾン・ビーの奥に、そのラベンダーの一角があるようで、そちらをチラリと見ながら言った。
「難しいか」
「あと一月様子を見たいですが、商業生産で使えるようにするには、もう少し育たないと難しいかと」
リンも数日前に、裏庭のラベンダーに水を遣りながら、同じようなことを言っていた。
「わかった」
乾燥室に花を運ぶというポセッティや村人達と共に、村へと戻る。
畑の脇に作られた農作業用の新しい水場で、花を素早く水洗いする。村人はぎこちないが、さすがにポセッティは慣れていた。皆で手分けをして洗い終わると、水を切り、村の入り口の大きな家に入っていった。
「ここが乾燥室で、その並びに石鹸を作る工房、その向こうが、まだ最後の仕上げ中ですが、酒の蒸留所です」
村人に続いて乾燥室に入ると、中は大きな部屋だけである。
棚が並び、花や葉が広げて干され、梁から吊り下がっている草もあって、薬草の香りが充満していた。
部屋の中、左右、双方向から風が吹き、空気がうまく循環しているようだ。
「ん?風の術師さんが来ています?」
「いえ、『風の石』を使っております」
マドレーヌが壁を指し、緑の石がはめ込まれているのを見ると、リンは目を丸くした。
「初めて見ました。『風の石』は、家に置いてないですよね?」
「この『風の石』はこういう乾燥室で使うぐらいだ。風を貯めて出すという、シンプルな魔法陣になっている」
ライアンもアルドラも、大量乾燥のような作業は滅多に行わず、工房に乾燥室は必要なかった。館にはきちんと薬草用の乾燥室があり、術師と文官が管理していて、必要ならそちらを使えるのだ。
「この強さは、『そよ風』ですか?」
「いや、確か『麦波風』が使われている」
風の通り道に麦が揺れ、波のように見える風だが、『そよ風』とさほど大きな違いが感じられないのだろう。リンは首を捻っている。
数時間ごとに、花の位置を入れ替え、まんべんなく乾燥させているようだ。
リンが、カモミール、クリムゾン・ビー、ハニーミントの側に、大量に緑の葉が広げられているのを見つけた。
「これはなんですか?」
「ハンターズギルドで刈り取った、オーティーですよ。さすがに多いので、用途を検討中です」
「刈っても、すぐに生えるのです。それでも刈らねば、子供達が森へ入れなくなります」
リンの問いに、マドレーヌとトライフルが答えた。
「ああ、触るといつまでもチクチクと痛いやつですね。確かすごく青臭かった」
「北では、食料に困った時、これも食べておりました」
「そうか。お茶にも入れられるんですから、食べられますよね。どうやって食べました?」
「そういう時ですから、茹でて、塩で味が付けばいい方でした」
「わかりました。ちょっと試してみますね」
乾燥室見学の後、石鹸の工房へと移った。こちらは、工房に、出来上がった石鹸の熟成室、倉庫と三部屋に分かれている。
熟成室の棚には、すでに多くの石鹸が並んでいた。
工房に入ると、かまどや鍋が片側に並ぶ中、反対の隅にも小さなかまどが作られ、その上に一抱えぐらいの、銅でできた蒸留器が備えつけられていた。
「蒸留器か」
「ええ。お酒の蒸留器と同じ職人さんにお願いして、作ってもらったそうです」
今までフローラルウォーターは、花びらを水に浸し、煮込んで作っていたらしく、リンが薬事ギルドで蒸留を試した時には、器具がなく、鍋を重ねて『青の女神』のフローラルウォーターを作っていた。
銅鍋の蓋は丸く膨らみ、蓋から斜め下に細長い管が伸び、蒸気を集めるようになっている。管はそのまま銅鍋の脇を通り、かまどの下に置かれた容器の中に延びていた。下の容器には水や氷を入れて、管を冷やし、蒸気を液体にするのだ。その液体がフローラルウォーターになる。
「カモミールでやって見ましょうか。摘み取ったばかりの花でも、乾燥したものでもできます。どのぐらいの違いがでるかは、やったことがないので試さないとわかりません」
リンは、鍋の底に『水の石』で水を貯め、その上に穴の開いた板を敷き、マドレーヌからカモミールをもらって載せた。
黄色のころんとした中心はしっかりと盛り上がり、白い花びらが後ろに反り返って、ちょうど良いタイミングで摘まれたことがわかる。
周囲に石鹸工房で働く女性達が集まり、手順を見ていた。
かまどに火をつけ、しばらくすると水の沸騰する音が聞こえ始めた。
「あ、その下の容器には、水と『冷し石』をセットしてください」
言われた通りに、女性達が動く。
そのまま見ていると、下の容器を通って出た管から、ポタポタと水が落ち、受け皿に貯まっていく。
花の香りも強く漂ってきた。
リンが周囲の女性達に説明する。
「これで多分、一刻ぐらいかかるでしょうか。注意点は、空焚きをしないこと、受け皿が溢れないようにすること、ですね。この水がフローラルウォーターです。あ、そうだ。マドレーヌさん、これには『水の石』の水を使った方が、いいんですよね?水場の水じゃなくて」
「その方が、フローラルウォーターが長く保つようです」
待ち時間の間、ライアンはリンを連れて、酒の蒸留所を見に行った。
もう一つと比べものにならないほど大きな蒸留器が、すでに運びこまれている。
今はそれを据える下のかまどを、土で固めているところだ。職人の挨拶を受け、中を見学する。
「……ライアン、随分と大きな蒸留器にしたんですね。フローラルウォーターのと、全然違うじゃないですか。大樽ぐらいありますよ」
「シュージュリーの元蒸留職人が、こういう大きさを使っていたと言ったのだから、仕方ないではないか」
「こんなにたくさんの、シロップを使うってことですね」
「最初は少量で試す。問題ない」
酒飲みの問題ないは、怪しすぎると言いながら、リンは大きな蒸留器をのぞいている。
しばらくして、マドレーヌが、色が変わってきていますと呼びに来た。
元の工房へ戻ると、受け皿に貯まったカモミールウォーターの中に、青色が混ざっている。
「これです。これが精油です。油だから、そのうち表面に貯まってきます」
「きれいな青ですね」
「カモミールは、私がやった時も青でした。でも、花によって違うから、黄色っぽい精油が多いですよ。後、量が足りないのか、精油が取れない花や葉もあります」
リンは、表面からこのオイルだけを、別の小瓶に取って保存してください、と、マドレーヌに指示する。
「カモミールウォーターは、直接肌につけても大丈夫です。精油は少ししか取れませんし、成分を濃縮したものですから、基本的にオリーブオイルやクリームと混ぜて使わないとダメなんです」
マドレーヌはせっせとメモを取っている。
「精油は、精霊術師が薬草の成分を濃縮したものと似ている、ということか」
「術師の仕事を奪ってしまいますか?」
「検証せねば効果がわからぬが、恐らくそうはならぬ。フォルテリアスの薬は本当に良く効くのだ。他国からは、精霊術のおかげで加護が薬にのるから、効果が高いのではないかと言われている。それに、精霊術だと一刻もかからぬし、できる薬の量が精油より多いと思う。精油が薬に変わることにはなり得ぬだろう」
「加護の力があるなら、効くわけですねえ。……ついでに味も良くなって欲しいですけど」
「本当に加護がのっているかはわからぬが、効くことは保証する。味より効果が大事だろう?薬なのだから」
リンは味も大切、と言うように、無言で首を傾げた。
そのままマドレーヌや女性達と打ち合わせているリンを残して、外へ出た。
ライアンもトライフルと、蒸留酒の予定を話していると、リン達が合流する。
「ライアン、お弁当を食べましょう。ちょうどいい時刻ですよ。マドレーヌさんとトライフルさんも、もしよかったらご一緒しませんか、多めに作ってきたのです」
皆が食事を取りに戻るようで、ポセッティも誘ったが、村で用意してくれているので大丈夫だといい、村人達と一緒に去っていった。
あそこがいいでしょうと、畑の脇に一本ポツンと立つ、大きなオークの木の下へ向かう。
畑の水場も近くにあって、ちょうどいい。
リンはピクニックバスケットの底から、薄い毛布まで取り出して敷くと、皆に座るよう促し、自分もさっさと腰を下ろす。
「今日はサンドイッチといって、パンに具材を挟んで食べる軽食です。えーと、こっちが卵サンドで、これが、ハムとチーズです」
ごそごそとバスケットの中から、手拭き用の布や、油紙に包んだサンドイッチを取り出した。
ライアンはすでに知っているサンドイッチだが、マドレーヌ達は初めてである。マドレーヌは特に、手づかみで食べることにも、戸惑っているようだ。
「少々行儀が悪いが、このまま食べてくれ。リンの作った物はどれも味が良いぞ」
「行儀悪いって、ライアンが昼ご飯を抜くので、執務中に食べられるように、師匠と考えたのですよ」
リンは早速サンドイッチに齧りつく。それを見て、トライフルもマドレーヌも食べ始めた。
「これは柔らかいですね。卵がふわりとしていますわ」
「このハムもソースが美味しいです」
「あ、それ、『金熊亭』のランチの肉料理が、シロップとスプルースのソースだったんです。甘酸っぱくて美味しかったので、ハムに塗ってみました」
「スプルースの酸味なのですね」
ヴァルスミアではこの時期よく使うソースだが、エストーラでは一般的ではなかったらしい。
「スプルースは木の香りは爽やかなんですけど、若芽を食べられるというから齧ったら、酸っぱいし、渋いし、苦いし、さすがあの喉の薬になるものだと思いましたよ」
リンは思い出して、顔をしかめている。
「ホホホ、リン様もあの薬は苦手でございますか」
「あれを得意な人はいないですよねえ。……あ、でも、スプルースは、精油を取って見たかったんです。たぶん森の香りがウィスタントンらしいかなと思うんですよ。工房でやって見ます」
「工房には蒸留器がないが、入れたほうがいいだろうな」
「薬事ギルド用に蒸留器を作りますから、合わせて注文しておきます」
ランチの時間も、結局四人で、今後の開発についての打ち合わせとなった。
それでも青空の下、目の前には花畑が広がり、リンが言ったとおりに心地良い時間だった。
サンドイッチを食べ終わると、リンはティーセットを取り出した。
「バスケットが重いわけだな」
「ティーポットで淹れると美味しいんです。ラミントンから新しい磁器のセットが届けば、軽くなります」
リンはそう言い置いて水を汲みに行き、『温め石』を入れて、お湯を沸かした。
バスケットから、ベリーの入ったチーズケーキまで出てくる。
石鹸の改良案などについて話しながらお茶を飲んでいると、村でも食事が終わったのか、人が歩きはじめた。乾燥室や別の畑へと散らばっていく。
薬草花の栽培だけではなく、森へ入る者もいれば、豆などの作物の畑も世話しなければならない。新村にはやらなければならないことが、山ほどあった。
「収穫時期は忙しいだろうが、人手は足りているか?」
「はい。早朝には、ハンター見習いの子が収穫を手伝いに来てくれます。大人は羊の毛刈りで、今週は、遠方まで羊を洗いに出かけているそうで」
「ああ、その時期だな。足りないようだったら、言ってくれ」
きゃあと、甲高い声が風にのって届いた。少し離れた所に少女たちが固まって、騒いでいる。
「すみません。あちらは養蜂の箱が置いてあって危ないので、別の方へ誘導してきます」
トライフルが立っていく。
「夏至前ですものねえ」
「楽しそうですよね」
「何が夏至前なのだ」
「ライアン、ほら、あれたぶん、クリムゾン・ビーで恋占いをしているんですよ」
「ああ、そう言っていたな」
いい結果か、悪いお告げか、数人で頭を寄せ合っているのが見える。
毛布やティーセットをバスケットに片付け、村へと足を向けた。
「よし、私も一本もらってきますね」
そう言ってリンは、女の子達の方へさっさと歩いていった。
リンが誰との恋を占いたいのか、気にならないわけではない。どんな結果がでるのかも。リンが戻るのを待って、手を見るが、まだクリムゾン・ビーが丸々と残っていた。
シロが森から合流したようで、じゃれて遊んでいる。
「戻るか」
まだ村に残って作業をするマドレーヌと別れ、皆の挨拶を受けて二人と一匹で、工房へと戻る。
前を歩くリンの手元から、ひらりひらりと赤い花びらが散っていく。
ライアンはさりげなく横に並んだ。
リンはクリムゾン・ビーの花びらを引き抜くと、口元に持っていく。
じっと見るライアンに、リンはひょいと花を差し出した。
「ライアンも吸いたいですか?甘いですよ」
恋占いのためなどではなかった。
ライアンはふうと息をついて、花びらを一本引き抜いた。
恋占いの花の蜜は、ほのかに甘かった。





