番外: 父 vs 息子
『お茶屋さんは賢者見習い』コミックス2巻。明日9月18日発売です!
(もう入荷しているところもあるようで、Xで見ました。ありがとうございます)
ドルーが目覚めたのは秋の大市も終盤にかかった頃、ちょうど満月の夜だった。
『水の浄化石』を作るために聖域にいたリンとライアンの元へ、ドルーが姿を見せた。
そして翌日、リンとライアンは早速館を訪れている。
ドルーが目覚めたことで、再度検討しなければならないのが二人の挙式の日取りだ。
「目覚めたというか、目覚めさせられたと聞いたのだが?」
ライアンの父、ウィスタントン公爵でもあるシュトロイゼルが、本当はどうなのだと言うように尋ねた。
「ちょうど話しかけておりましたから」
ライアンは平然として応えているが、リンはそっと視線をはずした。
アレはやっぱり起こしたということになるのだろうか。
ライアンは確かに聖域の大木に向かってそろそろ起きないかと語りかけていたし、王都より戻ってからは、時間を見つけては聖域に赴いていたことは知っている。
ドルーは特に怒っているようでもなかったが、うるさかったのかもしれない。
そのままライアンはしれっと続けた。
「ドルーが目覚めたのですから、挙式の日取りを話し合おうと」
シュトロイゼルが顔の前でヒラヒラと手を振った。
「ああ、わかったわかった。其方がリンとの挙式を待ちきれないのは、よおくわかった」
「そのとおりです。父上」
シュトロイゼルはからかうようにニヤリと笑ったが、ライアンは全く動じず父に頷いた。
おまけに隣に座るリンの手を取り、笑いかける余裕もある。
リンの方はうろたえ、顔が熱く感じるというのに。
「……変われば変わるものだな。まあ、始めよう。大市も終盤だ。予定が詰まっている者も多いであろう」
部屋にはシュトロイゼルとカリソン。壁際にはそれぞれの側近も並んでいる。
見かけない顔は、ちょうど大市に参加していた王太子の側近のようだ。
「ええ。私としては明日でもいいのですが、さすがに大市の最中は人が多すぎますし……」
「待て待て、ライアン! 明日だと⁉ 無茶を言うな。いくらなんでも無理に決まっているであろう」
シュトロイゼルが慌てて止めた。
突然のライアンの発言にリンも驚いたが、カリソンも大きく目を見開いているではないか。
周囲に控えている者たちは全員、首を縦にブンブンと振っている。
「承知しております。ええ、ですから、ひと月後。十一月の満月の夜にしようかと」
「ひ、ひと月⁉」
シュトロイゼルの腰が浮かびかけた。
「いやいやいや。其方そんなに待てな……、いやいや、来年の夏至でよいのでは? もともとそう考えていたであろう? これから寒くもなる。なにも大地が眠るこの時期にせずともよいではないか」
リンはびっくりして固まったままだが、部屋中がそれに頷いている。
「問題はないでしょう? 秋に結婚したラミントンという前例もあります。前例というなら賢者の結婚も例がないのですから、いつでも問題ないのでは?」
「雪が降ったらどうする」
「歩けぬほどの吹雪なら延期も考えますが、積雪ならば精霊たちが片づけるでしょう」
そこはリンも納得した。毎回歩きやすくて助かっている。
「だが、参列予定者に招待と連絡もあるであろう。さすがにひと月では……」
「ちょうど大市の最中です。各地から文官も来ているし、連絡もつけやすいのでは? それに都合よく、今滞在中の領主も複数いるではないですか」
全く忍べてはいないのだが、どうやらお忍びとして楽しんでいるようで、今年もオープンした食事処と菓子処の予約は常にいっぱいだ。
「秋の大市が終わって、どの領も一息つける時期です。ひと月あれば都合をつけることも問題ないのでは? 真冬は移動し難く、春からは大市、夏の社交と続きます。逆に夏至に予定を開けるほうがよっぽど忙しく難しいのでは?」
「ううむ……。まあ、そうではあるか」
ライアンはさらさらと理由を語る。
「それに、十一月の満月は、リンがヴァルスミアに来てからちょうど二年にあたるのですよ」
リンがハッと顔を上げた。
優しい顔でリンを見ているライアンに、リンもふっと微笑みかけた。
「そういえばそうでしたね。もう二年ですか。信じられない。あっという間だった気がします」
忙しく、そして充実した、駆け足で過ごしたような二年だった。
「リンにとっては見知らぬ国に来て、心まで寒くなるような不安な夜だったでしょう。ですが、あの夜は私にとって、リンと出会えた最も幸せな夜でもあったのです」
ライアンは隣に座るリンの手を取ったまま、じっと見つめた。
「今思えばなんと幸運だったかと。心まで温かく、熱くなるような思い出です。できればリンにとってもそうであって欲しい。これからずっと二人で思い返し、幸せな年月を数える日にしようかと」
部屋がしんと静まりかえった。
「……ええ」
溢れそうな涙をこらえれば、ライアンが親指でそっとそれを拭う。
ぐすりと鼻をすする音がして、見回せばカリソンも涙ぐんでいる。
壁際に立つ者も俯き、顔をこすっている。
途端に恥ずかしくなり、リンは慌ててハンカチを取り出した。
「……あああ! そうまで言われては反対などできぬではないか!」
自分の妻と毎日のように記念日を過ごしている領主はそう言った。
ライアンが領主に頷いた。
「では、ひと月後、十一月の満月の夜でいいですね。それにちょうどいい。温泉が整ったと連絡がありましたが、大市直前のことで視察にも行けませんでした。リンと訪れる予定です」
「なに?」
「その次の満月、ちょうど冬至の祝祭頃になりますが、それまでには戻ります」
「待て待て待て! そんなに長く離れるつもりか? 執務はどうするのだ」
「ですからひと月の準備期間をとるのですよ、父上。執務もそうですが、食料を運び込んだり向こうの準備も必要でしょう。不在の間もシムネルとフログナルドはヴァルスミアに残りますし、シルフも飛ばせますから問題ないでしょう」
初めて聞いたであろうシムネルとフログナルドが、目を見開いた。
「二人を置いていくのか⁉」
「ええ。リンの故郷では結婚後のひと月を蜜月といって、二人睦まじく過ごすそうです。日常を離れ、一緒に旅に出る者も多いとか。挙式に関してはリンの希望をできる限り叶えようと」
そういえば結婚について話をしていた時に、ライアンにそんなことを話したような覚えがある。
「いやしかし、いくらなんでもひと月は……」
「父上、蜜月ですから」
ライアンがにこりとしながら父に圧をかけた。
「あ、あれっ? もしかして、温泉施設の建設を急がせたのも……?」
「ああ。蜜月にはちょうどいいかと。それに雪景色の温泉を楽しみにしてただろう? 露天でもシルフに頼めば風も吹きこまぬし、ああ、『温風石』も設置させているから心地よく過ごせるはずだ」
確かに楽しみだと言った。
でもあれは、春の花、夏の緑、秋の紅葉、冬の雪を楽しめるよう、露天をぐるりと四季の庭で囲うよう設計したと聞いた気がする。
つまりどの季節でも美しいのだ。
「あ、あ、あ、ライアン! そういえばこの間、何だか強力な『温風石』を仕上げてましたね? もしかして……」
「ああ。湖を渡る風は冷たいから少し調整した。水気が多い場所だから心配だったが、サラマンダーも納得するものができている」
ちらりと見上げればサラマンダーがうんうんと頷いている。大丈夫なのだろう。
「はああああ」
大きなため息が聞こえた。
領主だ。
「そこまで準備がしてあるとは、なあ」
カリソンと顔を見合わせ笑っている。
「全く。庭を増やしているのだと思っていたが……」
そこでニヤリとリンに視線を向けた。
「まあ、そうだな。新婚だ。新妻のために特別大きな風呂を用意するのも当然であろうよ」
「ええ。そのとおりです」
「!」
ライアンはすましているが、リンは目を見開いたかと思うと、見る見るうちに顔が真っ赤になった。
「うう、えっと、あの、に、に、に、庭だとばかり、えええ、私、皆に楽しみだと言っちゃ……」
「リン、落ち着け」
「もおおおっ! 誰のせいだと思ってるんですかっ!」
「ラミントンでも結婚祝いに施設を贈っただろう? 君が気づいてないとは思わなかった」
「ううう。うそですよねっ。ライアン、絶対知ってて庭だと思わせてたでしょうっ!」
リンはまた目に涙をためているが、今度は羞恥からだろう。
息子はリンを最愛と定め、幸せそうな表情を見せている。それは親としてどんなに嬉しいことか。
シュトロイゼルは楽しそうな二人を眺め、自分の妻と視線を交わし合った。
「まあ、良い。仲睦まじいのはいいことだ。温泉でゆっくりしてくるがいい。二人で過ごすにはぴったりの場所であろうよ。なにせ美と愛の湖、だからな」
もともとはそれこそ冬至とか夏至当たりの挙式を考えてまして。
でも書いてたらライアンが全力を出してきました。温泉なぞをウキウキと造ってまして。
結果、考えていたのとは全く違う仕上がりに。
結婚式も書く予定ですが、気長にお待ちくださいませ。
この物語を愛してくださり、ありがとうございます。





