atelier / 工房
ブラシの生産と販売の方向で決まって、リンは少しお茶にしましょう。着替えてきますと、革袋から加護石の入った木箱をテーブルに置き、立ち上がった。
「ああ、先にクグロフに見せておくが、装飾品の希望はあるのか?」
「うーん、特にないですけど、皆さん、持ち歩けるようにしているんですよね?」
「加護石だからな。守り石として持つし、すぐ使えるように身に着ける」
「あまり目立たないようにするなら、ブレスレットですかね。使いやすいのがいいです」
そういって、手伝いにアマンドを連れて部屋をでていった。
「おい、装飾品の希望をきかれて、目立たず、使いやすくっていった女を、俺は初めてみたぞ。もう少し具体的じゃねえと、さすがにクグロフも大変だろうよ」
「リンの希望はいつもそんなものだ。衣装も動きやすいもの、というのが注文で、後はレーチェ任せだ。クグロフにこれを任せられれば助かる。ウィスタントン家の細工師は王都なのでな。エストーラにも留学していたはずだ」
クグロフは、石を拝見します。ブレスレットでございますね、と木箱を開け、確認した。
「リンは他のヤツより、石も多いからな。ん?五つ?」
オグは、ほのかに光を帯びた浄化石に、テーブルに身をのり出して見入った。三つの加護のあるオグであっても、滅多に見ることのない石だ。
「おい、ライアン、加護石はともかく、なんだこりゃあ。浄化石か?いや違うな」
ライアンは一度クグロフに席を外すように合図し、部屋の外にでるのを確認して続けた。
「偶然できた『珍しい浄化石』だ。効果の検証もされていない」
「偶然ってなあ……。これ、すべて入ってるじゃねえか。普通は作りたくても作れねえよ」
ライアンの奴、なんてものを作りやがった。そしてこれをリンに持たせるほど、リンは危ないのか、と二重の意味でオグは驚き、顔を引き締めた。
人より多くの力を持つ者を、不法な手段を使っても、支配下に置きたい者は多い。好意が悪意に豹変し、悪意が好意に擬態してやってくる。誘拐未遂に、眠り薬、精神を惑わす媚薬、ライアンもオグも幼い頃より、何度となく経験していた。
「そこまでリンは危ないか。どこまで浄化できるものだ?」
「わからぬ。薬の類は大丈夫であろう。加護があっても精霊の力を使えぬのなら、今なら誰もリンを知らぬ。なにも教えずにおけば、本人の希望通り、茶を売りながら暮らせたかもしれぬ。だがリンは、知らずとも力を使えるほど精霊と馴染み、森の加護がある。過保護ともいうが、な。しっかり使い方を教えて、守りはあったほうがいい」
「護衛の騎士は?」
「シロだな。よく見回りにでているし、後を付いてゆくこともある」
「いっそ茶でも売っていてもらった方が、平和だな」
「まったくだ。リンが国を攻め落とす野望を、持っていないことが幸運だった」
「これだけの石をクグロフに預けるなら、工房がないと無理だろう。ライアン、それも相談したかったんだよ」
重い空気を払うようにリンの声がして、クグロフと入ってきた。
「入ってもいいですか?今日のお茶は、川紅毛尖にしましたよ」
ふんわりと甘みのある香りが、カップから上ってくる。
「ちょっと男性陣と飲むには、フェミニンかもしれませんけど。薔薇の花蜜、スミレの砂糖漬けっていう感じの香りです」
これはまた華やかな香りだな、というライアンは、すっかりリンのお茶に慣れてくつろいでおり、オグは親友のそんな滅多にみない顔を眺めた。
「リン、ブレスレットだが、君の『花』をフォレスト・アネモネにしたらいいかと思うんだが、どうだろう」
「私の花?」
「大抵の女性は自分の『花』を持っていて、装飾品や衣装などをその花のイメージで選ぶことが多い。君のブラシもそれが刻まれるし、なにより精霊の機嫌がよくなるのは、君にとって悪くない。ブレスレットの意匠もそれでいいかと思うが、他に気に入りの花があるか?」
ライアンのいうことは概ね正しい。『大抵の女性』は、ではなくて『大抵の上位の貴族女性』はとなるが。そしてそれは、自分の『花』として貴族年鑑に登録されることもある、ということをリンは知らない。
「普通に花は好きですけど、これっていうのはないですねえ。お茶の花は白のカメリアで、素朴でいいけど、畑だと摘んでしまうものですし。オグさん、エクレールさんの花をご存知ですか?」
「ん?エクレール?持ってねえんじゃ、いや、花は聞いたことねえが、大輪のユリが似合いそうだよなあ。いや、うん、そうだ、大賢者の花は『谷の姫百合』だったぞ?どうしてあの可憐な花を選んだか、と大笑いしたが」
そうか。オグにとってエクレールは、大輪のユリのようなゴージャスな花なのか、と大事な情報を得てリンは満足した。
「フォレスト・アネモネでいいですよ。大事なポイントは、精霊が喜ぶ、でしょう?」
「ああ、それで日々の面倒が確実に一つ減る。クグロフ、では、フォレスト・アネモネの意匠で頼む。ああ、加護石の配列と使い方の説明がいるか。デザインが変わるだろう?」
「それは後で、俺がクグロフに教えておく」
「頼む。それで工房なのだが、候補地は?住まいも移すのか?」
工房の場所探しは難航していた。今後の仕事を考えると城壁内がいいが、職人の集まるエリアはすでにいっぱいで物件がない。金細工も含めると、水も火も使える大きめの場所が必要で、場所もなければ、家賃も高くなる。
「まずは工房の確保をと思っております。工房の家賃を考えると、それに加えて師匠と二人分の、城壁内の居住登録費用がまだでません」
「精霊術師の工房みてえに、火と水が使えねえと難しいんだ。ある程度の広さがいる」
「あるな。オグ、お前も知っているだろう?アルドラの塔だ」
「あれか!いや、でもあれ、使ってもいいのか?」
「数十年、空き家だ」
すぐ近くだ、ここから見える、と全員でなぜか家の裏庭側へでた。ライアンが裏庭のさらにずっと奥、森との境にポツンと建つ石の塔を指した。森の塔と同じような、高い城壁の塔だ。
「あれが、アルドラの塔と呼んでいる塔だが、元は森の塔と対になって、この工房の脇にあって、そこから城壁が続いていたらしい。アルドラがここを工房にした時、森が城壁代わりになる、窓からの眺めも悪い、と城壁を土の精霊と壊したそうだ。だからこの一辺だけ城壁がなく、庭と森の間も空いているだろう?」
「あの塔も大賢者が、そのままずいっと押しのけて、あの片隅に置いたんだとよ。すげえだろ」
「なんとも中途半端な位置に置いてくれたものだ。すぐ先にもうひとつ城壁に並ぶ塔があって、そちらで物見は十分だろう、と放っておかれたままになっている」
どうやら大賢者は豪快な人だったらしい。『谷の姫百合』でオグがどうして大笑いしたのかが、分かったような気がした。それでリンの部屋からの眺めがいいのだから、感謝だ。
「火は使える。水も、水場は近いし、あの裏手には森から小川もでていたはずだ。広さも十分だろう。そんないわくつきの物件だし、塔というのは住むには案外不便だが、工房ならいいだろう。家賃は掃除だ」
「ぶっ。昔、ライアンと二人、精霊術を使って掃除しろ、と、訓練という名の掃除をさせられていたんだよ。もしかして、まさかライアン、今もやってんのか?」
「他に誰がいる?いずれ、リンの訓練にと思っていたが」
「はは、そりゃいい。クグロフ、住む場所からは街の反対になるが、大丈夫、安全な場所だぜ。アルドラの生霊なんかは、多分ついていねえよ」
安全なのか微妙なことをいって、オグは請け合った。
ここにクグロフをはじめとした、金細工師、木工家具師、タペストリーの制作師など、エストーラ大公のお抱えだった一流の細工師が工房を構えたのは、新年の初めだった。
リンの訓練の掃除も、同時に一つ減ったのだ。





