A voyage and a picnic basket / 船旅とピクニックバスケット
ウェイ川は国境となるだけあって幅が広いのだが、間もなく船は、川の中央を滑らかに進み始めた。
リンは流れる景色に釘付けで、船べりに貼りついたままだ。
ヴァルスミアの高い城壁が過ぎ、その後はのどかな農村地帯が広がっている。近くに、遠くに、農家がまとまって、村になっているのがわかる。その中で一番目につくのは、濃い緑だ。
「森を抜けたら、また森って感じなんだなあ」
「ウィスタントンの特徴だ」
リンのつぶやきに、背後のライアンが答えた。
「なぜ『ヴァルスミア』と呼ばれたのか、わかるだろう?」
「『森の海』って意味でしたっけ。ホント、そんな感じですねえ」
「農地は少ないが、森の恩恵は大きい。民も皆、森を愛している。……リン、シュゼットの話相手になってやってくれ。気が紛れるだろう」
ふと周りを見れば、一緒に乗り組んだ人々は、船のあちこちに散らばっている。
船べりにもたれて座り込む者や、リンのように景色を楽しむ者。領主夫妻は、ウィスタントンの領地を指しながら、文官や護衛達と話をしている。
船の後方に簡単な天幕の屋根が張られているが、その日よけの下、一番後ろのベンチの真ん中に、シュゼットは前を向いて座っていた。その席は船のカーブに合わせてベンチができて、後ろにもたれることもできる。壁もない天幕は、今の季節は風が通って気持ちいいだろう。
リンが近づくと、シュゼットはにっこりと笑って、自分の横に座るようにと、ベンチをポンポンと叩いた。
ベンチにはクッションがたっぷりと置かれて、これもすべて持って移動していると思えば、荷物がリンの数倍になってもおかしくない。
シュゼットはリンのほうを、ちらりと見ながら言った。
「リンは船に乗っても、気分が悪くならないのね?」
「船に乗るのが初めてなのでわかりませんが、今のところ大丈夫みたいです」
山をくねくねと降りるバスにやられたことはあるが、そこから比べると、ほとんど揺れを感じない船は快適だ。
「うらやましいわ。私は海の船は大きいから大丈夫なのだけれど、川船はいつも苦手なの。今回はライアン兄様がいらっしゃるから、だいぶいいのだけれど」
ライアンが何かしたのだろうか、と横のベンチに座るライアンを見る。
「風と波を、揺れが少なくなるように整えているだけだ。水量もあるし、予定時刻よりだいぶ早く、昼前にはラミントンの港に入れるだろう」
船が滑らかに進むわけである。
暑いからと風を起こしたり、ライアンは呼吸するように精霊術を使う。
大自然に力を加えて動かすのは、大ごとではないのだろうか。
「そんなに力を使って、大丈夫なんですか?」
「整えるだけなら、そう難しくない」
また具合が悪くなるのではないかと心配するリンの質問に、ライアンは簡単に答えるが、実際はシルフとオンディーヌを長時間扱うのは力がいる。
航行に関した使い方だと、船の出航、寄港時と、航路を大きく変える時に力を使うのが一般的な術師だ。
これも大賢者アルドラの、ある意味、非常識な特訓のたまものである。
「前を向いていると酔いにくいの。横を向けないのだけれど、ごめんなさい」
「大丈夫ですよ」
リンは自分の扇子を取り出して、ゆるやかにあおいだ。
柔らかな風が、リンとシュゼットを包む。
「リンの紙のセンスね。気持ちがいいわ。……こうやって使うのね」
シュゼットも自分のレースの扇子を取り出して、あおぎはじめた。
「それから、えーっと、これも」
リンは自分のピクニックバスケットを開けて、ゴソゴソと探すと、クグロフにお願いした、特注の小さな木箱を取り出した。
中には精油の入った茶色の小瓶が数本、ぴったりと収められている。
瓶を一本取り出して、ラベルを見ると、蓋を持ち上げてシュゼットの前に差し出した。
「ミントなんですけど、この香りは好きですか?」
「まあ!爽やかな香りね?」
「気分が悪くなりそうな時に、私はこれをハンカチに少し落とすんです。使いますか?」
リンが飛行機やバスに乗る時に使った方法だ。
「ええ、お願い」
シュゼットのハンカチを借りると、小瓶の口に当てて、精油を少し取った。
「これはスッキリとして、気持ちがいいわ」
「良かった」
笑顔のシュゼットに、リンもにっこりと笑った。
見習い達の面倒を見ていたオグが、シュトレンと一緒にやってきて、ライアンの隣に腰を下ろした。
シュトレンの持つトレイの上には、館の料理人達がつくったサンドイッチが載っている。
「軽食だそうだ」
ブルダルーや他の料理人も、手分けして乗船者に配っているようだ。
「いただきます」
ライアンとリンも手を伸ばすが、シュゼットは遠慮している。
「何も食べないと、かえって気分が悪くなるぞ」
「そう思って、朝早くに少し食べてきたわ。まだ大丈夫」
リンも思い出して、バスケットから、フラップ・ジャックを取り出した。
「これ、デザートに。フラップ・ジャックといって、フルーツとナッツとオート麦を固めたお菓子なんですけど」
リンは、シュトレンが差し出したトレイに載せた。
配ってまいります、と立ち去るシュトレンの背中を、シュゼットは残念そうに見送った。
「リンのお菓子を、食べられる気分だったら良かったのに」
「バスケットにまだ残してありますから、大丈夫ですよ」
残念さを表した、かわいらしいその声に、リンはクスリと笑って、サンドイッチに噛みついた。
「シュゼット、冷たいお茶なら飲めそうですか?天気もいいし、水分は取ったほうがいいと思うんですけど」
「ええ。いただきたいわ」
「ええと、普通のお茶と、カモミールとハニーミントがあります」
「ハニーミントの方が、すっきりとするかしら」
「じゃあ、これを……」
作ったばかりの『お茶の石』を、バスケットから取り出した。
色を確かめて、カモミールとハニーミントのアイスティーを封じ込めた石を選ぶ。
「あ、ライアン、最初に大丈夫かどうか、教えて欲しいです。『お茶の石』を作ったんですけど、これ、中身は劣化しませんか?」
「『お茶の石』だと……?」
ライアンとオグの視線が、リンの持つ、薄い黄色の、つるりとした石に向かう。
その形も質感も、確かに精霊石のようだが、見知ったものではない。
リンはライアンの手に、ポンとその石を置いた。
オグも横から、マジマジと覗き込む。
「リン、新しい物を作る時には、先に言えと、あれほど」
「そうはいっても、密封できる水筒がなくて、今朝、思いついちゃったんです」
聞く暇がありませんでした、と悪びれずにリンは言う。
「思いついちゃった、だとお?」
「……リンは、そういうのが多いな」
オグとライアンの呆れたような声がする。
「冷室にピッチャーを入れて運んだら、こぼれるかもしれないじゃないですか。それで、水と同じように、お茶も閉じ込められないかなって、試したんです」
「祝詞はどれを使った?」
「ん?『水の石』を作るやつですよ?アロ サフィラスから始まる、アレです」
「ライアン、あれは、清浄な水を閉じ込める祝詞じゃなかったか?」
「そうだな。『清澄で、汚れなき水の雫』を閉じ込める祝詞だ」
「それでなんで、お茶が入るんだよ」
「それをできてしまうのが、リンの変なところだ。リン、祝詞以外に何を言った?」
変なところとは、ひどい言い草である。
「変ではありませんよ。オンディーヌに『水の石』みたいに『お茶の石』を作れるか、聞いたんです」
ライアンは額を押さえているし、オグは天を仰いでいる。
リンはちょっとむくれた。
「オンディーヌが作ってくれたんですから。……ちゃんとお礼も言いましたよ?」
「オンディーヌがいいと言うなら、まあ、いいのか」
「だけど、これ、他のヤツにつくれると思うか?」
「試さないとわからんな」
二人の会話は、リンの質問から離れていっている。
「それより、これの中身が劣化しないのか知りたいんです」
ライアンは、精霊石を触りながら、考えつつ答えた。
「中に閉じ込めた水は、変質しないのが『水の石』だ。だから、そのまま維持されるはずだが、確かめてみないことにはわからぬな。……茶を閉じ込めようと思った者が、今までおらぬ」
ライアンはため息をついて、リンを見た。
「温かいお茶と冷たいお茶、両方閉じ込めたんですよ。もし、そのままの温度で出てくれば、維持されているってことですよね?」
そういって、リンは後二つ、冷たい紅茶の石と、熱い台湾の鉄観音茶の石を、ライアンの手に載せた。
精霊石の色がすべて違う。
ライアンは自分の腰から、カップを外した。
「あ、魔法陣は入っていませんから、祝詞でお願いします」
「クーレ アクアム。……アベルテ アクアム」
ライアンは頷くと、カモミールとミントのお茶を少しカップに注いで、味をみる。
オグにリン、シュゼットがじっと見つめた。
「……どうだ?」
「うまい。冷たいままだ」
「ふふふ。暑い時にアイスティーはぴったりでしょう?」
だから作ったんですよ、と、リンは得意げだ。
「そういう問題では、全くないのだが……」
どうしていつも、いきなり思いもつかぬことをするのか、と、ライアンは、リンのしたり顔を眺めた。
オグが『アイスティーの石』を使い、ライアンは、今度は、好みの熱い鉄観音茶をカップに出した。
「うまいな。本当に冷たい」
「こちらは、ちゃんと熱いままだ」
「成功ですね。じゃあ、シュゼットにあげても大丈夫でしょうか」
「ああ、大丈夫だろう」
ライアンはシュゼットの近くに立つメイドに、グラスを持ってこさせ、そこにカモミールとミントのお茶を注いだ。
「美味しいわ。リンのバスケットは、なんでも入っているのね」
シュゼットが楽しそうにピクニックバスケットを眺めるのを見て、リンは自分も鉄観音茶を飲み始めた。
オグも今度は、鉄観音茶を試している。
「ライアン、これ、魔法陣をいれて、汎用にするか?輸送がだいぶ楽だろう?」
「それは確かだな。しかし、もっと長期で、本当に問題がないか、確認しないとならぬ」
オグとライアンは、精霊石の話を始めた。
「変質しないのですから、変質というか、空気と触れさせて熟成させると良いものは、入れられないと思いますよ」
「なるほどなあ」
「薬などは、劣化しなくていいかもしれん。逆に毒物などは、劣化せず、大量に持ち運べるので、注意が必要だが」
「ど、毒物ぅ~?」
飲み物の話から、きな臭い話となってきた。
「ああ。手の中に包み込めて、目立たず、使うのも楽になってしまう」
「それは確かにいえるな。じゃあ、汎用にするのも問題か?」
「……それは容器の問題以前に、他の問題がある気がしますけど」
ボソリとつぶやくリンを見て、ライアンが言った。
「まあ、リン以外に、おかしな精霊石が作れる者がいるか、試してからだろう。確固とした祝詞ができているわけでもない」
「まあ、そこからだな。思いついちゃった、で、できてしまうヤツも普通いないだろう」
また、変だと言われた気がする。
リンは失礼なライアンとオグを、ジロリと睨んだ。
「おかしくて、悪かったですね。……あーあ、オグさんもラグもいるし、船旅にいいかと思って、ミードも、赤ワインも、リモンチェッロも、蒸留酒まで、石に閉じ込めてきたんだけどなあ」
ライアンとオグの肩が、ピクリと動いた。
「ま、待て、リン」
「残念だなあ。おかしいのかあ。『ワインの石』も『リモンチェッロの石』も、綺麗な色に仕上がったんですけどね」
リンは指に挟んで、濃いボルドー色の石を動かして見せた。
「いや、おかしくは全然ないぞ」
「私、優し過ぎましたね」
オグは焦って、固まって、何も言わないライアンを肘でつついた。
「リン、すまぬ」
「申し訳なかった」
膝に手をつき、深く頭を下げる二人を見て、リンとシュゼットはコロコロと笑った。





