Lemon / レモン
リンは早朝から多忙だった。
森に入り、最後の水桶の取り外しを確認した。
工房の温室でカモミールの苗の様子を見て、スペステラで見たように、裏庭の半分を耕して灰をまいた。
途中で蜜蜂班のハンター達が巣箱を見せにきて、一緒に蜜蝋を塗ってみた。
「おかしいな。忙しい。こういうのをスローライフって言うんじゃないのかな。全然スローじゃなくて、ビジーだけど」
スローライフは、スローに進む分、それを実際にやる人は忙しいらしい。
工房の脇の水場で水を汲みながら呟いていたら、ライアンに聞かれた。
「自分で動いてすべてをやろうとするからだ。精霊をうまく使うといい。グノームを走らせ、オンディーヌが水をまき、シルフが灰を運ぶだろう。その間に自分にしかできないことをやるのだ。祝詞の練習も必要だろう?」
午後からは一階の応接室で、ダックワーズの弟と非公式会合である。
これは精霊を使えない仕事だ。
ダックワーズの母国、サントレナは、この国の南東に位置している。大市にはサントレナからも毎年、商団と担当文官がやってくる。そちらとは、大市が始まってから公式の商談が待っているらしい。
今日は主に、薬草の栽培について確認するので、ダックワーズ、その弟、ブルダルー、薬事ギルドのマドレーヌ、ライアン、リンが集まることになった。
ダックワーズは男ばかりの五人兄弟で、ダックワーズは二番目。ここに来たポセッティは歳の離れた、一番下の弟だった。二人の印象はとても違う。ダックワーズが大きながっしりとした木なら、ポセッティは柔らかくしなる木だ。明るいブラウンの目の色だけが、兄弟で同じ印象を与える。
「栽培とのことで、苗をお持ちしたのですが、ご依頼のラベンダーは花も持って参りました」
どんっと、大袋が床に下ろされた。思っていたよりも量が多い。
袋を開けると、ラベンダー独特の爽やかな香りが、一気に部屋に広がる。
その途端に、マドレーヌなどは、まあ、と声を上げた。
「できるだけたくさん売って欲しいです。大市での販売に差支えない範囲で」
「あの、これは大市では売らないんです。持ってきておいて大変申し訳ないのですが、去年の収穫の最後の在庫なので」
摘みたての最高品質ではないかもしれないが、香りもまだ十分良く、これで良かったら使ってくれ、と、もらえることになった。
「ありがとうございます。あ、そうだ、シロ!ちょっと来て」
ライアンの呆れたという視線、皆の不思議そうな顔が若干痛いが大事なことだ。
くしゃみは出ない。
シロの鼻チェックも合格して、これなら石鹸やクリームにしても大丈夫だ。
「苗の方は、こちらになります」
栽培テスト用に、ローズマリーとラベンダーの株と、セージの種を持ち込んでくれた。
「いつ頃畑に移すのがいいのかしら?」
「ここは国よりひと月は季節が戻ったような気候です。もう少し後の方がいいと思います。ただ、鉢に植えて、冬を室内で越すようならいいのですが、こちらで畑で大量に育てるのは、難しいのではと思います。株の大きさにも影響がでるのではないでしょうか」
「やはりそうですか」
マドレーヌも、薬草の資料を見ていてわかっていたとはいえ、残念そうだ。
「オリーブやマロウも同じになるかのう」
「どちらも冬が厳しいかと思います。マロウは根だけで冬越ししますが、ここは大地も凍ると聞いておりますので」
「ここでどのように育つか、試すしかないだろうな。ポセッティ、感謝する」
「いえ、とんでもございません。あと、こちらは家の畑で採れたものなのですが、どうぞお納めください」
大きな籠の中には、ゴツゴツとしたレモンが入っていた。
「これは見事なレモンだな」
「師匠に見せていただいた時も驚いたんですけど、こんなに大きいのは見たことありません」
「うちの村は、このレモンが有名なんです。まだ収穫の始めなのでこのサイズですが、夏前には、大きいのは子供の頭ぐらいにもなります」
「レモンも育てているんですね」
ポセッティが、驚いたようにダックワーズを見た。
「もしかして、兄さん、皆さんにお伝えしていないのかい?……口下手にもほどがあるよ。うちの家業はレモンの栽培なんです。村の主要産業です」
海辺にある村全体が崖のような山に位置していて、レモン畑が海に向かって、断崖に貼りつくように並んでいるという。海側から見ると、季節には山が黄色く見えるらしい。青い海に黄色のレモンは、きっと映えることだろう。
薬草は母の実家が中心で、気候があうので扱うが、レモン栽培の方が家業だと聞き、確かにダックワーズは口下手だと思った。
「じゃあ、今回の大市も、レモンを持ってきたんですか?」
「はい。生のレモンと、レモン加工品が中心になります。村のレモンは収穫期が長くて、春も秋も持ってこられます。薬草はほとんどが秋になりますが」
リンは籠に山盛りのレモンを一つ手にとって、香りを嗅いだ。
「ぜひお試しください。村のレモンは特徴があって、酸っぱいだけではないのです。皮が厚くて、この皮に甘味があるのです」
ブルダルーもレモンの皮をこすり、香りをかぎながら質問する。
「村ではどのように使っておるのかのう?」
「何にでも使うといったら、答えになりませんよねえ」
ポセッティは笑いながら続ける。
「えーと、例えばこの皮をそのままサラダにします。皮をすりおろしてパンに入れて、肉や魚にもかけます。果汁を塩の代わりに使ったり、一年中使っているのです」
「それは確かに何にでも、じゃな」
「村では、レモンを食べていると医者がいらない、と言うのです。村のレモンを運ぶ船の船員は元気だといわれて、最近は船にも積み込まれるようになりました」
リンの頭の中に、食べたいレモンのデザートが浮かんだ。
メレンゲのレモンタルトに、レモンチーズケーキに、ムース。泡立てがうまくできれば、自分でも作れるかもしれない。アイスは作れそうもないけど、バニラアイスにリモンチェッロも、夏には大好きだった。
「レモン加工品に、お酒も入っていますか?」
「いえ、酒は作っておりませんね。塩漬け、蜜漬けと、油に漬け込んだ調味油はございますが」
「ああ、それもおいしそうですね」
「リン、酒をどうやって造るのだ」
それまで静かに聞いていたライアンが反応した。
「ライアンにはヴァルスミア・シロップのお酒ができるではないですか」
「レモンの酒とはまた違うものだろう?これも蒸留か?」
「内緒です。私のデザートになる予定のレモンですから」
これ以上デザートの分を、お酒に取られてはたまらない。
ライアンが眉を上げた。
「籠一杯のレモンは、さすがに多すぎるだろう?」
「蜂蜜を入れるお酒なので、ライアンには甘すぎると思いますよ」
「もしレモンの酒ができるなら、私も試してみたいです」
「甘い酒なら、デザートにいいのではないかの?」
そこにポセッティとブルダルーの応援が入った。
三対一だ。
「……材料にできるだけ強い蒸留酒が必要です」
「塔にはもう樽半分ぐらいしか残っていないが、館に行けば父上と兄上の秘蔵がある」
「樽半分も要りませんよ!そこの水差し分ぐらいあれば十分です。その量でレモンを十個ぐらい使うんですよ?」
「水差しでは少なすぎるのではないか?でき上がったら皆で味をみるのだ」
「あの、兄の一人が、まもなくサントレナの商団と一緒にレモンを持って来ますので、もし必要なら」
「……じゃあ、水差し二つ分で」
レモンは十分ある。蜂蜜の代わりに、ヴァルスミア・シロップでやってみようか。
造るのには問題がないけれど――――――。
「ライアン、お酒を造ってもいいですけど、私、デザートも作りたいです」
「作ればよいだろう?」
「シルフの攪拌の祝詞、教えてください」
「あれは君の課題だろう?」
泡立てが簡単にできるように、シルフの力を借りる祝詞を知りたい。
ライアンに聞いたら、自分で祝詞を作る課題になってしまったのだ。
今のところ三連敗中である。
ムースやメレンゲの泡立てが、小枝を束ねたのでうまくいくとは思えない。
「成功していないんです。一つ目はグルグルと回るだけでした。二つ目は右に回って、左に回ってと交互に回りました。洗濯にはぴったりの祝詞です。三つめは、もっと早く、風をはらむようにと指示したら、天井までクリームが飛び散りました」
ライアンが額を押さえる。
「どの言葉を選べばそうなるのだ」
「ホント不思議ですよねえ。泡立ての祝詞があれば、デザート試食会にレモンも使えそうですし、お酒を造る交換条件です」
ブルダルーはこの領で採れる食材を使うだろうから、リンはお茶などの変わったものにするつもりだった。
「しかたない。交渉成立だ」
「あ、お酒が出来上がるのにひと月は欲しいですけど、ポセッティさんは、大市の期間、ずっとこちらにいらっしゃいますか?」
「ええ。兄のところに滞在できますから。あと、こちらでしばらくは薬草の畑を手伝う予定なんです。上の兄三人でレモン農園は大丈夫です。自分はレモンを運ぶ船乗りか、商人になろうと思っていましたから」
自分は自由に動けるんですと、爽やかに笑った。





