第73話:「……ちょっと時間開けてから帰ろうか」
朝、吉野から聞いた推理のせいで、授業は右から左へ抜けていくだけだった。
そんな時間を4時間ほど過ごして、気づくと昼休みがやってくる。
それまで、赤崎の方も特におれに話しかけてきたりはせず、おれも特に赤崎に何かをいうこともなかった。
放課後に何かがある、という予感する一方、単純に先輩とやらへのアピール作戦の一環という説もある。ていうか今朝の推理がなければ普通に後者だと思っていたはずなのだ。
うーん……と唸ると同時に、間抜けな腹の虫が同時に鳴いた。
……おれ、真剣さが足りないんじゃなかろうか?
とはいえ空腹状態でいることに何のメリットもないので、ふらふらと立ち上がり売店へと向かう。
売店でおにぎり3つとクリームパンを買って、中庭のベンチに腰掛ける。赤崎もいるであろう教室に戻るのもなんとなく気が引けるし。
おにぎりのラッピングを剥いていると、トントン、と肩を叩かれる。
「勘太郎?」
「うおっ!?」
振り返ると、そこには制服姿の芽衣が立っていた。
「なに、そんなに驚かないでよ、びっくりするじゃん……!」
「いや、びっくりしたのはおれなんだけど……!」
家で一緒に過ごすことが増えたせいで、学校で芽衣に話しかけられるのはなんだか逆に変な感じがするようになってしまった。
「なんか、大丈夫?」
おれの横に座りながら芽衣が心配そうに聞いてきた。その膝の上に、自分も売店で買ってきたらしいパンを二つくらい載せている。
「なにが?」
「いや、今日、明らかにずーっと上の空だし」
「え、そんなに?」
顔に出てただろうか? と自分の頬をぺちぺちしていると、
「勘太郎のそういうのは分かるよ」
と事も無げに言われる。
「そ、そうか……?」
なんだか気恥ずかしく、もごもごとおにぎりを口に突っ込みながら応じた。
「そんで? どうしたの?」
「いや、なんか今朝、たまたま吉野と一緒だったんだけど、その時に割と決定的な仮説をぶつけられちゃって」
「夏織ちゃん? なんて?」
首を傾げる芽衣に、登校道で吉野と話したことをかくかくしかじかと説明してみる。
「なるほど……。つまりこの偽装彼氏が、十中八九、勘太郎のことを好きじゃなかったらしないような行動だってことかあ……。で、残りの1、2割は白山くん、と」
「ああ……」
……しかも、これは吉野は知らないかもしれないし、芽衣にも明文化出来ないことかもしれないが、赤崎がその行動を起こしたのは、おれが芽衣に告白未遂をし、実質ふられた直後だ。
そのタイミングも掛け合わせると、自分で言うのも本当になんなのだが、ほとんどその可能性は100%に近いだろう。
「やっぱり、今日の帰りに話した方がいいよな……。このままだと、芽衣も居心地悪いだろ?」
「え、あたし……?」
自分の顔の半分くらい大きなデニッシュパンの包みを開けながら、訝しげにこちらをみる。
「うん、芽衣。昨日も自分のこと悪者って言ってたし。別に本当に悪いことしてるわけじゃないのに、そんな風に思われる状況になっちゃってるのはよくないよな」
「べ、別にあたしのことなんか今はどうでもいいのに……!」
「何言ってんだよ、芽衣のことがどうでもいいタイミングなんかねえだろ」
ただ、ちょっと気がかりなのは、この段階でその話をした場合、偽装の彼氏契約をした時赤崎のスマホに写ってたアレがどうなるかってことだけど……。
二学期の終業式まで何もしないという選択肢もチラつくが、まあ、やっぱりこの状況は芽衣に不安を与えるだろうから、背に腹は変えられないか。
「……よし、今日赤崎が切り出してこなかったらおれから聞いてみよう。かなり自意識過剰な感じはあるから、もし違ったら恥ずかしいけど……。その時は笑い話にするしかないな」
おれが苦笑いを向けると、芽衣はデニッシュパンを両手で持ったまま目を見開いてほけーっとしていた。
「……芽衣? どうした?」
「か、勘太郎……、さっきなんて……」
「さっき?」
「う、ううん! なんでもない……」
そう首を横に振るとデニッシュパンを頬張るので、その表情が見えなくなる。
放課後。
ドア際の席でおれが勝手に気合を入れていると、赤崎がこちらに近づいてくる。
ブレザーの上に紺色のPコートを着こなしている。その手にはマフラーだかストールだかが入った紙袋。
おれがそちらに手を上げようとしたところ、
「芽衣ちゃん」
赤崎はおれの脇を通って教室を出ていこうとする芽衣を呼んだ。
「え、芽衣?」「え、あたし?」
幼馴染ふたりが思いがけなくハモってしまう。
「あの、これ、持ってきたから」
赤崎がきょろきょろと周りをみた後に、口元に手を添えてこしょこしょ声で芽衣に言いながらもう片方の手で紙袋を少し持ち上げる。
芽衣とおれが覗き込むと、その紙袋に入っていたマフラーがしゅるしゅると赤崎の手によって巻き取られて、その下から、少女漫画の背表紙が何冊分か現れた。書かれているタイトルは、『もう一度、恋した。』だ。
「ああ! ありがとう。今日ずっと持っててくれたの?」
「うん、朝渡すと目立つかなって思って」
そうか、そういえば昨日、漫画を貸してくれるって言ってたな。
「ありがとう、早速すぐに帰って読んでみるね。今日はまっすぐ帰ろっと」
「うん……読んでみて」
芽衣が受け取りながら言うので、赤崎は今取ったマフラーを自分の首元に巻きながらうなずく。
ちなみに、芽衣の『今日はまっすぐ帰ろーっと』はおそらくおれへのメッセージだ。寄り道せずに先に帰ってるということが言いたかったのだろう。
「それじゃあね、七海ちゃん」
「うん、ばいばい。あれ、勘太郎くんには?」
「あ、うん……! 勘太郎も、ばいばい」
「おう、気をつけて帰れよ」
「うん……!」
いつになく落ち着かない様子で胸元で小刻みに手を振って、芽衣は廊下へと出て行った。
見回すと、もう教室にはおれと赤崎だけだった。
「……ちょっと時間開けてから帰ろうか」
赤崎が芽衣の背中を見送ってから、おれの隣の席におれの方を向いて横座りしながらそっとつぶやく。
「……お、おう」
それにどんな意味があるのか、分からない。
いや、先輩へのアピールなら、むしろ今帰らないと意味がないはずだ。
……だからきっと、なんらかの意味がそこにはあるんだろう。
「何? その覚悟した顔は?」
「いや、別に……」
「……大丈夫、私から切り出してあげるから」
ドギマギしているおれに、姉みたいな顔で微笑んでくる。
「え?」
「ねえ、勘太郎くん、」
そして赤崎七海はこれまで見たことないほど真剣な顔になり、おれを目をまっすぐ見つめたまま、その形のいい唇を動かした。
「付き合う相手は、芽衣ちゃんじゃないとダメ?」




