Hot spring and Wedding gift / 温泉と結婚祝い
「風呂好きと聞いたがここまでとはって、呆れてたけどさ。たらった たん」
温泉施設ができあがってから、リンは毎日通っている。
水平線を眺めながら朝風呂を楽しみ、夜には波音と湯音に耳を澄ませながら月の光が海に一筋の道を作るのを眺める。午後はお茶に呼ばれたりして予定が入ることもあるが、時間が空けばまたお湯につかる。
リンにしたらここは日常ではない旅先で、温泉旅館に来ているようなものだ。
温泉旅館に来たらそりゃあ温泉に入るでしょ! と、お風呂セットの籠を抱え、せっせと通っている。
女湯となった砦跡は、結局四か所に区切られた。
海に面した三か所がいわゆる貸し切りの半露天風呂だ。
広めの湯舟と寝湯がある浴室に、侍女の待機室を兼ねた脱衣室、それからマッサージとパウダールーム。これらを備えたものが三つできている。同時に三名が他者を気にすることなく利用できる。
もう一か所が蒸気浴室になる予定だ。こちらは入浴着を着て入るので個室にはなっていないが、貸し切りにもできる。
現在土の術師たちが「効率良く蒸気で満たす方法を検証中」として、リンと同じぐらい男湯に通っているらしい。納得のゆくものができたら女湯にも配備される。
ブクブクと泡のでるジェットバスはライアンが担当していて、精霊石を湯舟に入れれば簡単にジェットバスになる、というものを開発中だ。こちらもライアンが検証中で、やはり男湯に通っている。
家でも使えるだろうからぜひともがんばって欲しい。
「つまりは、皆、たらった たん たらっら おんせんのとりこ!」
施設まで先導し、待機してくれるラミントンのメイドさんたちには、二日目からは先に戻ってもらえるように丁寧に断った。人に待たれていてはゆっくりと浸かれない。
露天風呂を独り占めし、誰にも聞かれないと安心して調子っぱずれの歌を響かせたリンだった。
◇
お風呂の後、リンはグラッセの後について、本館の廊下をうつむき加減で歩いていた。
頬が赤いのはお風呂のせいだけじゃない。気分が高揚して出てきた自分でもよくわからない歌を聞かれたのだ。
壁の少ない半露天によく響いただろう。
長風呂をしている間に、隣に誰か来たのをリンは全く気づいていなかった。
「まさか、聞かれるとは……!」
「とても楽しそうでしたわ」
「おっ、お耳汚しを……」
「大丈夫。私とあとほんの数名しか聞いておりませんでしたもの」
あとほんの数名、にぐらりと来る。
お風呂上がりに見たメイドさんたちの顔を思い出し、リンの頬はもちろん、耳まで赤みが増した。
グラッセに誘われ、リンは本館の大広間で披露されているという各地からの結婚祝いを見に行くところだ。
リンが滞在している別棟は静かだが、こちらでは石壁に響いて話し声や笑い声が遠くから伝わってくる。通路を歩く者たちのマントの色も様々で、結婚式の参列客も多く滞在しているのだろう。
式はもう間近だ。
グラッセと並んで歩くリンに気づくとハッとした顔をされ、誰もが通路を譲り、首を垂れた。
「こちらですわ」
大広間は豪華な美術館のようだった。
領地ごとに並んでいるので、美しい布が掛けられているかと思えば、その隣に宝剣に宝盾と言っていいような、煌びやかな細工の施された剣と盾があったりするところが美術館と違うかもしれない。
グラッセは一つ一つ、どこの領地の誰から贈られたものなのかを確認しながら眺めている。
大広間の奥、上座にあたる場所に王家と並んで、ウィスタントンからの祝いが飾られていた。
リンが贈ったものは、ここまでに見て来た豪華なプレゼントと比べてだいぶ地味だ。
薄茶色の包みが一つ置かれている。
「あの、お茶だと書いてありますが……」
グラッセが首を傾げた。確かに一目見てお茶とはわからないだろう。
「ええ。これでもお茶なんです。そちらのカードにも書いたのですけれど」
リンのプレゼントは七子餅茶と呼ばれるもので、円盤型に固められたプーアル生茶が、七枚重ねで竹の皮に包まれている。
「これは昨年作られたお茶なのですが、これから数十年かけて熟成されます。その土地に馴染むようにして、香りも味わいも、口当たりも変化するんです。長い人生、毎年の記念日などに、その変わりゆく様をお二人でご一緒に楽しんでもらえれば」
「まあ……!」
リンは竹の包みに差し込んだカードを抜き取ってグラッセに渡した。中には今言ったようなことや保管方法、それから五年後、十年後、二十年後と、この先どのような香りと味わいが期待できるかなどを書いた。
プーアル生茶は作られてから飲むまでの、その歴史までもが風味に表れる。
リンがウィスタントンで保管するものと、ここラミントンで、ラミントンの空気に触れて熟成されたものは、きっと全く違う味わいになるだろう。
これからラミントンを率いていく二人に。
未来のラミントンも、そこで熟成されるお茶も、優しく穏やかに変化していって欲しい。
「そうですか。この先も一緒に。……本当にありがとうございます」
グラッセが嬉しそうにカードを読む間、リンはすっと視線を流し、重厚なタペストリーの向こうに飾られたモノに目を奪われた。
「……いや、いやいやいや」
七輪が飾られている。
だが、リンの知っている七輪とだいぶ違う。
なぜだか ――いや、理由はわかっているが―― 煌めいている。そしてラミントンの紋章付きだ。
リンは理解した、と言うようにコクコクとうなずいた。
「これは正しく、異彩を放つ、だね」
ラミントンらしく海をイメージした七輪のようで、白い石に精緻な波模様が刻まれ、青を中心とした貴石もふんだんに使われている。
リンが見たことのある石もある。
青紫色のは青の森で採れる『女神石』で、真珠のようなのは『ドロップレット』だと思う。
大広間にはいくつか宝石箱もあったが、それと並んでも引けを取らない。正確には宝石箱より目立つ。なにせ大きさが大きさだ。
ライアンとオグが土の術で作ったのだと思うが、贈り主としてリンの名前も並んで記載されている。
「実用的なおみやげのつもりだったんだけどな。まあ、こんな芸術作品になったら飾られちゃうか」
七輪に見えない七輪をリンは呆気に取られて眺めていたが、やがてそっと目を逸らした。
この七輪の上でインクフィッシュが身をよじるところが想像できない、いや、見たいものである。
「おお。こちらからは精霊のお力を感じるな。ややっ、なるほど。賢者様方のお名前があるぞ」
「さすがですこと。美しい装飾ですわね。見てくださいませ。この優美なこと」
七輪が優美だと形容されている。
「シチリンとは何でしょう? これもウィスタントンの新しい流行でしょうか」
「これだけ存在感があるのだ、応接室に飾るのではないか?」
「この後大市に向かいますの。商談に入れていただきましょう」
まだ七輪は販売されないはずだ。あってもこれとは全く別物になるのではないだろうか。
それとも貴族向け七輪はこの路線で行くのだろうか。
商品は最初のイメージが肝心だが、最初がこれでは――――。
聞こえてくる声に、リンはうろたえてそっと背を向けた。
「賢者様方の贈り物といえば、伯爵夫人はもうお試しになられました?」
「温泉でございましょう? まだ当家には順番が回ってきませんの」
「待ち遠しゅうございますわね。なんでもグノームの慈愛とオンディーヌの麗しさが溢れんばかりとか」
ええ、ええ。温泉は試した者すべてを虜にし、幸せにしますよ。
ついでにお肌も柔らかく、スベスベのふわふわですよ。
温泉には今だけウィスタントンの石鹸に、化粧水、クリームを置いてありますから、気に入られましたらどうぞお買い求めください。
「全く素晴らしいですな! 結婚祝いで温泉を贈るなど、誰が考え付きますか!」
いえ、そんな。ただちょっと、久しぶりに温泉に入りたくて。
温泉の噂を耳に入れると、リンはグラッセに合図を送って大広間を後にした。
久しぶりにリンがお茶屋さんらしい。
リンが温泉でたららら歌っているのは、クラシックです。





