nibbles and drinks / つまみと酒
長めです。
「艶があって、色っぽいよねえ」
ライアンが館で眉間にシワを寄せているころ、リンは家の厨房でつまみの材料を眺め、ニマニマと怪しい笑みを浮かべていた。食材の感想が、色っぽい、なのだ。
今日はまた一人ごはんの日である。
あと数日でとうとう大市も終わる。ライアンは連日、館に呼ばれているけれど、今宵は最後の大晩餐会らしい。
一人ぐらいいなくてもわからぬ、と抜け出し宣言をしていたが、その一人が有名アイドルな場合、すぐにばれるだろう。
リンの晩御飯の内容は決まっていた。酒のおつまみだ。
忙しいライアンの代わりに騎士二名をつけられてしまったが、あちこちの天幕をのぞき、春の食材を見つけた。それでもう頭の中は、つまみで一杯だ。リンの優先順位は、まずつまみ、そして酒である所が、普通の酒飲みと違う所かもしれない。
五月も半ば、日が延びているのを実感する。夕方、買い物の後で少し遅くなってしまったが、まだ大丈夫と、シロを連れて森に入った。
ブルダルーに教えてもらった、木の芽を見に行く。フォレスト・アスパラと呼ばれる木の芽で、白い茎に穂先が緑と、確かにアスパラに見えなくもない姿をしている。ブルダルーは茹でてサラダや付け合わせにしていたけれど、ほろ苦さと濃い香りが、いかにも春らしい。ニョキニョキとすごい勢いで伸びる芽で、リンはこのところ毎日、ウェイ川沿いをのぞいている。
「これはやっぱり、天ぷらかな。なんか、こういう山菜があった気がするけど」
アレの名前はなんだったか、と考えながら森の塔前までくると、聖域参拝をしているらしい痩せた男に会釈をして通り過ぎた。昨日も見た顔かもしれない。熱心だなと思いながら、足取りも軽く、まず『金熊亭』に頼んでおいたものを受け取りに入った。
厨房のテーブルに置いたつまみの材料を眺めると、自然に顔がにやけてしまう。
近くの村から来た、ヤギのフレッシュチーズ。
なぜか春に産まれた子ヤギが三匹、商台の下にちょこんと座っていて、その真っ白でフワフワな塊に、ピンとした耳、真ん丸な黒目の愛らしさに、フラフラと近づいてしまった。
すばらしい客引きだ。
それをみた瞬間、騎士がさっとシロを遠ざけてくれたのは、さすがの反射神経で、ファインプレーだ。
子ヤギが産まれた後の今の時期は、ミルクは濃厚になり、乳製品がおいしいらしい。チーズクロスで絞ったような跡が残る、真っ白いフレッシュチーズは綺麗だ。ヤギ臭さも少なくて、試食して、いくつか風味が違うのを買い込んだ。
南隣の領産で、今年の初物だよ、といわれたそら豆。ウィスタントン産はあと半月先になるらしい。親指ぐらいの実はふっくらとして、皮がピンと張り、ツヤツヤと緑白い。
大好物を大量に買ってきた。
「くふふ、そら豆って、なんでこう可愛くって、艶があって色っぽいんでしょう」
ちょっと変態チックな事を言って、鞘からせっせと実をだし、黒い部分の反対側に浅く切り込みを入れていく。半分は塩ゆでで、もう半分は鞘ごと焼こうかと思っている。
そこにライアンから、シルフが飛んできた。
『リン』
「アチピタ デヴェルヴィス ライアン」
『リン、タブレット、ラグナルと抜け出し、これからオグと合流するのだが、工房に行っても良いだろうか』
今日の「一人おいしいつまみを味わう会」は、普通の宴会になりそうだった。
すぐにシルフを送り返す。
「レコダレントゥラ ヴェルバ。つまみがあります。お好きな酒を持ってきてください。ミジット オブセクロ ヴェルバ ライアン」
しかし、ライアンもだけれど、領主や国の代表が抜け出してしまって、社交はいいのだろうか。
シンプルにしようと思った夕食だけれど、男性がいたら足りないかもしれない、と冷室を開けた。
ラミントン領の屋台で、「嬢ちゃん、これ、食べてくれよ」ともらった木箱には、大きめの海老がぎっしりと入っていた。
ミディ村から来ている男は、もうすでに何度もリンに礼を言ってくれたのだ。焼き貝の売り上げも良くなったし、村の貝もオイル漬けでもっと売れ、何より冷室でどれだけ楽になったかと。
せっかくだから皆がいる時に、と思って取っておいた海老を出し、殻をむいて下処理を始めた。
「サラマンダー、お願い。このパン焼き窯を、いつもみたいに温めてくれるかな」
パン焼き窯は、まず薪を中で燃やして温めてから、炭と灰を掻きだして使うのだけれど、温度調節が難しいのだ。サラマンダーだと、薪要らずでやってくれる。ブルダルーが作ってくれた鴨の胸肉のローストとパンをそこに入れ、蓋をしめた。ちょっと温めるぐらいでいい。
「ありがと」
その辺りにいるであろう、サラマンダーに声をかけた。
別の鍋に、そら豆用のお湯も沸かす。これで熱々がだせるだろう。
小型の冷室に追加のグラスも足した。
「リン、今戻った」
「邪魔をする」
「こんばんは。お久しぶりです」
「よお」
階下から物音がして、口々に挨拶をしながら四人が厨房を覗き込む。
オグは片手に、どこかで調達してきたらしい、ビールの小樽を抱えている。
テーブルの上にぎっしり並ぶ食材を、興味深そうに眺めた。
「支度中だったか。すまない」
「いいんですよ。向こうで飲み始めていてください。熱々がいいのもあるので、もともと厨房で料理をしながら、食べようと思っていたので」
「なら、俺たちもここでいいんじゃねえか?」
「ああ、ここならリンの調理の様子が見えて、面白いではないか」
「そうだな、ここで始めて、リンが終わったら部屋に移動すれば良い」
そういって、四人は椅子やカップやカトラリーを居間から持ってきて、厨房の大テーブルに座を整えてしまった。
リンは慌てて、未調理だった海老やそら豆を脇の台へ寄せる。
国の長、領主、領主一族で賢者、元領主一族というメンバーだが、厨房で食べても気にしないらしい。
「ええと、じゃあ、ヤギのフレッシュチーズ。お好みで、塩、胡椒、タイムやオリーブオイルをかけてくださいね。岩塩、海塩、で、これはサントレナの塩レモン。あと、こっちもヤギのチーズですけど、『金熊亭』で燻製にしてもらったんです」
テーブルには、それ以外に温めた鴨肉のローストとパン、やはり『金熊亭』から卵の燻製と豚レバーの燻製スライスが並んでいる。
リンもまずはビールをもらって、乾杯だ。
「ドルーと精霊に。乾杯」
リンはビールを一口飲み、フレッシュチーズをそのまま口に入れた。しっとりと柔らかく、甘みは、ヤギの乳の甘さなのだろうか。
「塩をほんの少し足すぐらいで良さそうですね」
「ああ、リンはあまり飲まぬからな。ビールには、この燻製も合う」
「ライアン、燻製が好きですよね」
「なあ、タイムに塩レモンもイケるぞ」
それぞれの好みもあり、言い合いながら食べ比べ、皆、旺盛な食欲だ。リンは安心して、かまどに立った。
「はい。次はこれ。そら豆の塩茹でと、こっちは鞘ごと焼いたんです。熱いので気をつけてくださいね」
熱々のそら豆、二種類を出す。焼いた方は、鞘が黒く焦げたぐらいがちょうどいい。
リンはテーブルにナプキンを配り、そら豆を摘まみながら、天ぷらの支度にかかった。
美しい緑に茹であがった豆は、しっとりとして、香りが爽やかで甘い。塩加減もちょうど良かった。ああ、これこそ春だよねえ、とうっとりする。
「なんだこれ。焼いただけなのに、なんでこんなにうめえんだ……」
背後からのオグの声に答える。
「ホクホクですからね。鞘で蒸し焼きになっているんですよ」
「お酒が進みますね」
「そら豆はいつも思うが、滑らかな女の肌のようで、艶があって、こう、色気を感じるよな」
タブレットが茹で豆をつまんで眺めながら、感想を口にした。
「お前いっつもそうだよな。肉のほんのりとした赤にそそられる、とか、そんなのばっかじゃねえか」
「そうですよね!食は時に官能的ですよね!」
リンは思わず振り返って、賛同した。さすがタブレットだ。よくわかっている。
その勢いに皆が驚いているのに気づかず、うんうんと、うなずきながら、リンはフォレスト・アスパラの天ぷらを揚げ始めた。
酢水にさらしてアクを抜き、水分を拭きとった。粉を軽くはたいてから、さっと衣をつけて揚げる。粉も水も冷やしておいたし、カラリと揚がるといいけどと思いながら、手に削ってもらった二本の棒、菜箸を構える。
さっと揚がった穂先を、紙を半分に折った上に積んで、テーブルに置く。
「これは天ぷらという、私の国の料理なんです。熱いうちに、塩をつけて食べてください」
「ふむ。これはおいしい。食べ慣れた木の芽だが、全く違う」
「これはオイルをたくさん使った、贅沢な料理ですねえ。でも、本当においしいです」
「我が国にはない食材と料理だな」
熱々がおいしいので、立ったり座ったりで行儀が悪いが、他が揚がるまでに、一つを取った。
止まらずに、つい、もう一つと手が伸びる。山菜の天ぷらは止まらないのだ。
オグが、ビールをぐいっと飲みほした。
「でてくる料理が、どれもビールに合いすぎて困る。つまみ、ビール、つまみ、と終わらねえ」
「ふふ。今日は、おつまみを食べたかったんですよ。まだまだ出てきますよ。ラミントン領の海老をもらったんです」
「え、うちの領ですか?」
「屋台の方にお礼だと頂いたんですよ」
次は海老の天ぷら、それから半分は海老のアヒージョにした。
小さめのフライパンに、オリーブオイルをたっぷりと入れて、ガーリックに『サラマンダーの怒り』を加え、温めて香りを出してから、海老を加える。
「これはガーリックの香りだな」
「ますます、酒が止まらねえじゃねえか」
そうだろう、そうだろう。
最初に天ぷらだ、そこに追い打ちをかけるように、アヒージョがいく。新鮮な海老だから、あまり火を通さなかった。
「はい。海老の天ぷらです。それから、これも熱々の海老のアヒージョです。どうぞ!」
それからは、飲んで、食べて、飲んで、と無言で咀嚼する時間が続いた。
リンの場合は、最初の一杯のビールがまだ残っている。食べて、食べて、食べての時間だ。
ふう、とラグナルが満足の一息をついた。
「リン、天ぷらも、このアヒージョというのも、とてもおいしいです。アヒージョはオイル漬けとは、また違うんですね」
パンをちぎってオイルに浸しながら答えた。
「材料はほとんど同じですけど、これはすぐに食べますね。食堂メニューでしょうか。ミディ貝でやっても美味しいですよ」
「確かに。食堂でやったら、いいかもしれませんね」
「ビールの売り上げも一緒に上がると思いますよ」
リンは周囲を見回して、ニヤリと笑った。
「リン、これのレシピもロクムに伝えておいてくれ。それから、その二本のカトラリーもだ」
「これは、棒を削っただけですよ?それに、箸は使い慣れてないと難しいと思いますけど。それより『スパイスの国』で胡麻の油。えーとセサミのオイルを絞りませんか。私、喜んで買います」
「セサミオイルだと?」
「ええ、この天ぷらが更においしくなる、魔法のオイルです」
皆で、じーっと海老天を見つめて、タブレットの顔を見た。
胡麻油、あの薫り高い魅惑のオイル。
できたら、ワンタンスープを作って、にんにく辣油をさっとかけてと、リンの顔がニヤケる。
「……作り方は知っているのか?」
「焙煎せずに絞った油と、琥珀色をした焙煎してから絞ったものがある、ぐらいしか知りません。でも、香ばしくてですね、一滴で風味が変わるんですよ。肉、魚、野菜と何にでも使えますし、売れるのは間違いないです。私、レシピもたくさん持ってますよ」
製造して欲しいので、まるで胡麻油会社の営業のように誘惑する。
「レシピもくれるのなら、試してみよう」
心の中で思い切り、ガッツポーズをした。
テーブルの上の料理は、ほとんどなくなり、お腹も満腹でいい気分だ。
では最後に、とリンは立ち上がり、小型の冷室を開けた。
「そろそろ皆さん、強いお酒でもいいと思うんですけど」
氷ができるぐらいに、と精霊に頼んで冷やしてもらった冷室から、グラスと瓶を取り出す。
「サントレナのレモンでできた、リモンチェッロです」
「できたのか」
「ええ。一週間前にヴァルスミア・シロップを加えて、更においておきました。夏に食後酒として、よく冷やして、少し飲むのがおいしいのですよ」
精霊に頼んじゃいました、と言いながら、グラスに少しずつ入れていく。
「甘さは少しだけ抑えましたけど、それでも男性には甘いかもしれません」
少しトロリとした酒を口に含むと、まず甘味とレモンがぐわっと濃厚だ。喉を過ぎると胸がカッと焼ける。鼻に抜けるのは、レモンの爽やかさと、サントレナのレモンの甘味だろうか。
「これは確かに甘いが、サントレナのレモンが濃縮されたようだ。香りもいい」
「食後にはいいかもしれないな。女のデザート、男は酒のデザートってとこか」
「我が国では流行りそうな酒だ。暑いので、このように爽やかなのは好まれる」
「私にはちょっと強いかもしれません」
そういうラグナルに、リンはもう一杯を出してみた。
「私にもこれは、きつすぎるんです。だから、果汁などで割るんですけど。今日はこれです」
サントレナレモンの果汁に、リモンチェッロを加えて混ぜる。そこに、ブルダルーがムースの上にかけるように作った、真っ赤なベリーの甘いシロップを、そうっと加えた。赤のシロップの方が重く、グラスの底に沈む。底の赤から黄色へのグラデーションが綺麗だ。
「リモンチェッロ・サンライズ リン風です」
「これは綺麗な酒だ」
「リンは酒のレシピも持っているのだな」
「いや、お酒はそんなにないですよ。これも本当は他のジュースやシロップなんですけど、まあ、ここにあるもので。男性は、白ワインや他の蒸留酒と混ぜてもいいですし、師匠はデザートに使いたいみたいです。『スパイスの国』だったら、ジンジャーと合わせても、きっとおいしいですよ」
皆がまったりとしてきて、男性陣は向かいの居間へ移ることになった。
リンは最後のリモンチェッロでヘロヘロだ。もう休むに限る。シロを呼び寄せた。
「リン、おいしかった。礼をいう」
「本当です。大満足でした。おやすみなさい」
「突然悪かったな。うまかった」
「リン、ゆっくりと休んでくれ。精霊の加護が眠りとともにあるように」
「おやすみなさい。どうぞごゆっくり」
シロとトントンと階段を上がっていく。リンの声が降ってきた。
「シロ、今日のお風呂はラベンダーでいいよね」
途端に男性陣はここにいてはいけないような気分になり、酒とグラスとほんの少しのつまみを持ち、そそくさと階下の執務室に移動した。
リンの思い出せないフォレスト・アスパラに似た山菜の名前は、ウド。(のつもりで書いています)





