第48話:「起こしちゃった、よね……?」
「ただいま」
「ほい、おかえり」
池袋から芽衣とふたりして帰ってきた。
いつぞやと同じように『ただいま』というのでおれが反射的に応じると、芽衣がまた顔を赤くして、
「た、ただいま……!」
と頬をかく。
「お、おう、おかえり……!」
ついまた返してしまい、おれも照れくさくなる。二回もただいまおかえり繰り返さないだろ……。
「あ。おじさんとおばさんも帰ってきてるみたいだね。でも、それにしては静か……?」
玄関に並ぶ靴を見て芽衣が言う。家の駐車場に車も停まってたし、帰ってきているのは間違いないだろう。
「あー、多分寝てるんじゃねえかな。ゴルフに行った日はいつもそんな感じ」
「そっか」
「そんでもって多分、飯作るのめんどくさいっていって、外食になるよ。何が食べたいか聞かれるだろうから考えといた方がいい」
「え、まじで? どうしようかな……」
そんなやりとりをしながら靴を脱いだ芽衣と手洗いうがいをして、その後なんとなく並んでソファに座る。
「それじゃ、あたし、さっそく試してみようかな、勘太郎にもらったこれ」
芽衣が嬉しそうに早速箱を開封すると、個包装されているホットアイマスクが5枚入っていた。
「あれ? 今使っちゃって大丈夫なのか? このあと多分出かけるけど?」
「ん、なんで? あ、もしかしてメイクのこと言ってる?」
「メイク……? いや、メイクは知らないけど、快眠グッズなんだから付けたらそのまま熟睡しちゃうんじゃないの?」
「ああ、そういうことか。大丈夫大丈夫。ほら、あったかいのは20分くらいだっていうから。寝るときもう一枚使うけど、とりあえず早く試してみたい」
うずうずしながら芽衣が箱から一つ取り出した。
「芽衣ってお弁当の好物って最初に食べるタイプ?」
「ううん。なんで?」
「いや、なんでもない」
おれは芽衣にもらったものをなかなか使えないままずっと大切に取っておいてしまいそうだな、と思って聞いてみたのだが、おれがあげたものがそもそも『好物』と同じような立ち位置のものかが分からなかったので、深追いしないことにした。
「ていうか言われるまでは気にならなかったけど、そのメイクっていうのは大丈夫なのか? おれ全然よくわかんないけど」
「メイクはね、今日は大丈夫。ていうか勘太郎がメイクのこととか気にしてなくてよかったよ。なんか、そんなこと気にするとかちょっと女慣れしててやだなって思った」
あはは、と笑いながら包装を開く。
「女慣れなんかしてないし」
「どうだろうね? 最近なんか複数の女性と関係を持ってるらしいからねー、勘太郎は」
「言い方……」
皮肉っぽく言いながらも、あくまで冗談なのかさして気にしてはいないらしく、嬉しそうにアイマスクを装着してソファに深く座り直す。
「おー……わぁ、うぅーん、じわぁー……! 効くぅー……!」
「CMかよ……」
パッケージに描かれた女の人と同じような反応をとる芽衣。
「これすっごく気持ちいいよー……」
風呂にでも入ったようにとろけた表情(口元しか見えないけど)になりながら、ずるずると腰が下の方に滑っていく。
「それはよかったけど……」
よかったけど、本人はアイマスクをしているから気にならないかもしれないが、ずるずる滑ることで、徐々にその太ももがあらわになってきていて、あわてて目をそらした。そうなってくるとアイマスクにもなんか変な意味が出てくる気がするし……。
「おい、芽衣、その、スカートが……」
おれが芽衣とは逆を見ながら、手近に置いてある膝掛けをそっと取ろうとすると。
ぽすん。
左肩に重さがかかる。
「芽衣……?」
顔をなるべく動かさないように瞳を動かして左側を見ると、案の定、芽衣が寝息を立てておれの肩にもたれかかってきていた。
「いや、やっぱりすぐ寝たじゃん……」
しかもかなり気持ちよさそうだ。ていうか早いな。のび太かよ。
芽衣の髪からなんだか甘い匂いがする。うちのシャンプーの匂いではないから、これが『努力の賜物』と芽衣が呼んでいる何かなのかもしれない。なんかの……薬剤?
至近距離にいる芽衣の頭を意識しすぎないように視界の端で見ながら、今日波須さんが不眠の話をしていた時に言ってたことを思い出す。
『うん、一番効くのは、やっぱり仲直りと……』
『……肩』
肩か……。
おれは芽衣の『肩』でいられるのか、いてもいいということなのだろうか。もしそうならいいなあ、と思う。いつも、おれが芽衣に助けられたり、気を遣わせてばかりだから。
とはいえ、手持ち無沙汰というか、これ、どうすればいいんだろう……。
目玉だけを動かしてぐるりと見回すが、スマホもテレビのリモコンもリビングテーブルの上にある。
少しかがめば取れる距離ではあるものの、少しでも動いたら芽衣が起きてしまうかもしれない。
芽衣を起こしたくないのはきっと、芽衣の体調を案じての部分もあるけど、単純におれが珍しくも芽衣に頼られているこの状況を中断したくないだけなのだろう。
芽衣がおれにホットアイマスクを買おうとしてくれた理由はもっと純粋におれのためなんだろうな、と思うと、情けないような申し訳ないような気持ちになる。
『その、芽衣の快眠がおれの幸せに繋がってるというか……』
芽衣はそれは結局芽衣のためだと言ってくれたけど、やっぱりそんなことはない。
「芽衣はすごいな……」
おれは限りなく小さい声でそれだけ呟くと、姿勢を崩さないようにしたまま、背もたれに頭を預けて天井を見上げる。
掛け時計の秒針の音が小さく鳴り響いているのを数えているうちに、意識が途切れた。
……頬に指先のような感触を感じる。
「んん……?」
ゆっくり目を開けると。
「うぁっ……!」
屈んだ姿勢で、芽衣がおれの顔を覗き込んでいた。
「芽衣……? あれ? おれ、寝てた……?」
状況の把握が出来ないまま目をこする。
視界にうつる芽衣の姿が90度回転しているところを見るに、おれは気づかないうちにソファに横になっていたらしい。
「……あれ? ていうか芽衣は起きたのか? いつ?」
「う、うん……! そしたら勘太郎が寝てたから……。重かったよね、ごめんね」
「いや、そんなことは……」
ていうか、もう少し意識を保っていたかった……。
はあ……とため息をつきながら起き上がると、おれのお腹のあたりに、先ほどおれが芽衣にかけようとしていた膝掛けがかけられているのに気づいた。
「これ、ありがとう」
「ううん。ていうか、起こしちゃった、よね……?」
「ん、なんで……?」
「なんでって、いや、なんでもないけど……」
瞳を揺らす芽衣に疑問を感じながら、起きた瞬間のことをぼんやりと思い返す。
……あれ、そういえば。
「芽衣、もしかして、おれのほっぺをつついて」「か、勘太郎! ね、眠気覚ましのコーヒー飲む!?」




