Self-positioning / 自分の立場
工房脇の執務室で、ライアンを前に、リンは思案気なため息をついた。
リンの手元には、精霊石となるフォルト石の山があって、大きさで石を選り分けていた。
最初は、フィニステラの文官による茶の栽培日記を、ライアンが読み上げるのを聞いていたのだ。私的な日記とはいえ他領の記録なので、ライアンかシムネルが読んでいる。聞いているだけでは申し訳ないと思うリンは、同時に手作業もしているのだ。
日記はまだ最初の方で、文官がやる気に満ちていることぐらいしかわからないが、ため息をついたのは、フォルト石や日記のせいではなく、全く別のことだ。
王都へ行くのに、リンも貴族の社交にでることになるという事と、そのために身分があった方が自分を守りやすいという事を、ライアンに説明されたばかりだ。
「王都で社交に出るつもりはなかったんですけど、それも難しいんですね?」
「春の大市で、リンの事がかなり知られたし、交流を望まれるだろう」
「身分を保証するために、精霊術師見習いとして登録するってことですか……」
「貴族の養女になるという方法もあるので、リンが望むなら、父上に頼むこともできるが」
「いえ、さすがにそれは……」
こちらに来てから、貴族も社交も少しは慣れて来たと思うが、自分自身が身分を得るというのには、首をひねってしまう。
精霊術師見習いとして登録すれば、同時に国中で二名しかいない賢者の、三人めの見習いとして認知、披露されることになる。だからこそ身分が保証されるのだが、どうにも気乗りがしなかった。
考え事をしていると手元がおろそかになり、違う大きさのフォルト石が混ざってしまう。慌てて正しく分けなおすと、手に持った石の袋を置いて話に集中した。
「今のままではダメなんですね?」
「嫌か」
「そうすれば、問題が減るのはわかります。大市に来た貴族で、いきなり人を見下す人もいましたから。でも、登録後の生活がどう変化するのかわからなくて」
「あれは極端な例だが。まあ、すぐ決めるのも難しいだろうな」
「私、精霊術師になるということが、よくわかってないんですよ。術師の仕事とギルドの関係がわからないというか。……精霊術師ギルドに行ったこともないですしね」
リンはハンターとしてギルド登録がされているけれど、ハンターとして活動していない。
精霊術師として登録はしていないけれど、精霊術は使っている。
他の人のように、普通にギルドを使ったことがないのだ。
ライアンの進学を拒否した精霊術師ギルドにも、あまり良いイメージを持てなかった。アルドラ、ライアン、オグが、それぞれ喧嘩したようなギルドである。それでも、シロップ造りや、『冷し石』の作業で出会った精霊術師は皆、感じのいい人ばかりだったし、ハンターズギルドをはじめ、商業、薬事、木工などのギルド担当者と大市で奮闘したが、全員、領の発展ために一生懸命だった。
「一般的に言えば、ギルドに登録すれば、術師や見習いが報酬で不利益を被ることが少ない」
「それはわかります。どのギルドも一緒ですよね」
無資格で何かするより、資格があれば報酬が高くなるのはわかるし、登録者の権利を守り、いざとなれば、対外的に交渉するのもギルドの役割だ。
「そうだ。ギルドに登録料や手数料を払わねばならぬし、一定数のギルドの仕事を受けねばならぬが、必要な情報が提供され、仕事に必要な物も個人で入手するより廉価で手に入る。どのギルドもそうやって、所属している人間を守る」
「ええ。わからないのは、例えばシムネルさんは、風の術を使えますけれど、精霊術師ではないですよね?フログナルドさんもそう」
だから精霊術師としての登録が必要なのか、わからなくなってしまうのだ。
「そこは国の教育システムと関係がある。フログナルドは士官学院へ通って騎士となり、シムネルは高等学舎へ行った」
ライアンが教えてくれたのは、貴族の教育課程だった。
フォルテリアス国内の高等教育機関は、士官学院、高等学舎、精霊術学校の三つにわかれていて、十四歳から三年間、そのいずれかで学び、十七歳で卒業と共に成人となるのだ。
精霊術学校へ通い、卒業試験に合格してはじめて、精霊術師として認定される。
十四歳までは家庭教師についても、十二歳から二年間、王都の初等学舎に通ってもいい。
「士官学院の基礎鍛錬、基礎体術や、高等学舎の外国語、文官基礎、精霊術学校の古語、精霊基礎知識、力に伴う体調管理といったものは、すべての学生に開かれている。だから、シムネルやフログナルドのように精霊の加護を持つ者は、他の学校へ行きながら、補助的に精霊術の授業をとる者も多い」
「加護があっても、シムネルさん達は、精霊術の学校を選ばなかったんですね」
「騎士になりたい、領政に携わりたいという意思があったからな。貴族にはそういう者も多い。逆に平民は、加護があると、術師になることを選ぶ者が多い。……ああ、この三つの学校で、唯一平民にも開かれているのが、精霊術学校だ」
平民で加護を持つものは、国の高等教育を受ける機会があり、その後の生活に困ることがない術師になるという。平民にも術師となる門戸を開き、不当に搾取されることがないように作られたのが、精霊術師ギルドと精霊術学校だった。
「平民の人は、精霊術学校に入るまで、どうやって勉強するんですか?」
「十歳までに加護の有無を調べて、十歳で精霊術師ギルドに見習い登録をして、術師の元で修行する。そこは他の職業の見習いと一緒だ」
「精霊術師の見習いになると、私も、王都の学校に行かないといけなくなりますか?」
私は許可がもらえなかったが、とライアンが皮肉気に笑う。
「私のように、卒業資格試験のみ受けると言えばいい。いつまでにという規則もなければ、受けなくても問題はない」
「今の生活と変わらないなら、ギルドに登録してもいい気がするんですけどね」
「どちらにしても、リンにはもう少し、体調管理や基礎の精霊術を学んでもらおうと思っているが。……リン、忙しそうだが、時間はあるか?」
衣装用のレースはすでにレーチェと話し合って、後は仮縫いだけだ。ケーキスタンドと扇子はクグロフの作業待ちで、紙の扇子も、花の意匠はウォーターマークで透かしを入れることになったので、そちらもリンは確認と助言だけである。
「うーん、どうでしょう。石鹸や美容関連の製品は、材料があるこの季節に、なんとかしないとならないものが多いですね。料理は、材料が揃えば、師匠達と試作する予定です。一番時間がかかるのが、精霊石を使う新商品ですね、やっぱり」
テーブルの上で、いくつかの山になっているフォルト石を見た。新商品の検証にたくさん使うので、こうやって選別しているのだ。
「ギルドに登録がなくても、すでにこれが見習いの仕事で、こうやって精霊の使い方を覚えていくのだが。……リン、木や石に対してなら、グノームを使うのだ。グノーム、セパランダ マニデューディネ オブセクロ」
そういってライアンは、フォルト石の山を一発で分ける方法を見せた。光のオーブが飛び、石が机の上でカタカタ、コロコロと動き回るのを、楽しく眺める。
「この一部は、新しい術師見習いの加護石となる。来週には精霊術師ギルドで、その授与式もある。その時、一緒にギルドへ行ってみるか?」
「いいんですか?」
「そういうのを見てから、決めるのでも遅くはない。リンが嫌なら、別に今のままでもかまわぬのだ」
リンが貴族のわがままな振る舞いや、横暴な命令で傷つくようなことになって欲しくはない。でもそれは、ライアンが守ればいいことだった。





