Heart / 心
グラッセの扇子用の精霊石を作りに、リンとライアンは、早速聖域へ向かうことにした。なるべく早くクグロフに石を渡さないと、王都へ行くまでの作業時間は限られている。
リンは儀式用の術師のマントをはおり、扇子を手に持った。
「ドルーに見せるのだろう?」
「はい。ドルーの枝ですから。見せないと」
「ああ、そうだな」
ライアンも同じように、自分の扇子を取り出し、少し迷って革袋に入れた。
「ベルトに付ける、センスを収納する袋が欲しいところだ」
「そうですね。レーチェさんに聞いてみます」
聖域に入り、リンはいつものように、ペコリと頭を下げると、湧き水近くの石の台に近づいた。
「加護石と同じようにしたんだったな」
「ええ。精霊にこういう風にって、お願いしただけなんですけど。今回はラグの手紙を読んで、気持ちを伝えようかと」
ラグナルの心が書かれているという手紙を取り出して、開いた。
「…………あー、うん。全く考えていませんでした」
「どうした」
「単語の半分が、読めないかも」
ラグナルの文字は流麗で、お手本にしたいようだが、だからこそ読みにくかった。
「ライアン、読んでくださいませんか?」
「私がか?」
「他にどうしようもないですもん。読んで私に教えるのでもいいですけど、これ長いから、覚えられるかどうか」
リンはそう言って、ライアンに手紙を差し出した。
さっと目を通したライアンは、手で口元を覆ってしまう。
「……リン、これを口に出して言うのは、かなり気恥ずかしいのだが」
「え!もしかして、すっごい愛の言葉が並んでいるとか?」
おー、ラグ、なかなかやるなあ、と、手紙を覗き込み、なぜかリンは嬉しそうである。
「大丈夫です。ライアン、あの片想いの賢者が作った、水の祝詞もさらっと言えるじゃないですか」
「アレより威力が強いと思うが。……本当に私が読むのか?」
「そんなにアレなんですか?じゃあ、先にどんなものなのか、教えてください」
ライアンは嫌そうな顔をした。
「リン、フォルト石の準備をしろ。水の精霊石となるようだ。……二度も言わされてはたまらぬ」
ライアンにせかされて、リンは湧き水にフォルト石をいくつか放り込むと、水の加護石を握りこんだ。
「水の精霊オンディーヌよ、私の友人ラグナルに代わり、彼の純粋なる思いと感謝をここに捧げます。どうぞその心を聞き届け、彼の大事な人、グラッセへ贈る力をお与えください」
そこでライアンをチラリと見た。
リンに続いて、テノールの声が響き、ライアンがラグナルの心を代読する。
「『私、ラグナル ノラン ラミントンは、
我が妻となる、グラッセ ベリット アダイアに、
心の深き場所より湧き出でる、永遠に続くこの思いを贈ろう。
青の森に湧く泉が、常に清き水をたたえるように、
青葉に貯まる朝露が、我らを癒し、美しくあるように、
母なる海が、力強く、温かく育むように、
天の雨水が、肥沃な大地と、豊かな恵みをもたらすように、
雷鳴と共に迫る嵐が、強大な力と、可能性を秘めるように、
それらすべてを持つ女性に、永遠に我が想いと感謝と情熱を捧げよう。
泉のごとく、朝露のごとく、海のごとく、雨水のごとく、嵐のごとく
どうかオンディーヌよ、美しき水の精霊よ、
悪意を流し去る浄化の力、水の癒しに、包み育む心
その偉大なる水の力で、我が妻となる女性を、守り、支え給え』」
美しく紡がれた言葉を、どんな顔で読んでいるのか、と、横目でチラリと眺めたが、ライアンはこういう時、全く表情が変わらないのだ。
もっと照れるところが見られると思っていたのに、と、ライアンに朗読を押し付けておいて、リンは勝手なことを考えていた。
ライアンの言葉が終わらぬうちから、共鳴するように、湧き水にきれいな波紋がいくつも広がった。
リンがのぞきこめば、青く濃い色をした、美しい水の精霊石ができている。
取り出して、ライアンに見せた。
「できました!成功ですね」
「そのようだな」
ライアンは、ほっと息をついた。
「でも、ライアン、普通の顔をして読んでましたね」
「人に読ませて、どこを見ているのだ」
「だって、すっごく綺麗で、情熱的な言葉だったじゃないですか」
「……聞き慣れてはいるからな」
「え?」
「いや、なんでもない。貴族社会で一時期、このような言葉を贈るのがはやったらしいのだ。今も教養の授業で学ぶ。残念ながら、どの学校でも必須科目だ」
「片想いの賢者みたいなのが、いっぱいいるってことですね」
残念ながら、というライアンは、きっと苦手なのだろう。
貴族社会は大変だと思いながら、リンは精霊石を回収する。
さわり、とかすかな音がして、横を見ればドルーが立っていた。
「ドルー、こんにちは」
ライアンと二人、頭を下げる。
「ドルーにいただいた枝でつくった、扇子が完成したんですよ」
二つの扇子を開いてみせると、ドルーは目を細め、どこか嬉しそうに見ている。
「ほう、これが。我の枝がこのように使われるを見るは、……建国の頃以来じゃろうか」
はっとした。
オークの枝でも、これはドルーが宿るオークの枝なのだ。
今まで何かに使われたことが、あろうはずがなかった。
「ドルー、本当にありがとうございました。大切にします」
「我が望んだことじゃ」
「それから、オグの婚礼にもオークの枝を賜り、感謝申し上げます」
「オェングスも昨日、そこまで妻と挨拶に来たの。共に歩むを見るは、我にも喜ばしく思える。その祝福じゃ」
リンはドルーに言ってなかったことを思い出した。
「あの、ドルー、すみません。私、あのオグさんに頂いたオークの枝を、あの場にいた花嫁の花冠に、少しずつ頂きました。幸運のお守りに」
「かまわぬ。我の祝福が、二人で歩く道を照らすであろう。これからも、婚礼の際には渡すと良い」
ライアンが再度頭を下げた。
「ドルー、ありがとうございます。新たな夫婦へのアミュレットとなることでしょう。婚礼の際には、オークの枝を賜るように、術師に告げておきましょう」
「ライアン、アミュレットって?」
「リンの言う、幸運のお守りだろうか。大篝火のように、清め、邪を払う。このセンスの精霊石も、そのようなものかも知れぬ」
「皆、喜ぶでしょうね。でも、ドルー、そんなにオークの枝をいいんですか?本来、切ってはダメなのでしょう?」
「髪の一本や二本、落としても痛くはない。それに、オークを切ってはならぬということも、ないのじゃが」
リンはライアンと顔を見合わせた。
「えーと、でも、オークは切ってはいけない、賜るもの、ですよね……?」
ライアンも眉を少しひそめて、首をかしげている。
「ドルー、この国では皆が、建国時のドルーとの契約にて、オークに決して傷をつけてはならぬと学んで参りましたが」
「オーリアンよ、そのような契約はないのじゃ。他の木を切るは良くて、オークの木だけならぬというのも、おかしな話であろう?」
「では、どうして……」
ドルーは、何かを思い出すように、遠くを見つめた。
「とおーい昔の話じゃの。追われて、この森までたどり着いたヒトの中に、まだ若いが、面白い者がおった。我らが見え、話ができた」
フォルテリアスの建国王の話だ。
「話せるヒトは、珍しくての。森に隠れ、春を過ごし、我らは友となった。じゃが、ここは冬は寒く、開けた土地も少ない。夏が終わるまでに野を渡り、山を越え、南に移れと、我が勧めたのじゃ。我がその行く道を守ろうと」
子供向けの建国神話は読んだけれど、歴史の証人、というより歴史そのもの、神話に出てくるドルーから直接聞くのは、なんとも不思議だった。
「精霊の加護は忘れぬ。今後一切、オークの木を傷つけはせぬと言っておった。必要とあらば使えと言ったが、首を振った」
ドルーは嬉しそうに、あご髭をなでた。
「その心が嬉しくあってな、旅立つ前に、我を一枝差し出したのじゃ。土地を決めたら、この一枝をそこに差せば、その地を我が祝福しようとな。それは本当に約束したのじゃ」
「建国の一枝より育ったと言われるオークは、王城にございます。あれは、まことでございましたか」
「あの頃より、ずいぶんと行ってはおらぬがの。そうか、もう城ができたか」
ドルーはリンとライアンが手に持つ扇子を、もう一度眺めた。
「そのセンスの枝を落としたのは、それ以来のことじゃな。傷つけぬと言ったその心も嬉しく、求められることも、嬉しいものじゃとわかったのう」
リン、また何か必要があれば言うのじゃぞ、と、神話の主である偉大なドルーは、リンにねだっていた。





