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The visitor / 訪ねてきた者

 リンは天幕へ行く前に薬事ギルドの工房に立ち寄り、石鹸の担当者と一仕事を片付けた。


 『レーチェ』の私室で試された塩とオイルでのマッサージは、肌が柔らかく、ツルツルになる、と好評だった。

 薬事ギルドならハニーミントのオイルもあるし、預けておいたラベンダーもちょうど使ってもいい頃だという。

 塩石鹸だけでなく、オイルと合わせてマッサージソルトとしても、『大市限定』でテスト販売をしてもいいのでは、というのが女性陣の意見だった。

 マドレーヌは塩を売っている夫婦のところへ話をしに行き、そのような動きがあることを伝え、もう少し納品をお願いしてきた。できた製品を委託して販売するのもいいかもしれない。

 マッサージソルトだけでなく、リンのブラも皆の興味を引き、レーチェはさらに注文が増えた。

 リンは脱ぐ度に注文が増えていることに、なんともいえない気分だ。


 天幕に入ると、リンは木工細工用のやすりを借り、クグロフの後ろに座った。

 膝にチーズクロスを広げ、大きく透明な塩の結晶を手に持ち、ガリガリと表面が滑らかになるように削っている。

 結晶のままお風呂にドボンでもいいけれど、削れば形がかわいいし、塩の結晶でマッサージするエステもあった気がする。

 これはお風呂に手軽に入れるような、そして侍女がマッサージをするような立場の女性向けだ。

 隣ではガレットが、ここに座っているだけでは暇だからと、同じようにガリガリとやっている。最初のいくつかは丸くなめらかに削っていたが、今度は見ている間に違う形が削りだされていく。


「ガレットさん、それ、もしかして」

「はい、フォレスト・アネモネでごぜえますよ」


 花びらが重なる様子も、そのカーブも、表面の筋も、手の上で花が咲くようだ。とても塩だとは思えない。

 出来上がったものを渡されたが、リンにはお風呂で溶かせそうもない。これはもう、窓辺において飾っておくべき工芸品だろう。

 思わず、これもお願いします、と、塩の結晶の入った瓶を渡してしまった。


 ガレットと話していると、天幕の前に、若い男が護衛を一人連れて現れた。

 比較的簡素な服を着ているが、恐らく貴族だろう。

 マントの色は二人ともバラバラで、どこの領地なのかもわからなかった。

 今日は商談の約束があっただろうか、と考えながら、リンは貴族向けの挨拶のために腰を落とした。


「ようこそお越しくださいました。本日は、お約束をいただいておりましたでしょうか」


 男は少しためらって言った。


「私はラグナルという。……ハンターズギルドのオグ、殿はこちらにおられるか」


 すぐにわかった。

 この領の西隣にある、ラミントン領の領主、若きラミントン侯爵その人だ。

 オグの弟である。

 

 商業ギルドの一人がハンターズギルドへ連絡に向かった。オグが見回りに出ていないといいのだが。

 リンは奥の応接セットに二人を案内した後、衝立の後ろに入り、ライアンにシルフを飛ばした。『冷し石』の登録前の最終調整で、午後は商業ギルドの一室に籠っているはずだ。


 ラグナルは緊張しているのか、怖いような、こわばった顔をして座っている。

 こっそりと顔を見てみたが、あまりオグと似ているような所はない。

 ダークブラウンの髪の色と、アンバーの目の色は一緒だが、ラグナルはとてもハンサムだ。オグのような威圧感もない。

 オグがハンサムじゃないとは言わないが、あごを覆う髭がすべてを隠してしまい、よくわからないのだ。


「もしよろしかったら、お待ちの間に、こちらをどうぞお試しください」


 後ろで立つ護衛の人にも一緒に、カモミールとハニーミントの薬草茶と、ヴァルスミア・シュガーのメレンゲクッキーを出した。

 これで少しはリラックスしてくれると、いいのだけれど。


「この領の新商品、薬草茶と、ヴァルスミア・シュガーを使った菓子になります」

「こちらが……」


 護衛がうなずいて許可を出し、ラグナルはクッキーを口に入れて味わった。


「しっかりと甘いですね。それに風味もいい。これがこの領でできたのですか」


 ご領主夫人の薔薇のカップを持ち、薬草茶を一口飲むと、カップを見て何かに気づいたようだ。


「こちらのカップはたぶん、うちの領でつくられた物のようですね。なかなか良い磁土が取れるのです」


 そこにまず、ライアンが戻ってきた。

 ラグナルが立ち上がる。


「ご連絡をありがとうございました。お久しぶりです、ライアン」

「ああ、本当に久しぶりだ。もう少し後まで来られないと思っていたのだが」

「ええ。公的にはもっと後になります。週末に、森へ行くと言って、抜けてきてしまいました。どうも落ち着かなくて」

「そうか」


 ライアンは苦笑している。

 もう一度ラグナルに座るよう促した。


「今、こちらの領の新商品をいただいていたところです」

「ああ。ラグナル、紹介しておこう。これらを開発した、リンだ」


 ラグナルは驚いて、リンを見た。


「そうですか。話には聞いておりましたが、これを貴女が。……ありがとうございます。我々の領地に、どれだけ助けになるかわかりません」


 ハンターズギルドに連絡に行った者が戻ったが、オグは見回りだった。

 ギルド長室をエクレールが整えていると聞き、そちらで待つことにした。


「エクレール、助かった」

「いえ。ハンターが探しに行っておりますから、すぐに戻ると思いますので、中でお待ちください」


 エクレールを見送って、ギルド長室を占領している応接セットに腰を下ろした。


「兄上はここで働いているんですね」

「そうだな。だが、ここは形だけ部屋を持っているようなものだ。昔から其方の兄は、机の前に落ち着かぬ。常に領民や難民の面倒を見て、動きまわっている。領としても助かっているし、友人としても誇らしい。……本人には絶対言うなよ」


 ライアンがそのようにオグのことを言うのを、初めて聞いた。

 確かにオグはそんな感じだ。リンもその言葉に、うんうんと、うなずいた。

 

「そう、ですか。……ライアン、兄上が家を出された時、私はまだ(トオ)になったばかりで、何もできずにおりました。何が起こったのかもよくわからず、悔しくて、何を言っても、もう遅くて」


 歳は離れていたが、その分仲が良くて、ラグナルは可愛がってもらった記憶しかない。

 始めは大賢者の元へ勉強に行き、その後王都の精霊術学校へ進学したので、なかなか会えなかった兄だ。やっと卒業して領へ帰ってくると思っていたら、二度と会えないと言われた。

 もう十三年も前のことになる。


「その歳では何もできずとも当然だろう。当時、精霊術師ギルドは、オグの卒業資格を盾に取ってまで、取り込もうと必死だった。オグはそれを良しとしなかったのだよ。三つの加護を持つオグを誇らしく思い、期待をかけていた分、其方の父上には失望が大きく、勘当したということになっている」

「他の理由が?」

「最初は確かにお互いが冷静さを欠いていた。だが落ち着くと、オグも自分が残ることで、ギルドから何を言われるかわからぬと領を出た。其方達の父上も、すぐに理由を察した。だが、その上でオグを自由にしたのだよ」


 ライアンにはそう見えた。

 領主会談がある度に、私的にオグの近況の話が出ていた。

 

「兄上は、こちらでの生活で、幸せでしょうか」


 ラグナルは答えを求めて、まっすぐにライアンを見ている。


「ああ。大丈夫だ。よく笑っているぞ。其方のことは、常に心にかけているだろうが」


 その時、バタバタと廊下を近づいてくる、急いた足音が響いた。

 ノックもなく、ガチャリとドアが開く。


「兄上」


 ラグナルが慌てて立ち上がる。

 十三年ぶりの対面だ。

 ライアンを通して、それとなくお互いの様子は聞いていた。機会があると遠くから姿を眺めたこともあったが、面と向かうのは、別れて以来初めてだ。

 ラグナルはオグの髭の中に、オグはラグナルの成長した顔の中に、別れた時の面影を見つけていた。


「ラグ、お前、来るのが予定より早いだろう……」

「なるべく早くお顔を拝見したくて。グラッセに抜け出すのを協力してもらい、来てしまいました。護衛も用意してくれて」


 本当に侯爵が内緒で抜け出してきたらしい。

 

「グラッセだと?あのおてんば、相変わらずなのか」

「おてんば、などと言わないでください。いえ、おてんばなのは変わらずですが、私の婚約者なのですから」

「婚約者だと……?」


 オグは弟をまじまじと見つめて、苦く笑った。

 

「そうか。……お前もそういう歳になったんだな」

「ええ、兄上。グラッセも十八ですよ。秋には父上の喪も明け、婚儀となります」

「あのグラッセがなあ。チビが『青の森』の一番高い木に登って、降りられなくなっていたイメージしかない」

「今はもうチビではありません。私と同じぐらいの背丈がありますよ。森で一番狩りの腕がいい、頼もしい相棒です」


 オグは唖然とした後に、首を振っている。

 ラグナルの婚約者は勇ましい女性の様だ。


「全く変わってねえ、というべきか。……まあいい。座れ、ラグ。ラミントン領の未来を変える話をしよう。驚くぞ」


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