97:忍び寄る魔のフラグ
――カランカラン、と軽やかな鐘の音が鳴る。
「おかえり!」
おかみさんの馴染み深い声に迎えられ、ソーマたちはようやく帰ってきたことを実感した。
彼らのホーム、猪熊亭。
木造の梁に吊るされたランプが温かな光を放ち、香ばしいシチューの匂いが空気を包む。
懐かしい光景に胸がじんわりと熱くなる。
「やっと戻ってきたな……」
ソーマが呟くと、ジョッシュが鼻を鳴らした。
「ったく、アスガンドじゃ気張りっぱなしだったからな。やっぱり猪熊亭の椅子が一番しっくりくるぜ!」
クリスは柔らかな笑みを浮かべ、肩から下ろした荷物をそっと置いた。
「この温かさは……帰ってきた、って感じですね」
エルーナもシチューの匂いを深く吸い込み、目を細める。
「ふふっ……ここで食べるご飯は、格別ね」
やがて、運ばれてきた料理がテーブルに並ぶ。
こんがり焼けた肉、香草のサラダ、湯気を立てるシチュー。
ソーマは胸いっぱいに息を吸い込み、改めて心の中で呟いた。
――帰ってこられたんだ。
食事を終えた後、暖炉の火がはぜる部屋で、一行は今後の方針について語り合った。
「で、これからどうするんだ?」
ジョッシュが椅子にどかっと腰を落とし、肘を突きながら切り出す。
ソーマは少し言い淀み、腰の剣に視線を落とした。
「聖大陸アストレアに行く予定だけど……俺の装備が、な」
抜き放ったロングソードは、アスガンドでゼルガンから渡された借り物。
刃は真新しいが、手になじまず、どうしても軽すぎる。
「無理はできませんね」
クリスが頷いた。
「新しい装備が整うまで、無茶な依頼は控えるべきです。アストレアは結界が張られていてで比較的安全とはいえ……準備不足で挑むのは危険です」
エルーナも真剣な顔で言葉を添える。
「ゼルガンさんが戻るまで、休息を兼ねて軽めの依頼をこなすのが一番いいと思うわ」
ジョッシュは棍棒を床に立てかけ、大きく腕を組んだ。
「だな。いま無理して突っ込んでも、ドラゴニカの時みたいに装備が全部ぶっ壊れたら目も当てられねぇ」
「……あの時は、みんなを守るために使ったんだ」
ソーマは拳を握りしめた。
「でも……今のままじゃ、守れるものも守れないかもしれない」
重苦しい沈黙が落ちたが、クリスが静かに微笑んだ。
「だからこそ、待ちましょう。ソーマさんが本来の力を発揮できる時まで……焦る必要はありません」
仲間の視線が温かく注がれる。
ソーマは肩の力を抜き、深く息を吐いた。
「……分かった。ゼルガンさんが戻るまでは無理しない。軽めの依頼で繋いでいこう」
こうして一行は、しばしの休息期間を過ごすことに決めた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
数日後――
心身を癒やした一行は、冒険者ギルドへ足を運んだ。
大広間には人々の声と暖炉の熱気が満ち、掲示板には色とりどりの依頼書が貼られている。
「どれも重そうだな……魔獣討伐とか護衛依頼ばっかりじゃねぇか」
ジョッシュが掲示板を睨む。
「……あ、これ」
クリスが一枚の依頼書を指差した。
『南の森の奥に落とし物をしたので、探してきて欲しい』
「落とし物……?」
エルーナが首を傾げる。
「なんだそりゃ。ただの拾い物じゃねぇか」
ジョッシュは鼻で笑った。
だがクリスは文字を追いながら眉を寄せる。
「どうやら……商人が虫型の魔物から逃げる時に大事なカバンを落としたらしいです」
ソーマは依頼書を握りしめた。
「……行ってみよう。軽めだし、森なら俺たちも慣れてる」
「気になるって顔してるわね」
エルーナがからかうように笑った。
こうして一行は依頼を受注し、南の森へと向かった。
森に入った瞬間、空気が変わった。
冷たい風が木々を揺らす音はせず、代わりに肌を刺すような濃密な魔力が漂っていた。
「……やっぱり、普通じゃないな」
ソーマは剣を抜き、慎重に足を進める。
「空気がざわついてる……」
エルーナが眉を寄せた。
「まるで、誰かに見られているみたい」
ジョッシュはバットを担ぎ直し、低く舌打ちした。
「落とし物拾いのはずが……厄介な匂いしかしねぇ」
やがて、木の根元にカバンを見つけた。
依頼にあった落とし物に違いなかった。
「これが依頼の……」
ソーマが手を伸ばしかけた、その瞬間――
(……いや、待て。こんなに都合よく見つかるなんて……)
《ソーマの死亡フラグが発生しました――破壊しますか?》
どこからか、かすかな弾くような音が聞こえた。
――背筋を悪寒が走る。
「下がれッ!」
ソーマは反射的に叫び、飛び退いた。
刹那、カバンが爆ぜた。
土と煙が舞い上がり、周囲の木々を揺らす。
「なっ……!」
エルーナが息を呑む。
煙の奥から、ゆっくりと影が歩み出た。
灰色の肌に赤く燃える瞳、額から伸びる二本の角。
人の形をしているが、人ではない。
「……魔族……!」
クリスが顔を強張らせる。
魔族は不気味に笑い、声を響かせた。
「ノコノコと依頼に釣られてやって来たと思えば……勘のいいガキが混ざってやがる」
圧倒的な殺気が、森全体を覆う。
ソーマの手が汗で滑りそうになる。
借り物の剣一本で、こいつに挑まねばならない現実が重くのしかかった。
(罠だったんだ……! 冒険者を狙った……!)
「全員、構えろ!」
ソーマの声が森に響く。
仲間たちが一斉に武器を構えた。
緊張と恐怖が入り混じる空気の中、魔族と冒険者たちの視線がぶつかり合う。
――忍び寄る魔が、音を立てて立ち上がった。
この魔族の名前はタッカーにしよう。
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