第75話:「一回くらい、私にも権利があってもいいでしょ?」
「あのね、私、勘太郎くんのこと、なんとも思ってないんだよ」
神シチュだなんだと自分の中で反芻してひとしきり興奮し終えたらしい赤崎が、おれの目を見てそっと告げた。
「え、そうなの?」
自意識過剰を恥じるべきところだとは思うのだが、さすがに拍子抜けしてしまって間の抜けた声で答えを返してしまう。
「勘太郎くんは悪くないよ」
赤崎は申し訳なさそうに笑った。
「私がそう見えるようにしてたんだから」
「どういうこと……?」
「あ。ちなみに、私に言い寄ってくる先輩もいません」
「えっ……!?」
おれの質問を無視してさらなる爆弾を投下してくる。
「……じゃあ、なんでそんなことを?」
「私、ちょっと特殊な性癖持ちなんだあ……」
「はあ……?」
その口から出なさそうな言葉に耳を疑い、眉をひそめると、ついに赤崎はおれに対して、本当の告白をする。
「……私、極度の幼馴染萌えなの」
「…………はあ?」
おれと赤崎はお互いを驚かせあう遊びでもしてるんだろうか?
「幼馴染萌えって……?」
「うん」
赤崎は頷いてから、一つ一つ説明を始めた。
「夏休みの前に私、青井と陽太くんの恋のキューピッドみたいなことをしたんだよね」
「ああ、そうなんだっけ……?」
おれもそんなに深く聞いたことがあるわけじゃないし今の今までほぼ思い出さなかったが、両思いの二人に告白を焚きつけたのが赤崎だって話は聞いたことがあった気もする。
「そうなんだよ。ただのお節介なんだけどね。その時は単純にうじうじしてる青井を応援してのことだったんだ。でもなんか、そのあと夏休み中、二人の一緒にいるところを見たり想像したりするとずっと変な興奮状態になってて……」
「興奮状態って……」
なんかそれはそれですごいな……。
「それで『この感情はなんだろう?』って自分でも持て余してた中で、お盆の時期に親戚の集まりがあったのね。その時になっちゃん……小佐田菜摘ちゃんね、昨日会った従姉妹の」
「分かるよ」
おれは小さく頷いて話の先を促す。
「うん。で、その時になっちゃんが持ってきてたのが、今日芽衣ちゃんにも貸した『もう一度、恋した。』って漫画だったの。昨日も話したけど、幼馴染モノの、ものすっごく良い漫画で」
「はあ……」
「なっちゃんがすごくオススメだっていうからそれを読ませてもらったら、『あ、これだ……!』ってなったんだ。ネットで感想とか読み漁って、『もう恋』を好きな人が読んでる他の漫画とかも読んでみたんだけど、やっぱり『もう恋』は超えてくれなくて……」
「そんなに面白いのか……!」
話の本題とずれる気もするが、そこまで言われるとおれもちょっと読んでみたい。
「面白いっていうのもあるけど、私、幼馴染という関係性に対してかなりの愛があるってことに気づいたんだよね……。それをなっちゃんに話したら、昨日も見てもらった通り、なっちゃんもかなりのもので」
「それは本当にそうだった」
昨日の小佐田さんの幼なじみへの偏愛っぷりは鬼気迫るものがあった。
「それで、二人で盛り上がってたら、ついつい引き返せないところまできちゃって……。なっちゃんは研究ノートとやらを作って研究をしているんだけど、私は一回青井と陽太くんっていう現実の幼馴染カップルを間近で見ちゃったせいで性癖歪んじゃったみたいで、『リアル幼馴染カップル専』になっちゃったんだよ」
「へえ……」
うなずきながら、噴火する前のマグマのようなテンションで静かに、でも熱く語る赤崎を見ていた。赤崎の赤はマグマの赤だよ……。
「それで、目に見える範囲で実物の幼馴染カップルを拝みたいなって欲求が膨らんできて……。そこで、勘太郎くんと芽衣ちゃんはどうみても相思相愛だし、二人が早くくっつかないかなあって首を長くして待ってたんだよ。だから勘太郎くんが告白するって言った日、本当に嬉しかったんだよ? 二人とも同じクラスだし、眼福が増えるって思って」
うーん、怖いなあ……。それで告白をした直後の月曜日、朝から瞳を輝かせておれに告白の結果を聞きにきたのか……。というか相思相愛とかさらっと言われているが、そこは素直に受け入れて良いポイントなんだろうか……?
「そしたら、芽衣ちゃんが告白を未遂にしたっていうから! 芽衣ちゃんの気持ちはどうみても勘太郎くんに向いているのにって私、歯痒くて……。でも、芽衣ちゃんの気持ちを疑わないとしたら、つまりそれって幼馴染ものの定石、『関係を進めるよりも現状維持を望む』ってパターンなのかなって」
「じょうせき……」
「でも、芽衣ちゃんが怖がって現状維持を望んでるだけなら、やっぱり二人がくっついた方が良いかもしれないでしょ? 最後の悪あがきでひと芝居だけ打ってみようって考えたわけ」
「はあ……。それが、この偽装彼氏?」
「そういうこと」
人差し指を立てて、聡明そうなすまし顔で頷く赤崎。いやいや、話してる内容結構えぐいけどな……。
「要するに『曖昧な気持ちで現状維持を選んでると奪っちゃう人が出てくるかもよ?』って揺さぶりをかける作戦なんだけどね。ただね、ただ奪う感じだと色々支障も出てくるし、勘太郎くんが本当にこっちになびいちゃっても困るから、ひとひねり入れてみたんだ」
そこまで話してから呆れ顔で小さくため息をついた。
「ま、今回は勘太郎くんのなびかないっぷりがちょっとひどくて、ひねる意味もなかったし、揺さぶりをかける意味でもあんまり効果なかったかもなんだけど……。ここは私が自分を過信していた部分もあるのかもなあ」
はあ、そういうことか……。
そこまで説明を受けて、なんとなく全体が理解できてきた。
「……つまり、赤崎は幼馴染専門のお節介モンスターってこと?」
「そういうこと!」
まじか、あっさりみとめた……!
「まあ、もちろん、芽衣ちゃんが本気で現状維持を望んでるっていうことが分かったらさすがにお節介とかじゃなくて迷惑なだけだから私もすぐにやめようと思ってたんだけどね。そして、昨日芽衣ちゃんの現状維持への覚悟というか一種の執着を感じたから、いったん勘太郎くんと話しておこうかなって思ったのが今日。正直いうと、引き際だなって思ってた」
「なるほど……」
じゃあ今日はいずれにせよこういう話をする予定だったということか。
「いや、それにしてもそんなに面倒なこと、よくしようと思うな……」
「こちらにも執念があったから。勝手にだってことは重々承知してるつもりだけど、ずーっと期待して見守ってたしさ。それでやっと告白するって言ったのに付き合わないんだもん。明日公開されると思ってた映画が、突然『半永久的に公開延期です』って言われたらショックでしょ?」
「そうすか……」
まあ、喩えとしては分からなくもないけど、人の恋愛ごとを勝手にエンターテイメントにしてたのかこの人は。
「……やっぱり、ひどいって思った……よね?」
おれの表情をうかがうような赤崎の視線に、おれは軽くため息をついて答える。
「いや、まあ、別に。嘘はこっちもついてたし」
狂気じみているとは思うが、赤崎の行動によって傷付いた人もいないし、迷惑をかけられた覚えもない。一番重要な点である『芽衣の気持ち』についても尊重するつもりがあったみたいだから、おれはそれさえあれば別に構わない。芽衣を傷つけるようなことになったらさすがに止めざるをえないけど。
「そっか、良かったあ……」
おれの答えを聞いた赤崎は、心底ほっとしたように胸を撫で下ろす。
「だけど、だとしても、まだ理由が分からない行動がいくつかあるな」
「うん、どれとか?」
もうなんでも話すよ、と赤崎は傾聴する姿勢になった。
「じゃあ、まず、この間、3年生の廊下の前歩く時、必要以上にべたべたしたのは?」
おれの手首をつかんだり、名前呼びを強制したりしてきたアレだ。
「すぐ後ろに芽衣ちゃんが歩いてたからゆさぶりかけるタイミングかなって。気づかなかった?」
「気づかなかった……」
それで芽衣は帰ったら『……ずいぶんノリノリでしたね、勘太郎くん』って拗ねてたのか……。
「じゃあ、一緒に帰った時にマルイに行ったのは?」
「『もう恋』のフラゲ日だったの。……あの本屋がまだ陳列してなくて手に入らなかったけど」
「ああ、そういう……」
たしかに、翌日吉野と教則本を買いに行った時には『本日入荷!』と書かれてたな……。
なるほどなるほど、じゃあ、あれは……。
「うわあ……」
2つほど種明かしをされた上で、そういう思考で改めて辿っていくと、それぞれの言動に合点がいきはじめた。
『そのあと小声で『ていうか、勘太郎、うまくやれてるの……? その……』って聞いてきたから『私の彼氏を?』って言ってみたら『か、かれし……!』って顔真っ赤にして! 本当に可愛い……!』
赤崎と一緒に登校したときに芽衣の言動にやけにとろけていたのも。
『LINEの文面だよ! 大丈夫、絶対そこしか見ないから! お願い!』
そのあとおれと芽衣のやりとりを知りたがったのも。
『幼馴染ほどの勝ちヒロインはいないんだよ、吉野ちゃん』
吉野に真顔で迫っていたのも。
『今ちょっと話しかけないでもらえるかな』
白山と青井さんのやりとりに熱視線を送っていたのも。
『幼馴染だとそういう習慣みたいなものって似るものなんだ?』
はちみつレモンを持ってきたおれに目を輝かせて言ったのも……。
「全部、幼馴染萌えだからってことか……!」
ていうか、そう思ったら、池袋で腕を絡められた時のあの会話も……。
『普通はこれ幸いとばかりに鼻の下をのばすタイミングなんだけどね?』
『普通とかは知らないけど……。おれは芽衣が好きなんだから関係ないだろ』
『……っ! ほんっとうに、良いなあ……』
あの『ほんっとうに、良いなあ……』は、芽衣を羨んでたわけじゃなくて幼馴染カップルに尊さを感じてただけかよ……!
「まじかあ……!」
色々な状況との照合でなんだかぐったりしているおれの肩を叩く。
「まあまあ、元天才子役の私の演技力を見くびるなかれだよ」
「は? いやなんだよ、その新情報……!」
「嘘だよ」
「嘘かよ……もうやめてくれよ……」
謎の嘘を噛まされて、おれはさらにぐったりする。
おれたちは赤崎を騙しているような後ろめたさに苛まれていたわけだが、赤崎は赤崎でおれたちを手のひらの上で転がしていたってことか……。
「まじで役者にでもなれよ……」
おれが憔悴気味にいうと、赤崎がぐいっと立ち上がる。
「さあ、勘太郎くん!」
「んん……?」
そして。
「それじゃあ、これから諏訪家にお邪魔してもいいでしょうか!」
またびっくり発言が飛び出した。
「え? うち?」
「うん。だって、芽衣ちゃんいるんだよね? まっすぐ帰るってわざわざ言ってたもんね?」
「多分いるけど……え、本当にくるの?」
「もちろん!」
いい笑顔で答える。
「……芽衣ちゃんにも謝らないとだし」
そして、小さな声で付け加えた。
その不意に真剣な声に、おれも嘆息を漏らす。いやまあ、もうばれてるなら隠し立てする意味もないか……。
なんだか考えるのも面倒になってきた。
「じゃあ、芽衣に一報入れるわ……」
おれがスマホを取り出してFace IDでロックを外した瞬間、流れるような動作で取り上げられる。
「だーめ。一回くらい、私にも権利があってもいいでしょ?」
「権利って……?」
「芽衣ちゃんを驚かせる権利」
「ええ……」
おれのスマホを口元にあてて、悪戯っ子みたいに笑う。
「私、二人がくっつくために結構な労働をしたんだけどなー?」
「いや、それはそっちが勝手に……」
「二人に嘘をつかれて悲しいなー?」
「それはお互い様なんじゃ」
「……私の口から、ちゃんと説明したいの」
この短いスパンで何回も言いくるめられてしまう。
「分かったよ……」
すまん、芽衣……。
おれが自宅の方角になんとなく手を合わせているうちに、赤崎はなにやら自分のスマホとおれのスマホを見比べているみたいだった。
「おい、勝手に見るなよ?」
「見てないよー。ほら」
おれのスマホをこちらに向けられる。見せられたのはホーム画面。どうやら本当に見てはいなかったらしい。
「でも、家につくまでは没収ですー。いつ隙をついて芽衣ちゃんに連絡されちゃうか気が気じゃないもの」
「気が気じゃないのは絶対おれのセリフなんだけど……」
はあ、おれは諦めと疲れのため息をついてから立ち上がる。
「んじゃあ、行くか」
「あ、そうだ勘太郎くん」
歩き出そうとするおれの袖口を赤崎がきゅうっとつまむ。
振り返ると、少しだけ赤崎がはにかんだように笑っていた。
「行く前に告白すると、さっきの会話で一個だけ嘘ついてたんだよね」
「え、なに? 天才子役の話?」
もうこれ以上かき乱さないでくれよ……。
「それじゃない、それ以外に一個、大事な嘘」
「どれだよ……?」
すると赤崎は、やけにしっとりと告げる。
「『勘太郎くんは悪くないよ』の一個前に私が言った言葉」
「それって……」
おれは思い出そうと空を見上げる。……が、しかし。
「いや、覚えてねえよそんなの……」
「あはは」
悪戯が成功した子供みたいに赤崎は笑う。
「じゃ、行こっか?」
「え、答えは?」
「教えてあげないよ、自分の短期記憶力を呪ってください」
「なんだそりゃ……」
諦めのため息をついて、今度こそ教室を出て、歩き出す。
「あーあ」
少しだけ後ろで名残惜しそうに、ぼやくように、息を吐く赤崎と共に、芽衣の待つであろう諏訪家へと向かった。
「……最初は本当に、なんとも思ってなかったんだけどな」




