Sweetener / 甘味料
少々長めです。
春の大市まであと一月ほどに迫った。
まだ雪は残っているが、ここ数日は気温も穏やかで、陽の光まで色が変わったようだ。
ウィスタントン公爵がこの地に領主として入り始まったこの大市は、春と秋に六週間ずつ開かれる。
春と秋の『ヴァルスミア大市』と、夏の王都セントミアでの『セントミア大市』は近隣諸国でも有名だ。
国境にあり、ウェイ川を上って海からも入りやすいこのヴァルスミアに、国内はもちろん、国外からも商人が集まる。人が集まれば、それだけ商談の機会も多い。商人だけではなく、領地や国の担当文官なども合わせて、自領の、自国の産業を後押しに来るのがほとんどだ。
近隣から一週間だけ来る者がいれば、遠国から六週間滞在する者もいる。領民の個人出店もあれば、国単位の出店もある。ヴァルスミアの街が六週間、祭りのようになる。
今年は領として、店の場所をマーケットプレイスに取り、ヴァルスミアの新しい製品、ブラシ、石鹸、クリーム、薬草茶を押し出そうとしており、すでに商談予定もある。こんなに一度に新製品がでることなど、滅多にないのだ。
館の文官も、各ギルドの担当者も、忙しくとも、ここで売らなくて、いつ売るのだ、少しの寝不足がなんだ、と気合が入っている。
騎士やハンターも、期間中にどうしても荒れる街の治安維持のために、会議を繰り返していた、そんな時。
「あの、ライアン、すみません、お時間いいでしょうか?」
リンがライアンの執務室を訪ねた。ここにも大量の書類が積み上がり、シムネルとライアンがせっせとさばいていた。
「どうした、リン」
「本当は後でライアンに伝えようと思ったんですけど、さっきクグロフさんの工房でエクレールさんに会って、今すぐ戻って伝えるようにと言われて」
なにか緊急事態でも起こったのだろうかと、ライアンは表情を険しくした。
「なにがあった」
そんな怖い顔をさせるようなことじゃないんだけど、と思いながら伝える。
「あの、甘味料を作りたいんです」
「……養蜂の話はすでに進んでいると思ったが」
養蜂はリンの話を聞き、ハンター達が木箱を作って、中に枠をいれて調整をしていた。
「いえ、蜂蜜以外の甘味料を森で作りたいと思って、準備して……」
「森で甘味料?」
「ええ、そのための部品を頼みにクグロフさんの所へいって、エクレールさんに説明したら、これからハンターの準備も整えるから、すぐライアンに言うようにって」
エクレールがそう指示をだしたのなら、かなり大がかりな話なのだろう、とライアンにもわかった。
もし領で甘味料ができるのであれば、今までリンが提案したものより、さらに高額な産物になる。
口に甘いものは、すべて値が張る。
砂糖はスパイスと同じで海を越えてくる。すべてを輸入に頼るしかなく、大陸では非常に高価だ。
養蜂はまずウィスタントン領で試し、安定して採れるようなら、他領へと広げていくことになる。どうやっても蜂が越冬しやすい南の地の方が、養蜂には向いているだろう。それでも領内で蜜蝋や蜂蜜の値が上がっている現在、どれ程助かるかわからない。
その上さらに、この森で甘味料を作るという。領の経済を変える提案なのではないだろうか。
「リン、簡単に何を考えているか、教えてもらえないか?」
リンの伝えた甘味料は、この森の南側に広がる、バーチの木の樹液を使ったシロップだった。
「リンは森に住んでいたわけでもないのに、よくバーチについてこれだけの知識がある。これもネットか、テレビで学んだのか?」
「いえ、これはスプリング・キャンプです。私、父と国外で二人暮らしの時もあって、長い学校休みには、父は仕事もあるし困ったんです。で、学校が募集するキャンプに放りこまれました。学校休みに子供を集めて、森での生活を体験するんです。シロップはそこで作ったんですけど、今もできるかなあ」
これから数週間の間だけ作れるという話を聞き、ライアンはシムネルに二回目の商品会議を早めるよう指示を出す。
森へはライアンが同行し、作業を見守ることになった。
リンの持つ水桶の中には、何やらガラガラと音を立てているものが入っている。
「リン、バーチは森でも南側だ、もっと右だぞ」
「ドルーに挨拶したほうがいいかなと思って」
森の木に穴を開けて回るのだ。
キャンプでは、木が自分で修復できる程度の穴だから、木は痛くないと大人は言ったけれど、果たして本当なのか。
木には聞けなかったけど、今ならドルーがいる。
リンの話をふむ、ふむと聞いていたドルーだったが、突然とんでもないことを言い出した。
「リン、我の樹液を採ってみないかね?痛いかどうか、わかるじゃろう」
「ええっ!でも、オークの樹液でもできるのか、私、知りませんし、ドルーに穴を開けるのはダメですよ」
「残念じゃのう。リンに使うてもらえると思ったんじゃが。やっぱり肌がピチピチとした、若いバーチがいいのかのう」
白いあご髭をなでながら、心底残念そうに言う。
ライアンは、額を押さえて黙ったままだ。
聖域のオークに傷をつけるのは、いくらドルーが許してもダメだろう。
「ええと、ドルーのシロップは、きっと皆が恐れ多くて使えないですよ。ドルーはそのままで、どうか長生きしてください」
「ほ、ほ、すでに幾世を経た我の、さらなる延齢を願うか。これはまだ頑張らんといかんのう」
ドルーの許しを得て、一緒にバーチが林立する場所に向かう。
リンはザクザクと雪を踏みしめ歩きながら、採取に適した木について説明した。
「樹液をいただくのは、一オーク以上の太さになったバーチです。それ以下では細すぎます。気温的にそろそろだと思うんですけど、三、四週間採取します。バーチの木が完全に芽吹く頃には樹液が濁るので、そしたら穴をふさいで、その年は終わりです。……これなんか、いいんじゃないでしょうか」
森の縁にある一本で、しっかりと太い。
痛かったら教えてくださいね、とリンはいい、先が細くとがった太めの釘のようなものを水桶から取り出し、バーチの樹皮に当て、木槌で恐る恐る打ち始めた。
とたんに枝がザザッと音を立てて揺れ、リンは驚いて枝を振り仰ぎ、手を離した。
「リン、もっと一気にやってもらわんと、こそばゆいそうじゃ」
「私がやろう」
「ええと、じゃあお願いします。指の先ぐらいの深さまで入れば大丈夫です。それで、真っすぐ横じゃなくて、下から上に向かって穴が開くように当ててください」
「こうか?」
「そうです」
二度ほどで十分な穴が開き、樹液が溢れ木肌を伝い始めた。
「でましたね! 良かった。えーとここに、クグロフさんに作ってもらったこれを差し込んで、と」
「もう少ししたら、もっとよく出るようになるじゃろう。バーチの春の勢いはすごいからのう」
クグロフが作ったものは、木の枝の側面を削って、水の通り道を付けたようなものだった。
「なるほど。この枝を伝って樹液を集められるのか」
「そうです。時間があったら、木の中に管を通してもらったんですけど、今回はこれで。養蜂の時に一緒に考えていたんですけど、お茶の件で舞い上がって、最近まで忘れてたんです。それで、この水桶を木の幹に結びつけます」
リンを手伝い、ライアンは水桶が落ちないように、しっかりと幹に結びつけた。
それから水桶を見て、すぐさま手を伸ばして、何かを摘まみ上げた。
「グノーム、待て!覗き込むな。落ちるだろう。……これは蓋がいるな」
「覆いがあれば衛生面でもいいですね。後でとりあえずチーズクロスをかけておきます」
「たまるのには、どれぐらいかかる?」
「勢いがいいと、この水桶で半日から一日だと思います。キャンプの時は夕方に仕掛けて、次の日の朝にはいっぱいでしたね」
「それで明日、煮詰めるのだな?かなり時間のかかる作業だな」
「ええ。煮詰めるのは大変です。でも人手があれば、原料がここにすでにあって、甘い蜜ができるんです。三週間の間、一本の木から毎日、この桶一杯ぐらいの樹液が取れます」
「桶一杯で、どのぐらいのシロップになる?」
「それなんですよね、問題は。この桶一杯のシロップにするには、だいたい桶百杯の樹液が必要です」
「百分の一か」
「ええ。バーチの倍ぐらいの分量のシロップになる、メイプルっていう木もあるんですけど、この森にありますか?バーチは私にもわかったんですけど」
こういう葉を知っていますか?とカナダの国旗にある葉をリンは地面に描いた。
「メイプルなら、西の森にあるじゃろうな」
隣の領地との境となる森で、領地としては隣領になる。
「それなら隣領にも伝えれば、蜜が取れるということか?北はどこも農地が少なく、苦労している。助かるだろう」
「あ、たぶん来年になるかも。メイプルの方が最初、もっと寒い時期に樹液を採って、その後にバーチの採取時期なんです」
「この領で成功して、方法を伝えられるといいが」
「二つとも風味が違うので、両方手に入るなら、私は嬉しいですね。メイプルはまろやかな甘味で、女性向けです。バーチは、少し果実味があって、スパイシーで男性的です。たぶんこの辺りの肉料理に合います。シロップができたら、師匠とダックワーズさんに、なにかおいしいモノを考えてもらおうと思って」
リンは甘いものが増えそうと、ニコニコ満面の笑みだ。
ライアンは頭の中で計算していた。必要なもの、人員、保管方法。何とかなるだろうか。
「ライアン、その腰の、ヤギ角のカップを貸してください」
リンは水桶に少しだけたまった樹液を掬い取り、ライアンに差し出した。
「そのまま飲んでみてください。春に、冬の間に身体に溜まった悪いものをデトックスできるって言ってました。樹が成長するための樹液だから、身体にもいいんですって」
「……ほんの少しだが、甘味があるか」
「それで煮詰めるとシロップができるんです。あ、私にもください。ちょっと冬の間に、太っちゃったから。これ、効くはずなんですけど」
師匠の料理おいしかったし、家にいてあまり動かなかったし、と腰の辺りをなでながら、リンはバーチの樹液を飲んでいる。
ライアンはすっと視線をやり、そのくらいで丁度いいのでは、という言葉を飲み込んだ。
木に括り付けた水桶は、結局そのまま一晩置くことになった。
翌朝、また別の水桶を持ち、森へ戻ると、並々と樹液の入った桶と交換する。
「うぉ、けっこう重い。これ遠くの木に結びつけたら、運ぶのが大変ですね」
ライアンは再度、空の水桶を木にしっかり結び付ける。
「数多くなれば、雪のあるうちはそりを出すだろう。あとは、この水桶を結びなおす手間がかかるな」
「そうですね。こう水桶の下に栓を付けたようなのを作って、空の桶に移せるようにするか、地面に桶を置くか、ですかねえ」
「改良案が皆からでてくるだろう。さ、貸せ。行こう」
工房でリンはいつもと同じ主張をした。
「ライアン、煮詰めるのですけど、本当に屋外でやった方がいいです。蒸気がすごい出るんですよ」
「水場のドアを開けてやればいいだろう」
今回も工房内で、というライアンに結局押し切られ、リンは平鍋に樹液を入れ火をつけた。
「サラマンダーお願い。インフラマラエ アド フェルヴェーレ」
「ふむ。沸騰させて、その後は?」
「とろりとしたシロップになるまで、焦げないように煮詰めます。時間がかかりますよ」
「サラマンダーを使うと、どうだ?すぐにできるだろうか」
ライアンは火の側にいるらしいサラマンダーを、眺めながら言った。
「さすがにサラマンダー時間は知りませんよ。これはじっくりやったほうがいいと思いますよ。後でやってもらう人に教えないとダメですし」
「樹液に甘みがあるだろう? 昨日もグノームが落ちそうになっていた。甘いのは人間だけじゃなく、精霊も好む。先程からソワソワと鍋を見ていて、もっと甘くなったら飛び込みそうだ。それならきっと一気に蒸発してできるぞ。サラマンダーを捕まえておくのも手間なんだが、どうする?」
「それ、周りに飛び散りませんか?あの、精霊を使って、飛び跳ねない、焦げない煮詰め方がないですかね……」
「じゃあ、時間短縮でいいな」
そう言うと、ライアンは手首の火の加護石をさぐった。
「ヴェイポレエスタド パテットシュレッポ ノンヌーロ」
シュッ シュボボボボボボボボボボ
すごい音と蒸気がモクモクと工房一杯に広がった。真っ白な、甘く濃い霧の中にいるようで、全く何にも見えない。
「うわっ、ライアン、これダメ。アデュチェーレ フォー、……えーと、シルフ、蒸気を外にだして、お願い」
蒸気が消えてくると、二人で顔を見合わせた。
「ライアン、だから言ったじゃないですか。外でやりましょうって」
「すまぬ。精霊を使う時は外だな」
そう言いながら、ライアンはハシッと鍋の上で精霊を捕まえた。
今度はどの子だろう。
鍋の中には、カップに半分ぐらいのシロップが入っているだけだった。
ライアンは指の先で逃れようともがいている精霊を見る。
「……こんなに少ないのか。精霊がすでに舐めてしまったわけではないよな?」
「百分の一ですからね、こんなものでしょう。でも色は綺麗で明るめのアンバーですね。私の知っているバーチシロップは、もっと濃い色でした」
「ああ。本当にできたな」
「少しだけ味見しましょうか。精霊はがんばったから、瓶に移してから、いくらでも鍋についてるのを舐めてもいいですよね」
ほんの少しずつ味わった蜜は、見た目は蜂蜜のようでも、また違う風味があった。さほどスパイシーさも強くなく、ベリーの香りがほのかにして、とろりとした甘いシロップだ。
春の初めの樹液だからだろうか。
できあがった新しい甘味料に、ライアンはいつもと違う春の気配を感じていた。
「リン、すまないが、この件を父上に報告しないとならぬ。最初の蜜を奪うようで申し訳ないが、館に持って行ってもよいだろうか」
「ええ。明日も、あさってもできますから」
春の訪れはもうすぐだ。





