The first snowfall / 初雪
家への侵入があってからリンは館に滞在している。
ラミントンへ向かう日も近く、グラッセへの贈り物選びにドレスの試着と、きっかけは残念だがリンの館滞在を喜んだカリソンやシュゼットに構われている。
館ではそんな優雅な時間が流れていたが、誰もいないリンの家の前には騎士の歩哨が立ち、不審者、目撃者はいないか、と捜索は続いていた。理由を知るリンは、天幕へ出るたびにどこかピリリとした空気を感じていたが、街の者は人が集まる大市だからこその警戒だと思っているだろう。
捜索は続いているものの難航している。顔を見た者がなく、男か女かも、服装すらわからないのであれば探しようがなかった。
そんな毎日の中、昨夜は暖炉に火が入れられたほど、気温が下がった。赤のマントが館中を駆け回っていて、どうやら火の術師見習いが暖炉を担当することになっているらしい。
あちらこちらに火が点けられた翌朝は、石壁に温かさが残っているようで、火の消えた部屋も暖かく感じる。
リンはまずケトルの『温め石』を合わせると、ふと思い出して、足元に置いた『温風石』も打ち合わせた。
「これからの季節は、サラマンダーさまさまだね」
言葉が聞こえたのか、リンの斜め前でサラマンダーが得意げに胸を反らし、ポポッと小さな火花が散った。胸だけでなく顎まで持ち上げたその顎下を、人差し指でチョイチョイと撫でてやる。
暖炉の火も心が落ち着くけど、素早く暖まる『温風石』を作って良かったと思う。
「売れるといいな」
各地の領主夫妻がラミントンへ行く前に立ち寄ることを決めたようで、大市を訪れ始めている。今頃はどの部屋でもメイドが説明しながら同じように『温風石』を使っているはずだ。
使ってみれば、きっとこの良さがわかるはず。
「売上、倍、いや、領主の館は部屋数も多いからきっともっと……」
いったい部屋数はいくつだろう、と答えのでないことを考えつつ、売り上げを思ってニマニマとし始めた。
◇
その寒さは、やがて雪となって降ってきた。
真冬のような先が見えない降り方ではないが、大市に向かうリンの上に、はらりはらりと舞いながら落ちてくる。
足元を歩くシロは毛皮を着ているせいか全く寒そうではないが、リンはマントの首元をきゅっと掴んで、天幕に急いだ。
「あ、リン様、おはようございます。降りだしましたね」
「本当に。昨夜からぐっと冷え込んだと思ったら。こちらは大丈夫ですか?」
ウィスタントンの天幕に顔を出したリンに、商業ギルドのトゥイルが声をかけた。
どの天幕も厚手の布を外側に足して下ろしている。領に合わせた色を使い、紋章も入ったその冬支度は、白い雲で覆われた街を鮮やかに彩っている。
風は遮られている気がするが、商台の前は広く開いているので、天幕の中も外と寒さはたいしてかわらないだろう。
「大丈夫です。今年は強力な武器がありますからね。ほら、こちらに」
トゥイルが商台にかかったクロスを持ち上げると、優美な形の木のホルダーに載せられた『温風石』が見えた。
商台の前に立つと、足元から温かさが伝わってくる。
その前にはヴァルスミアの森の針葉樹から取った精油をしみこませた布も置かれているようで、爽やかな森の香りも同時に吹き付けてくる。
これはいい。
温められた革靴の匂いが上がってくることもない。
「おおー。天幕は外だし、大きく開いているからどこまで暖まるかと思いましたけど、これなら大丈夫そうですね!」
「ええ、ええ。全く違います」
トゥイルが商台のこちら側に並ぶ薬事ギルドの売り子たちを見やれば、彼女たちも笑顔でうなずいた。
「冷え込む時は足先からくるんですけれど、今年は温かく過ごせそうです」
「この前から動きたくないぐらいです」
リンはトゥイルを見て、ニヤリとした。
「これは売れますよね」
トゥイルもリンと似たような笑みを浮かべて、大きくうなずいた。
「ええ。火のお力が風に乗り、即座に暖まりますからね。春のように『温風石』も大市の出展者に貸し出していますが、今朝は追加を求めて何人もギルドへかけ込んで来ましたよ」
「やっぱり。じゃあ館でも今頃きっと『温風石』の虜になった人が多いかもしれないですね」
トゥイルが先ほどよりも、人の悪そうな、面白そうな表情を見せる。
「あちらでは『加湿器』もお使いいただいていますから、きっと……」
リンにはトゥイルが言わなかった言葉がわかり、同じような表情を作った。
昼少し前にライアンとオグが連れ立って天幕に顔を出した。
オグがパンッと肩を払い、ライアンのシルフが二人の周囲をくるりと回り雪を吹き飛ばす。
「うおー、ますます冷えて来たぜ。雪も止みそうにないしな。……お、ここは暖かいな」
「リン、昼は食べたか?」
「いえ、休憩はちょうどこれからで……」
オグが持っていたバスケットから小さな木箱を取り出した。
「『ポット』を持ち帰りにしてもらったぜ」
「ポット」はすぐ近くのビール醸造所が作っているベーコンと野菜のビール煮で、チーズがとろりと蕩ろけているクリーミーなスープだ。
寒い日の差し入れにはぴったりだろう。
「わ、嬉しい! 早速いただきます」
バスケットにはリンの分以外にも「ポット」が入っているようで、オグが休憩を取っていない者に配っている。
リンはマドレーヌに目配せをすると、衝立の裏にあるリンの接客スペース、別名、タブレット様御用達喫茶処に回った。
いそいそと木箱を開けると、ふわりとチーズとビールの香りがする。
「これ、これ。ビールが入っているからか、あったまるんですよねえ」
木のボウルを取り出し、スープを口に運んでいると、向かいの長椅子にライアンとオグが座った。
「リンの言っていた弁当箱、だったか。この持ち帰り用の木箱と極小の『温め石』、本当に便利だな。食事処でも使っているせいか、最近売れ始めていると聞いた」
「んぅん、でしょう?」
酒で柔らかくなったベーコンをゴクンと飲み込みながら、リンが言う。チーズも喉をトロリと滑り落ちて、お腹からポッポとしてくる。
「使えば良さがわかるからなあ。こんな日にゃ、腹にあったまるもんを入れたいだろ? スープや酒を売ってる店や屋台は、すごい行列だったぜ」
「その場で食べるにはもっと長く待つことになるし、こうやって持ち帰りをする者も今日は多いそうだ」
「スープにお酒ですか……。うちでは商品を見ていただいている間に、スパイスの利いた果実茶を飲んでいただいたりしてるんですけど。もっと他に何かあったほうがいいのかなあ」
リンが考え始めると、ライアンとオグも同じように首をひねった。
「そうだな。でも、果実茶や薬草茶は数が出せないだろう? 価格もだいぶ高くなる」
「難しいよな。スープやビールはあちこちで出しているし」
「そうなんですよねー。お腹からあったまるというと、思いつくのが故郷にあった温かいお酒なんですけど……」
熱燗、ぬる燗、卵酒、ホットワインにエッグノッグなどが思い浮かび、ここでは難しいかと言い淀むと、ライアンとオグが食いついた。
「酒を温めるのか?」
「うまいのか!」
じっと見つめてくる二人を、リンは両手を前に出して押さえた。
「や、待って。おいしいのはおいしいですよ。沸騰させることで酒精も飛んで、お酒に弱い方でも飲めますし。ただ、難しいかなって。量的にも、価格的にも」
「温めたワインに、例えばシナモンやクローブのスパイス、サントレナのレモンの皮で爽やかさを足して、ヴァルスミア・シロップで甘みを付けるんですよ」
オグがため息を吐いた。
「聞くだけで試してみてえが、厳しいだろうなあ。ウィスタントンは産地でもねえし」
「ですよねえ」
顎に指をかけて考え込んでいたライアンが顔をあげた。
「食事処なら出せるのでは? 酒精が飛ぶなら女性でも大丈夫かもしれないから、菓子処でもいい。あちらなら多少高くても問題ないだろう。各地の産物を使うのも食事処の意図に合う」
「おお! いいな!」
「……そうですね。ただ、対象者が限られて、寒い中並ぶ方は減らないかもしれないですけど。並んでいる間に風邪を引きそうですよね」
ウィスタントン産で何か、と考えて、思い浮かんだのがリンゴだ。
「あの、シドルの生産はどんな感じですか? 量はありますか?」
「シドル? シドルを温めんのか?」
「無くはない。……あれならワインより価格は抑えられるかもしれないな」
「例えばシドルを温めて、そこにスぺステラ村で採れたローズマリーを加えたらおいしくなりそう。あ! シドルでもいいですけど、リンゴジュースそのまま! 温めて、ローズマリーやシナモンをちょっと加えて、それだけでいいかも! 風邪にも効きそう!」
思いついたリンはニコニコと満面の笑みだ。
「ふむ。ローズマリーは前の冬に風邪予防の実績があるな。それに、安価に提供できそうだ」
「シドルとジュース、両方やったらいいんじゃねえか? それこそ大人から子供まで楽しめる。やっぱり酒がいいって奴もいるからなあ」
リンがうんうんとうなずく。
「『温め石』があればここでも作れますし、できそうですね」
「なあ。でっかい鍋とかに作って、『船門』の辺りで売れねえかな。船は寒いだろ? 身体を温めながら大市を見て回るのもいいと思うんだが。必要なら見習いたちに依頼もできるぞ?」
「ああ! それ、いいですね。『船門』だけじゃなく他の『門』でも……」
オグが立ち上がった。
「じゃあ、ちょっとギルドに戻って手配してくるな」
「塔にある大鍋を用意させる。スぺステラの方へも連絡を入れておこう。食事処の方へはリンが連絡してくれるか?」
「ええ、もちろん」
リンとライアンそのも一緒に立ち上がり、白くなってきた街を見やる。
その三人の前を、黄色のマントがふらふらと横切り、商業ギルドの方へ向かって行った。
「……土の術師さんでしたね」
「ずいぶんと顔色が悪い」
「あー、納品だろうな。この冷え込みじゃ、『温風石』に『温め石』、魔法陣を刻んでも刻んでも終わりが見えないだろうぜ」
ついこの間、彼ら土の術師のためにグノーム・コラジェの根を取りに行ったばかりだ。
「……『加湿器』も売れている。問い合わせが増えるばかりだ」
「『精霊石』が売れるのは嬉しいですけど、なんか今にも倒れて雪に埋もれそうじゃありませんでした?」
ふと、目の下にクマを飼っていた土の術師たちの顔を思い出した。
食事処の天幕で紫芋とグノーム・コラジェのスープを出したら、食べにくる土の術師が日々増えていき、今では毎日欠かせないメニューになっている。
これ以上注文が入ったら、あのクマはどっしりと座り込んで離れないのではないだろうか。
「ギルドで手配して、すぐ戻ってくるわ。俺にも『精霊石』を回してもらおう」
「えっと、私も『濃霧 改変版』の魔法陣は手には到底負えませんけど、簡単なのなら?」
オグの後でリンも手伝う意思を表明すれば、ライアンがリンを見下ろした。
「リンはサラマンダーの方を手伝ったほうがいいかもしれない。火の術師も休む暇はなさそうだ」
「ですよね。今朝、冬はサラマンダーさまさまだって、思ったばかりですもん」
「じゃあ、行ってくる」
「ああ。私の方は精霊術師ギルドにも連絡しておく」
三人は互いにうなずくと、それぞれの受け持ちの手配に動いた。
『お知らせ』
お茶屋さんは賢者見習い 3 が 11月25日に発売となります。
https://mfbooks.jp/product/ocha/322207001262.html
ISBN:9784046819307
この3巻が書籍としては最終巻になります。
WEBとは違いが出てくるため、修正・加筆もたっぷりです。WEB版読者の皆様には
その違いも楽しんでいただけるかと思います。
書影など、お知らせが出ましたら、またご報告いたしますね。
いつもありがとうございます。
このお話の中で「ポット」というスープが出てまいりますが、
これは書籍1巻に出てきたものと同じです。





