第42話:「勘太郎くんは空気に恋してるの?」
「私、ラーメン屋に並ぶのって初めて」
池袋に店を構えて20年、ほとんど行列を切らしたことのない老舗ラーメン屋。外の壁際に並んでいるとまわりを見回しながら物珍しそうに赤崎がつぶやいた。
「へー? まあ、おれもそんなにしょっちゅう並んでるわけじゃないけど。ちょっと贅沢しようかなって気分の時だけ」
「そうなんだ。……贅沢? ラーメンが?」
理解できない単語をきいたという感じで眉をひそめてくる。
「贅沢だろ、昼飯に自腹切って1000円近く出すんだから」
「うーん……まあ、そうか……」
ピンと来てるんだか来てないんだかよく分からないが、赤崎もここで『でも、ラーメンだよ?』などと言ったら印象が悪いことくらいは分かっているらしく、大人しく口をつぐんだ。こういうところがなんとなく憎めない。
「で、どれにすんの?」
おれが先ほど店員さんから受け取ったメニューをみながら聞くと、
「ん、何味があるの?」
おれの肩に両手を置いて後ろ側から覗き込んできた。ロングヘアの黒髪がおれの頬をくすぐる。
「いや、近いよ……。誰へのアピールだよ。ここ学校でも3年生の廊下の前じゃないっての」
「あ、ごめん。これは素だった」
「素なのかよ」
ていうかいつもは素じゃないってことか……。
おれがメニューを「はい、どうぞ」と押し付けるように渡すと、赤崎は両手を肩から離して受け取る。
「ありがとう。どれがおすすめ?」
ふう、と息をついたのも束の間、今度は自分の右肩をおれの左肩にぴとっと触れさせてメニューを見せてくる。
「いやだから近いっての」
「今のはわざと。それで、どれが美味しいの?」
「わざとかよ。えっと、まあ初めてなら普通に豚骨醤油らーめんがいいんじゃねえの? この一番大きく書かれてるやつ」
さりげなく身体を引いて離れながらいわゆる看板メニューをおすすめする。
「へえー。勘太郎くんもそれ頼むの?」
「いや、おれはつけ麺にするけど」
おれは何度か通っていろいろ食べてみた結果、つけ麺が一番おれ好みだということを学んだのだ。
「は? じゃあ私もそうする」
「なんでだよ……。ていうか今『は?』って言った?」
「勘太郎くんが食べててそっちの方が美味しそうだったら『いー!』ってなるじゃん」
いーっ! と言いながら口を横に開いて、白い歯を見せてくる。ていうかおれの質問は無視されたな。
「じゃあつけ麺にしなよ……」
「うん、そうする」
ちょうどその頃、おれたちのところに店員さんがやってきた。
「お待たせしましタァ、お客さん、何にしましょうカァ!」
「つけ麺2つでお願いします」
赤崎のオーダーも含めておれが代表して伝える。
「わっかりましタァ! つけ麺、並盛、中盛、大盛、特盛まであってどれも同じ値段ですけど、どうしましょうカァ!」
「特盛でお願いします」
おれ(食べ盛り)が迷わずそういうと、店員さんが「わっかりましタァ!」と威勢よく言ってから赤崎の方に向き直る。
そして。
「彼女さんはいかがなさいますカァ!」
「はぇっ!?」
店員さんの淀みない質問に赤崎が肩を跳ねさせる。
赤崎のことをおれの彼女だと誤解したらしい。
「いえ、私はか、彼女とかじゃなくて……!」
「撤回しなくていい。並盛りでいいか?」
「え? 撤回しなくていいの?」
「並盛りでいいっすカァ?」
おれを見上げて瞳を揺らす赤崎に店員さんが追い討ちをかける。
「は、はい、じゃあ並盛りで……」
「わっかりましタァ! もう少々お待ちくだサァイ!」
にこやかに頷いてから店員さんはお店の中に戻っていった。
「ちょっと、勘太郎くん」
「ん?」
店員さんを見送ってからおれのチェスターコートの脇の辺りをくいくいっと赤崎が引っ張ってくる。
「今の、どういうこと?」
「何が?」
「その、彼女だって撤回しなくていいってやつ……」
「いや、別に店員さんにとっては彼女か友達かはどっちでもいいだろ。忙しそうだったし、とりあえず麺の量だけ伝えてあげた方がいいんじゃないかって」
こんなに繁盛しているお店だ。客も協力して店の回転を早めるべきだ。その分だけ自分だって早く食べられるわけだし。
「それだけ……?」
「他に何が」
おれは眉根を寄せる。
「ううん、勘太郎くんは私を彼女として見せびらかしたいって思ってくれたのかなって思って」
少し拗ねたように唇をとがらせて赤崎が主張してきた。
「いやいや、そんな悪趣味な……」
「は? 悪趣味? 彼女に私を選んでるのが?」
「いやいや、そうじゃなくて……。見せびらかすってところがだよ。赤崎が彼女で趣味が悪いとか、そんなこと言うやつがいるかよ。おれのことなんだと思ってるんだよ……」
「私にいくら触られてもなびかない男の子」
赤崎は肩をすくめながらそんなことを言ってくる。
「いや、だから、そりゃそうだろ……」
「芽衣ちゃんがいるから?」
「……そうだってば」
「ふーん? ねえ、じゃあ、芽衣ちゃんがいなかったらなびいてたかもしれない?」
純粋な疑問だと言うように小首をかしげた。
「そんな仮定、シミュレーションしようがないだろ、生まれた時からそこにいるんだから。空気がなかったらどうなってた? って聞くようなもんだ」
おれは首を横に振りながら答える。
「それはさすがに違うでしょ。勘太郎くんは空気に恋してるの?」
「いや、それは違うけど……」
出たよ、理屈責め。赤崎って頭いいんだよな……。
「……あ、もしかして」
「なんだよ?」
思いついたように手を叩く赤崎がニヤリと笑う。
「『空気と一緒で芽衣がいないと生きていけない』って言ってるの?」
……うぐ。別にそんなこと意図してなかったけど、否定するのもなんだか違う気がする。
「……味玉トッピングすれば? おごってやるよ」
「勘太郎くん、話のそらし方が下手過ぎるね?」
赤崎はおれの心の内を見透かしたように楽しそうにしている。
「……口止め料ってことでどうでしょうか」
「口止め料は、秘密を守ってもらいたいときに払うお金で、『これ以上口を開くな』って意味じゃないですけど?」
またどうでもいい揚げ足を取ってきやがって……。
「……チャーシューも乗せてやるよ」
「仕方ない、乗せられてあげましょう。二つの意味で」
落語みたいなことをいいながら満足そうに頷く赤崎を見てふと思う。
「……ていうか結構大食いなんだな、赤崎」
「勘太郎くん、ぼそぼそと小声でうるさいよ?」




