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A day before the great market / 大市の前日

 ヴァルスミアの街は大市が近づくにつれ、景色が変わってきた。

 マーケットプレイスに張られた大型の天幕の列が、日ごとに増えている。ここは街の中央にあたるので、各国、各領といった公式の交易拠点が多い。

 ここを中心に、街道に続く各城壁門 ―『北門』『船門』『南門』『西門』― に向かう道が出るが、この道の両側に、ぎっしりと中小規模の店が並ぶようだ。


 明日から大市が始まるという本日、あちこちで商人を中心に、各地の文官が監督して、天幕と商台の設営を行っている。

 商品が並ぶのは、明日の早朝だ。


 その設営中の各天幕を、館の文官と商業ギルドの担当者が一組となって見回っていた。


「設営に問題はございませんか?こちらは水の石、大型で五個を希望とのことですが、変更はないでしょうか」

「ございません。例年を考えましても、そのぐらいございましょう」


 事前に各地から申告されたリストと照らし合わせ、最終確認と説明をしていく。


「かしこまりました。では、こちらが水の石、大型、五個です。ご確認ください。例年通り、最後に商業ギルドで返却を願います。途中追加も可能です」

「あと、こちらが今回よりお使いいただけます。『火の温め石』です」


 見慣れた水の石の後に、ウィスタントンの文官が差し出したトレイには、布袋に入れられたものが、二つ載っていた。


「『火の温め石』ですと?そのような物は、見たことがないですが」

「はい、この大市のために開発されたのです。すぐに貴領のギルドでも扱われると思いますが、ここでまずお試しください。火の使えない場所で、大変便利ですよ」


 文官がそれぞれの布袋から、赤い精霊石を取り出して、使い方を説明する。


 リンのお風呂用の石は『火の温め石』という名に決まった。

 ライアンは、サラマンダーの力を抑えた魔法陣を作成し、何度も協議を繰り返した。超大型でなければ、他国に出荷しても脅威となり得ないと、流通が決まったばかりである。

 精霊術師ギルドに登録を済ませたばかりの、最新の精霊道具だ。


 各地の火の精霊術師が、さすがは賢者だ、あのサラマンダーを抑えることが可能とは、と目を皿のようにしてその魔法陣に見入っていたことを、ライアンは知らない。その術師は、ライアンがサラマンダーにしょっちゅう困らされているとは、思わないだろう。

 説明する文官も、この精霊石が、もともとリンの風呂用の石だった、とは当然知らない。ライアンが大市には便利ではないか、と説明したので、そのためにわざわざ、と感激していたものだ。

 皆がそれぞれ真実を知らないままだが、世の中そんなものだ。


「使用されない時は、事故を防ぐため、必ず一つ一つを別の袋に入れ、保管してください。商業ギルドで大市の期間、こちらも貸し出しが可能ですので、お申し出ください」

「天幕内で火は禁止だが、温かい物の提供も可能になるということか!」

「はい。調理道具等もギルドで手配が可能です。どうぞなんでもご相談ください」

 

 大市で試してもらえば、一気に各領、各国に伝わるだろう。

 新しい精霊道具の披露には、ぴったりの機会である。



 リンはアマンドとシロを連れて、マーケットプレイス近くまで設営の様子を見に来ていた。

 ライアンに、出かけるなら、必ずシロを連れるように、と厳命されていたのだ。

 シロはとても大人しいが、身体の大きくなったこの頃は、さすがに犬には見えない。シロを見慣れぬ他の国や領の者が、人に懐いて通り過ぎる狼を唖然として見送るが、気にしないことにする。

 天幕の間を忙し気に歩き回る人が多く、様々な色のマントが見えるのは、領地によって色が違うのだろう。 

 

「なんだかすごいですね。街の様子が変わっちゃいました」

「ええ、リン様。どこもすごい人です。皆さまギリギリに入られますから、どの門にもここ数日、長い列ができております。毎回、開門時間を延長しますが、さばききれないそうですよ」


 大市が始まると、城壁門の外にも、物売りの店や演芸興行のために天幕が建つ。門は真夜中過ぎに数時間だけ閉門し、騎士が交代で管理する。

 

「本当に大きなお祭りのようになるんですね」

「この時期は人も物も増えて、活気がございますね。どの宿もいっぱいです」

「随分増えているのに、皆が泊まれるんですか?」

「ええ。慣れている商人は取引先の一室や、近隣の農家の一室を借りるようです。この辺りの者も心得たものです。城壁の外に馬車を止めて、大がかりな野営も見られますよ」


 ぐるりとマーケットプレイスを回り、自領の天幕の位置を確認し、忙しく働く担当者に挨拶したリンは、家に足を向ける。

 邪魔になってはならない。リンの手伝いは、商品の並ぶ明日からだ。

 

 マーケットプレイスを抜け、森の方へ足を向けると、食べ物の屋台が出店する場所ができていた。

 街道につながらないここは、火を使ってもいいエリアになる。

 『金熊亭』の屋台の場所もあった。ここで肉を焼くのだ。ヴァルスミア・シロップを使ったタレの香りが、人を引き寄せるだろう。

 食べ歩きが今から楽しみなリンである。


 工房の前までくると、中央の騒ぎが嘘のように静かになった。

 普段と変わらない。

 

「良かった。なんか、ほっとします。あ、アマンドさん、私これからちょっと聖域に行きます。シロも連れて行くし、すぐに戻りますから」

「かしこまりました。籠をお持ちしますか?」

「大丈夫です。本当にすぐ戻る予定ですから」


 聖域に入ると、ドルーの木にペコリと頭を下げ、リンは古語をいくつか書き出した紙を革袋から出して、湧き水の側に座り込んだ。


「まず水の石が『水の霧』の祝詞で、風の石が『極寒の風』の祝詞が使えればいいわけでしょ」

「リンは何をやっているのかのう?」

「あ、ドルー。ええと、水の石と風の石を二つ合わせると、冷たくなるようにしたいんです」

「ふむ。その加護石では、ダメなのかの?」


 ドルーはリンの手首にある加護石を指した。

 紙をドルーに見せながら説明する。


「ライアンが火の石を二つ使うと、温かくなるのを作ってくれたんです。それと同じに冷たくしたいんです。開始と終了をさせる祝詞がわからないので、どの単語がいいのかと思って」


 作りたいのは小型の冷蔵庫だ。

 冷室で真夏に使われることがあるという『水の霧』と『極寒の風』の祝詞は教えてもらった。たぶんそれでできるはず、とリンは思っている。

 冷室は開けたり閉めたりが多いと、どうしても室内の氷に影響する。冷室じゃなくて、もっと小さい冷蔵庫があったら、皆が便利だろう。

 決してムースの心配だけをしているわけではない。


「祝詞を言わずに、そのように言えばいいのではないかの?」

「ライアンになるべく古語を使うように言われてるんです」

「ほ、ほ、言の葉とは、意を表し伝えるものじゃ。精霊が理解するのであれば、なんでも良いのじゃよ。リンの言葉は皆がわかる。周囲に他に人はいないようであるし、良いのではないかの?……オーリアンには内緒じゃ」

「ほんとですか?!」


 にっこり笑顔でドルーに勧められたリンは、二つのフォルト石を取り出した。

 一つを湧き水に入れ、一つを石の上に置く。


「ええと、オンディーヌ、シルフ、それぞれ『水の霧』と『極寒の風』がでるようにしてください。お互いを一回打ち合わせると開始で、二回打ち合わせると終了の合図です。二つの石をくっつけていると、氷のように冷たくなるようにしたいです。お願いします。あ、卵ぐらいの大きさで!」


 泉から霧が立ち上がり、春なのに、ピューっと冷たい風が通り過ぎた。

 リンは美しい青と緑の石を手にのせると、揚々と家に戻った。


 夕方、リンは衣装箱の中の下着が冷えているのを確認すると、ニンマリと笑った。


「冷えてはいる。でもすこし湿っぽいか。『水の霧』がどうしてもねえ」


 解決方法を考えこみながら、食事の時にライアンに相談することにした。


「ライアン、すみません。これを見て欲しいんですけど」


 リンはテーブルの上に、コロリと二つの石を転がした。

 ライアンはその石をまじまじと見る。聖域で作られた純度の高い石だ。


「……リン、今度は一体何をした?」

「そうですね。『水と風の冷し石』といったところでしょうか」

「冷し石だと?」

「もう、衣装箱を冷やせましたよ。『温め石』と一緒の方法で、打ち合わせて冷やせるんです。でも湿っぽくなるから、どうしたらいいか悩んでいて」


 ライアンにはさっぱりわからなかった。


「なぜ、衣装箱を冷やす必要があるのだ」

「衣装箱はちょうどいい箱がなくて、実験しただけです。持ち運べるというか、小さいサイズの冷室を作りたいんです。箱の庫内を冷やして、ムースが置いておけます。そうだ、ライアン、夏に冷たいリモンチェッロも、簡単に飲めるようになりますよ!」

 

 こういう時は酒もえさに使うのだ。

 やっとリンのやりたいことが、ライアンに伝わった。


「冷室で使う祝詞か」

「そうです。これなら氷を詰めなくても平気ですし、繰り返し使えます。なんで今までなかったんだろ」

「一年の半分の間、家の中が自然に冷室になる領が多いからな。そうか。ムースはともかく、夏季の輸送にも使えるか」

「ムースは大事です。魚や肉も運びやすいでしょう?湿っぽくなりますけど」

「『水の霧』より、かなり細い『湖面の霧』の祝詞がある。それで箱を二重にしたら、湿らないのではないか?」

「やってみます。魔法陣も後で教えてください。ライアンは忙しいし、自分で作ってみようと思ったんですけど、魔法陣はたぶん無理です」

「忙しくとも言ってくれ。突然こんな物を見せられるほうが驚く。それに国益にもなる。魔法陣も『温め石』の応用で、すぐできるぞ。サラマンダーがいないしな」


 明日にも、あちらこちらへ手配をしなければならない。

 温め石の前例があるのだ。様々な実験も、前例があるとやりやすい。今度の協議と登録は、比較的すぐに済むだろう。

 いや、終わらせる。

 ライアンは大市を前に、皆の悲鳴が聞こえるような気がした。

 嬉しい悲鳴になるだろうが、すまぬ、と心の中であやまった。


「工房に籠る」

「手伝いますよ」


メモ:オーリアン ドルーがライアンを呼ぶ、呼び方

『火の温め石』の使い方: 二つの石を一回打ち合わせると熱が出る。二回打ち合わせると熱が消える。二つを別々に持っているとちょうどよい温かさだが、くっつけたままにすると熱々になって、湯も沸かせる。今回、極小から、小、中、大の四種が開発され、スープボウル一杯から、風呂まで対応可能。それ以外の特殊サイズを希望の領、国は個別に相談されたし。


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