五、かのこいのこくまのこ 前編
『かのこかのこ
ちいさなかのこ
たんと草食べ 木の実をお食べ
大きゅうなったら 遠くへお逃げ
かのこかのこ
ちいさなかのこ』
枝についた葉を千切りながら、天祐が歌っている。葉は薬にするのだ。
「なんですか、その歌は?」
猫猫は肩を回しながら聞いた。
(あー、体が凝った)
変な体勢で横になるものではないなと反省しつつ、枝を持つ。一枚ずつ葉を千切るのは面倒だ。枝に沿って指を滑らせて一気に落とす。太い枝にはとげがついているので確認してからやらないといけない。
天祐も同じようにやればいいのにちまちま一枚一枚やっていてまどろっこしい。
「んー、この歌? どこにでもあるでしょ、わらべ歌だよ」
「ふーん」
さして気になって聞いたわけではない。音律が妙に良くて、なんとなく口にしただけであるが、それが間違いだった。
「二番聞く?」
「別に」
「ええっと二番はね」
『いのこいのこ
ちいさないのこ
たんと虫食べ たけのこお食べ
大きゅうなったら 遠くへお逃げ
いのこいのこ
ちいさないのこ』
かのこに続いていのことなっていた。
「鹿に猪ですか」
「そうだよ。うちの実家は猟師だからねえ。ちっちゃい頃はあいつら本当にかわいいんだけど、大人になったら憎らしくて仕方ないってみんな言ってたなあ。おかげさまでうちは喜ばれるんだけどね」
鹿も猪も害獣であると同時に、肉にもなる。猟師は歓迎されるだろう。
「遠くへお逃げというのは」
「わらべ歌だから子どもが歌うんだよ。このまま太って大きくなったら肉になるしかないからね。とはいえ、肉になったらなったで美味いけど」
「ふーん。三番は熊ですか?」
猫猫はたまに熊の腑分けに参加させてもらったことを思い出す。
「そのとおり。でも熊はこちらが逃げる歌詞になる。子熊はいくら可愛くても近づいちゃだめなんだ。母熊が怖いから」
「そりゃそうですね」
猫猫は籠いっぱいになった葉を押しつぶす。このあと洗って蒸して乾燥させる。
「熊の肝は貴重ですから、どんどん捕まえてほしいんですけどね」
「熊ねえ。今は熊を狩る季節だし、出てくるんじゃない?」
「出るといいんですけどね」
猫猫の願いは意外なほどすんなり叶うことになる。
数日後、猫猫は森の中にいた。
急遽上級医官から行けと言われるがまま馬車に乗せられた。
「一体何をするんですか?」
心配そうな顔で猫猫を見る長紗。小柄でずけずけ物を言うほうの後輩官女はいきなり外に連れ出されて何かと不安になっていた。
もう一人、不安そうな顔をしているのは姚である。今日は燕燕がいない。
「姚さんも猫猫さんもずいぶんくたびれた格好していますけど、もしかして今日の仕事って買い出しではないですよね?」
長紗の恰好はいつもの白い医官服ではなく普通の服を着ている。上着を着ているが最近買ったと自慢していた物なので、森の中ではそぐわない。
対して猫猫も姚も薄汚れた格好をしていた。姚の恰好を燕燕が見たら発狂しただろう。
「すぐに意味がわかるわよ」
姚の言い方はそっけない。くたびれた格好に機嫌を損ねたわけではない。ただ余裕がないのだ。
「はい、これどうぞ」
猫猫は荷物からぼろきれに近い上着を差し出す。
「えっ?」
嫌がらせかと長紗が顔を歪める。
「あとこれも」
袖口がしっかりしまった服を差し出す。履も毛皮でできたものだ。
「本当に何をするんですか?」
「獣の腑分けですよ」
猫猫は長紗を着替えさせると森の中へと入っていく。姚も真っ青な顔でついて行く。
「おう、来たか」
出迎えてくれたのはわんわん先輩だ。周りには長紗と同じように不安そうな顔をした新人医官が七人ほどいる。
「猫猫も演習か?」
「いえ私は引率です」
「俺と同じだな」
面倒見が良く優秀な中堅の医官なので、新人医官の引率にはぴったりだ。
長紗と同じように戸惑いの表情もあれば、姚と同じく顔を真っ青にしている者もいる。
前者は獣の腑分けが初めての者で、後者は補習を言い渡された者だろう。
猫猫は姚を見る。
「姚さん、無理して参加する必要はありませんよ」
「無理はしないわ。大丈夫よ、大丈夫」
姚は己に言い聞かせるようにつぶやく。
猫猫は大きく息を吐く。白い煙が口からでて、すぐさま消えた。首元が寒いので手ぬぐいを巻いて、荷物から刃物を取り出す。
「こちらをどうぞ」
猫猫は長紗に刃物を渡す。長さや太さが違う三本組の刀だ。執刀用の小刀を壊れにくくしたものだ。
「支給品はこの三本だけです。必要とあらば自分で買い足してください」
猫猫は姚を見た。彼女の荷物には箱入りの小刀が十本以上ある。
(できればこの三本だけで済ませたほうがいいんだけど)
手術は料理ではない。急な執刀の場合、道具を選ぶ暇だってない。
道具をそろえたのは姚ではなく燕燕だろう。姚に適性がないため、道具で補おうとしているのがよくわかる。
「今日は何でしょうか?」
猫猫は何度も通った猟師小屋へと向かう。
「うわっ」
長紗が驚きとも悲鳴ともいえる声を上げた。
「熊だ」
木に熊がぶら下がっていた。熊はだらしなく舌をだしている。
「し、死んでる⁉」
「生きてたらまず呼ばれないからな。さて、早速仕事だ」
新人医官の言葉に、わんわん先輩が返す。
猟師は熊を木から下ろし、切り裂き易いように大きな岩の上に乗せた。
「にいちゃんら、さっさとさばいていいか? これ以上肉質を落としたくない。こいつはさっき血抜きしたばっかりの個体だからな」
「わかっている」
猟師の言葉はもっともだ。本来なら血抜きをしてすぐ内臓を取り出さないと臭みがうつる。医官たちの腑分けのために、わざわざ知らせて待ってくれていたのだ。
(だからか、くさいな)
猫猫は鼻をひくひくさせる。
血の臭いというのは新鮮なときはあまりしない。腐敗することで、悪臭がひどくなる。血はあまり好まれて食すことがないのは腐敗しやすいからだろう。新鮮な血なら腸詰にすると美味いと聞いたことがある。
口元には手ぬぐいを覆っているが臭いを完全に遮断することはできない。
(いい季節だな)
年末だ。雪が降りそうで降らない季節なので、虫の動きが鈍っていると助かる。
蠅といった害虫もだが、寄生虫の動きも抑えられる。ぴょんぴょんはねる蚤やだにを持ち帰らないように考えるのも大変だ。
猟師は仰向けにした熊を血抜きした喉もとから割く。食道を切断すると今度は肛門から上に切り裂いていく。
「うっ」
血と内臓の臭いに若手医官が一人消えた。
姚は目を血走らせながら、我慢していた。
(長紗はどうだろう?)
長紗は顔色が悪かったが、吐くほどではないらしい。目をそらさず解体する様子を見ている。
時間短縮のためか、それとも一人では荷が重いのか、三人がかりでの解体だ。雑なようでいて内臓を傷つけずに取り出すのはさすがに上手い。一人が水をまめにかけて、血を流して見やすいようにしている。
取り除かれた内臓は大きな桶に突っ込まれた。小さな桶にも内臓が放り込まれる。
「俺たちはこっちをもらう」
血でべたべたになった猟師が言った。
「わかった。しばらく場所を借りるぞ」
「ああ。血は綺麗に洗い流してくれ」
肉と毛皮になった熊と小さな桶を猟師たちは運ぶ。
残された内臓の塊は異臭を放っている。
「さて、これから俺たちもやるぞ」
「や、やるんですか⁉」
「やります」
有無を言わせない口調だ。
慣れている猫猫は岩の上に、解体した内臓を丁寧に並べていく。
「手を怪我している方は、血や内臓を付けないようにしてください。病になりますよ」
寒いので落ち着いているが、野生の獣の中には年中寄生虫がいる。
「怖くて触れない奴は水でも汲んでこい」
わんわん先輩は若手医官たちに向かって言った。一瞬、悔しそうな顔をした若手医官たちであったが、二人ほど大人しく水を汲みに行った。
猫猫は内臓を並べながら欠けた部分に首を傾げる。
「珍味として食べる気なんでしょうか?」
足りない部位は、小さな桶に入れてあったものだろう。
「加熱すれば問題ないだろ」
とはいえ、教材が足りないと教える側としても難しい。
「そういえば」
空を見る。
「このままだと泊まりになるけど問題ないか?」
「私は別にいいですけど、二人にも聞いてきます。宿もとっておきますか?」
「頼む」
内臓の説明を受ける間に日は暮れるだろう。




