第72話:「ななみん、なんで今さらそんなことするんだろうね」
「あ、諏訪君、おはよう!」
「おお、吉野」
瀬川駅の改札を出て階段を降りたあたりで、優しく肩を叩かれる。
「指先が痛いよ、諏訪君ー……!」
黒髪の制服少女は両手をわきわきさせながらこちらに見せてくる。
「ギターの練習、頑張ってるんだな」
「うん! 『努力する吉野夏織』と『努力しない吉野夏織』だったら『努力する吉野夏織』の方が良いでしょ?」
「まあ、そりゃそうだな」
「だったら良い方を選ぶよ、わたしは!」
わきわきさせていた両手を握り拳に変えて、胸の前でぐうっと握り込む吉野を見て、苦笑いがこぼれる。
「それが分かっててもなかなか頑張れないから大変なんだけどな……。吉野だったら本当に間に合っちゃうかもな、青春リベリオンだっけ? バンド甲子園みたいなやつ」
「もちろん間に合わせるつもりだよ! そういえば、メイちゃんにバンド組もうって誘ったんだよね」
「へえ……」
知っていることだったが、曖昧に返事をする。だんだん自分でもこれは知ってて良い情報か知ってちゃいけない情報かが整理できなくなってきた。
「ちょっと考えさせてーって言われて待ってるけどね。もう音楽はやらないのかなあ……」
芽衣はきっと、何かに入れ込むことで、それが大事になるほど、それを失うのが怖いのだろう。吹奏楽部のこともそうだったのだと思う。
「なんか、芽衣の好きだったけど引退しちゃったミュージシャンが復帰したらやるとか無理めなこと言ってたな」
とはいえ、あまり予測で深ぼった話をするのも良くない気がしたので、この間、芽衣が投げやりに『分かったよじゃあamaneさんが復帰したらあたしもバンドやるよ』と言ってた発言を切り出して場をつないでみた。
「そういうあまりにもコントロール出来ないことは、『努力する吉野夏織』にも努力のしようがないなあ……」
「そうだよなあ。でも、おれも間接的にだけどそのミュージシャンのせいで? おかげで? ギター始めたんだよ。芽衣に、その人の曲を弾けるようになって欲しいとか言われて」
「へえ、そうなんだ? じゃあ、メイちゃんがバンドやるってなったら諏訪君もやろうよ! ギターと歌とドラムだけじゃちょっと心許ないし」
「まあ、たしかに」
……そうか、そういう選択肢もあったか。
「ちなみにそのミュージシャンの名前って?」
「amaneって人。すぐにやめちゃった人で、あんまり有名じゃないみたいだけど」
おれは肩をすくめる。
「うーん、知らないなあ……。でもちょっと運命は感じるかも」
「どうして?」
「わたしがギター最初に習ったのも天音ちゃんって女の子だから」
「へえー」
まあ、ない偶然ではないか。
「まっ、なんにしてもメイちゃん次第だねー。メイちゃん入らなくて諏訪君と二人でバンド組んだら変な噂立っちゃうし」
あはは、と笑う吉野。
「そういえば、今日はななみんと一緒じゃないんだ?」
「今の流れで『そういえば』は悪意あるだろ……。朝は約束してないから」
「朝は?」
一瞬ぎくりとするものの、この間吉野には赤崎自身が偽装の恋人をしているということ伝えていたのを思い出した。
「まあ、帰りは約束があるというか、なんというか」
とはいえ、普通にうなずくのも、それこそ『彼氏面』って感じがあってビミョーだな……。
「ふーん……男よけだっけ? ななみん、なんで今さらそんなことするんだろうね」
「今更って?」
「これまでだって、ななみんってあの見た目だからすごいモテてたし。一年生の時なんかすごい勢いで告白されてたじゃん。知らない?」
「うん……」
一年の時はクラス違かったからなあ……。
「そっか? でも、一年生の時に撃沈した人が多すぎて、二年生になる頃には『狙うだけ無駄』みたいな空気になってて、最近は告白する人もいないみたいだけどね」
「『狙うだけ無駄』って……。『付き合えない』なら『無駄』ってことか? だったらそんなの元々好きでもなんでもないってことじゃんか」
「おおっ、良いこと言うね。私もそう思う! ……って、『狙うだけ無駄』って言葉は私が言っただけだけど……」
えへへ、と自分の失言を恥じるように苦笑いする吉野。でも、まあ、その空気が漂っていたことはたしかなんだろう。
「ていうか、まあ、『彼氏がいる』って口実でフったこともあるみたいだったから、そっちの噂を聞いている人はさすがに狙わないことが多いんじゃないかな? 今回は後輩の男の子とかで勇気のある子がいたのかな? 二年生と三年生は大体去年の内にフり終わってる気がするけど」
「いや、先輩って言ってたな……」
ていうか『フり終わってる』ってすごい言葉だな。
「うーん……だったらやっぱりなんで今さらって感じだね。ななみんが今さら誰かをフることに罪悪感を感じ始めたか、今さらよほどしつこい先輩が登場したか……あとは……」
「あとは?」
「……本当に好きな人が出来たか」
「……なんでそうなる?」
ふーむ、と思案顔で発せられた吉野の説はやや唐突に感じた。
「つまり、これまでは告白された時に『校外に付き合ってる人がいる』ってフっていけば良かったでしょ? でも、本当にななみんにも好きな人ができたから、その言い訳がその人の耳に入るのを怖がったんじゃない? ななみんの好きな人がうちの生徒だったら、さ」
「どういうこと?」
「え? 分からない?」
ちょっと複雑だったので顔をしかめて首をかしげると、首をかしげ返される。そうか、この人成績いいんだった……。
「つまり、ななみんの好きな相手をA君とすると、ななみんがフった先輩とA君が繋がってるとかで巡り巡って『赤崎って彼氏いるらしいぜ』ってA君の耳に入るかもしれないでしょ? そしたら、ななみんの恋が叶いづらくなるじゃん」
「まあ、なるほど。A君が多少赤崎のこといいなって思ってたとしても、彼氏がいるって知ったら深入りはしないかもしれないよな」
「そうそう、そういうこと」
いや、だとして。
「でも、なんでそれがおれに偽装彼氏を頼むことになるんだ?」
「そりゃあ、A君にだけ『彼氏がいるなんて嘘だよ』ってわざわざ言ったら、それってほとんど告白してるようなもんでしょ? だから……さ……あれ?」
「ん?」
話しながら吉野も途中で道を見失ったみたいだ。
「えっと……だから……、A君への好意が見えないようにさりげなく、だけど、ちゃんとフェイクだって伝わるようにしようとしたら……」
「……え?」
そこまで聞いて、おれもかすかにピンとくる。
「『A君と仲良い人』か『A君本人』を偽装彼氏に任命するか……かな?」
「え、それって、つまり……」
「……ねえ、諏訪君って偽装彼氏のこと、誰に伝えていいって言われてるの?」
「芽衣と……白山」
「うっわあ……」
吉野は驚嘆に目を見開いて、大きく息を吸い込む。
「じゃあ、A君は……諏訪君か白山君ってこと……? え、え、でも、白山君って透子と付き合ってるよね?」
「うん、そうだな……」
「だとしたら……かなりの確率で」
ごくりと唾を飲み込んで吉野は口にする。
「ななみんは諏訪君のことが好きってことになるけど……!」




