Lift us up before the great market / 大市の前のエネルギーアップ
遅くなりました。
朝からリンはブルダルーと厨房に籠っていた。
昼食の時間が終わって『金熊亭』が落ち着いた時間に、ダックワーズとポセッティがやってくる。
その時に一緒にリモンチェッロの仕込みをして、終わったら皆で集まり、晩餐会用のデザート試食会になる予定だ。
「春の大市の時期は、晩餐会やお茶会のデザートには、軽くて、冷たいものが好まれるんじゃ」
それなら今日は焼かないものを、と、ブルダルーに協力してもらいながらデザートを作っている。
焼かないデザートは、準備は簡単だけれど、冷やす時間がいる。
「リン嬢ちゃま、このチーズはレモンの果汁と混ぜるだけでいいのかの?」
「そうです、師匠。私が今、クリームと砂糖を合わせて泡立てるので、それと混ぜ合わせます」
ブルダルーが手伝っているのは、混ぜるだけのレアチーズケーキだ。
リンの作るデザートはすべて簡単だ。ほとんどが混ぜるだけでできあがる。簡単なレシピしか覚えていないとも言うけれど。
「えーと、シルフ、ヴェルベラブント ウスクエ クレピト オブセクロ。天井はダメ」
ライアンに何をしたいのかを説明して、何回か違う祝詞を卵で試して、一番ぴったりだった泡立ての祝詞がこれだ。
「よし、いい感じ!師匠、これとそのチーズを、混ぜ合わせてください。それで、ビスケットの型の上に入れて、レモンを飾って、冷やせばでき上がりです」
「その風の祝詞は便利じゃのう。精霊道具ができればいいが、なかなか料理の道具は開発されんのじゃ」
「そうですよね。精霊道具じゃなくてもいいなら、木か鉄で泡立ての道具を作ってもらいましょうか。小枝よりも簡単になると思いますよ」
「ふむ。そんなのがあれば、便利じゃな」
リンは泡立て器を使っても苦手だった。レモン果汁をちょっと加えると簡単に泡立つと知ってから、そればかりだ。
これからはシルフに安心してお任せできる。
最後に作るのがジャスミン茶のムースだ。
昨日から丸一日、クリームの中にジャスミン茶を浸して、香りを移しておいた。
チーズクロスを鍋にセットして、ブルダルーに押さえてもらいながら、ジャスミン茶を濾す。
「これはお茶のデザートだったかの?」
「ジャスミンという花で香りを付けた茶です。だから、これは花の香りです」
これも基本的に、混ぜるだけで作れるデザートだ。
温めたクリームと卵黄を混ぜ、別に卵白と砂糖をフワフワに泡立てて、合わせるだけだ。
シルフの祝詞を習ったら、一番最初に作ろうと決めていたぐらい、リンはふわふわのムースが大好きだ。
「口に軽いデザートなので、なにかと合わせたいんですけどね」
「ふむ。これがいいんじゃないかの」
ブルダルーがシロップ漬けの果物の瓶を出してくる。
「春の果物じゃないがの、まだこの辺りでは早いのじゃ。今日の苺も、もう少し南から届けてもらっての。晩餐会までには、この辺りでも最初の果物が取れるじゃろ」
「師匠、これはリンゴですか?」
「ペリエじゃよ。上品な風味での。この花の香りともケンカしないと思うんじゃが。あまり甘味のない果実で、こうやってシロップに漬けるのが一番じゃ」
「じゃあ、これを刻んでムースの下に入れますね」
二人で五つのデザートをパパパっと作って、森の塔の冷室に入れてもらう。
冬の間は裏庭に面した食料庫が、裏庭側は冷凍庫で、内側が冷蔵庫になっていた。カチカチに凍った肉を、震えながら取り出しに行ったものだ。
この時期からは冷室が活躍する。
館、城壁の塔、主要ギルド、それから肉屋の地下には、冬の間に氷を詰めた冷室がある。冷凍はできないけれど、部屋サイズの大きな冷蔵庫だ。一番深い部屋では真夏でも溶けないらしい。
滅多にないことだが、この氷が溶けるような暑い夏には、風と水の精霊術師が調整をするらしい。
「温室があるのに、ここに冷室がないのが意外でした」
「アルドラ様は、食事は『金熊亭』でなさったからのう。厨房にも物が何もなかったじゃろ?ライアン坊ちゃまも、ここでお暮らしじゃなかったしの」
今は塔が目の前だから、便利に冷室を使っている。塔の騎士の食事処『金熊亭』も、真夏には肉を預かってもらうことがあるらしい。
リモンチェッロ造りには、ダックワーズとポセッティだけじゃなく、ライアンまで厨房に現れた。
「そんなに見るほどの作業はありませんよ?」
「休憩だ」
どの蒸留酒を使うかで、ライアンは家族で蒸留酒を飲み比べ、館で一番強いのを持ってきたらしい。
「兄上にも、レモンの酒を分けることになった」
「……水差し三杯分で作った方が良さそうですね」
蒸留酒の出処がそこなら、仕方ないだろう。
「今日の作業は、レモンの皮をむいて、蒸留酒に漬けるところまでです。皮の白いところは苦くなるので、なるべく取ってくださいね。黄色のところだけを使うんです」
水差し三つ分の蒸留酒だから、レモンを三十個だ。
ライアンを除いて、四人での皮むきはあっという間に終わった。
それもリン以外は、料理人にレモン農家という、プロ三人である。
「熱湯でよく洗った瓶にレモンの皮を入れて、蒸留酒を注ぎます。で、ここに剝いたレモンの果汁を絞って、全部加えます。今日はここまでで終わりです。あとは毎日一回は瓶を混ぜるように揺らして、四週間ぐらい置いておくだけです」
リモンチェッロには果汁を入れないで、最後に砂糖と水のシロップを加えるレシピもある。
昔は砂糖が手に入りにくく、蜂蜜を使ったレシピは昔ながらのレシピだと、リンが習った人は言っていた。果汁を入れるから水も加えない。
「これで、お酒にレモンの香りが付くのですね?」
「そうです。色も付きますよ。最後は綺麗な黄色になります。そしたら皮が白くなってきますから、皮を取り出します」
「蜂蜜を入れるのではなかったか?」
「四週間置いた後です。今回はヴァルスミア・シロップを使う予定です」
これから四週間待って、蜂蜜をいれてさらに一週間ぐらい待つ。
大市の最後の方に出来上がる、お楽しみだ。
デザートの試食会には、かなりの人が集まった。
ライアン主従、この家に住む者、ダックワーズにポセッティ、オグにエクレール、この間の非公式会合にいた薬事ギルドのマドレーヌが、商業ギルドのトゥイルを誘ってやってきた。ブルダルーの代わりに館の厨房を預かる、副料理長も参加だ。
応接室は一杯だ。
シュトレンとアマンドが、塔の冷室からデザートを運んできた。
シムネルとフログナルドも手伝って、それぞれが大きなトレイを持っている。
「リン様、塔の料理長が、これらのデザートのレシピを知りたいそうです。食べたことのないものばかりだそうで、冷室にある時から気になっていたそうです。他の者もじっと見ていましたよ。……食べられていなくてよかったですね」
シュトレンがくすりと笑う。
多めに作ってあるので、少し分けて、塔へ持って行ってもらうことにした。
冷室を使わせてもらう賄賂だが、やっぱり冷室は家の中にあった方が、ムースの安全のためにもいいのかと、リンは考えた。
リンが作ったのはデザートだけだが、『金熊亭』からはできたばかりの春ビールに、オリーブ、ヴァルスミア・シロップを使ったタレで焼いたソーセージ、といった酒のつまみが来ていた。ブルダルーも軽く摘まめるチーズやハムを切って、厨房から出してくる。
この時点で、すでにリンの思っていた、デザート試食会からは外れている。
「今日は晩餐会用のデザートの試食ということだが、大市が間もなく始まる。例年以上に大変だと思うが、最後まで頑張って欲しい」
ライアンの挨拶で試食会の開始だ。
「レモンを大量にありがとうございました。本当に皮に甘味があって、おいしくて、デザートにも使いやすかったです。あ、このデザート、実は、ポセッティさんで思い出したレシピなんですよ」
「私、でございますか?」
クリームにレモンを入れて、レモンの酸でたんぱく質を固めてあり、フルフルと揺れる、やわらかいデザートだ。ブルダルーが上にレモンを飾ってくれた。
「ええ。このデザートの名前なんですけど、私の国ではポセット、と言われているんです」
ブルダルーが作ったのは、リンが泡立てを手伝った苺のムースと、春ビールを使ったフルーツサラダだ。
リンの作ったムースを見て、ブルダルーはその場で苺ムースを作った。仕上げに赤いフルーツソースをかけ、ミントが飾られ、見た目もとても美しい。
フルーツサラダは、苺を中心としたフルーツが数種類混ざったデザートで、ほのかにビールの香りがする。
「師匠、ビールの香りがするデザートは初めて食べました」
「この国では北も南も、よく使うんじゃよ。果実とビールを合わせて、スープ仕立てになっていることもあるんじゃ」
「春ビールができたばかりですし、この季節は多いですわね」
皆がそれぞれに、これはレモンの香りがいい、とか、口当たりがなめらかだ、と言いながら味わっている。
リンも軽やかに、口の中で消えていくムースに大満足だ。
ムースは二つとも良くできている。ジャスミン茶ムースの下に入れたペリエという果物は、シャクシャクとした食感で、洋梨のような風味がある。ジャスミン茶にも感じられるこのフルーティーな香りを、ブルダルーは感じ取ったらしい。ぴったりだ。
「リンの花茶の香りだな。南の国の花だろう?」
「なんてかぐわしい香りでしょう。口の中いっぱいに広がります」
「これは変わった食感だ。口の中でなくなってしまった」
皆が気に入ったのはジャスミン茶のムースらしい。初めて食べる香りと食感だそうだ。
「料理長、他の花や茶でもできるでしょうか」
「そうじゃの。御領主夫人の花で作ったらいいかもしれんの。あれも香り高い花じゃし、カリソン様のお茶会にもいいじゃろう」
館の料理人組もメニュー決めに真剣だ。
「ジャスミン茶は多めにありますから、もし良かったら使ってください。館では向かないと思いますけど、このムースをちょっとアレンジして窯で焼くと、スフレという、やっぱりふわふわの温かいお菓子になります。器から立ち上がるぐらい膨らむんですよ。スフレは野菜とか甘くない材料で、お料理にもできます」
熱々のスフレもおいしい。
ブルダルーにここで作ってもらえないかと思いながら、リンが話に参加すると、ダックワーズも含めてその場にいる料理人は、興味津々だ。
「ほう、面白そうじゃの」
「リン様、なぜ館だと向かないのでしょうか」
「広くて、厨房と食事の部屋が離れているでしょう?スフレはすぐにしぼむので、厨房との距離が近くないと難しいですよ」
「料理長、足の速い配膳係を集めますから、試したらどうでしょうか」
「そうじゃの。第二厨房だったら、少し近いかもしれんの?」
館の廊下で徒競走になりそうだ。
「あの、スフレは大変だと思いますよ。同じ泡立てるお菓子なら、ムースの方が簡単ですし、焼き菓子で、お茶の時間に摘まみやすい、メレンゲというクッキーもできますから。サクサクで、シュワーって、これも口の中で溶けますよ?」
「そのように、いろいろできるのですか」
「ふむ、やはり料理人に、風の精霊術師をスカウトするかの?」
そこに、料理人達以外が参加した。
「あの、ムースやメレンゲは、レモンでも作れますでしょうか」
「できると思いますよ。レモンムース、夏にはぴったりですよね」
「リン様、それはヴァルスミア・シロップや、薬草などでもできますか?」
「もちろんですよ。薬草だったらチーズと合わせて、甘くないお菓子にしたら、男性にも良さそうですよね」
大市は売り込むチャンスだ。
皆が真剣に考えて、他にも何かできないかと相談をはじめている。
ライアンは少し離れて、オグやシムネル達と飲みながら、皆の様子を眺めている。その輪の中心にはリンがいた。
リンは、今日は、突然増えたシロップ造りと、大市に向けての準備の慰労会のようなつもりでいた。
甘いデザートを食べながら、皆に英気を養って欲しかったのだ。
でも、なぜだかリンが思っていたのと別の方向で、皆がやる気をだしている。
どの配膳人の足が速いかとか、チーズはどこの産地が合うかとか、レモンとヴァルスミア・シロップを合わせて売り込む方法とか、続く声を聴きながら、リンは、まあこれも悪くない、と思った。
感想欄でご要望のあった登場人物紹介は、ネタバレをしない程度に簡単なものを、随時更新で最初につくっていきます。





