第41話:「ちょっとちょっとちょっと」
昨日深夜まで行った一夜漬け練習のおかげもあって、合奏は順調に進み、あっという間に二時間が経った。
フロントにて元々のメンバー4人で割り勘して料金を支払う。
青井さんも支払うと申し出てくれたが、今回はゲストなので断った。ちなみに結局演奏者として出る幕のなかった赤崎は当然支払わない。
「せっかく楽器持ってきたのになー」
「ごめんね、七海」
「ううん、私は青井が練習しすぎで唇が痛くて音が出なくなった時用の保険だもん」
「練習してこなくて音が出なかったって可能性は?」
「そんなことありえないでしょ?」
赤崎が可憐に笑って、青井さんも「へへ」と少しくだけたように笑う。
そんな姿を見ながら、おれはふと気になって尋ねてみる。
「青井さんのこと、名字で呼んでるんだな?」
「うん、そうだよ。なんかアオイって下の名前みたいで可愛いでしょ?」
「はあ、まあ、たしかにそうかも」
可愛いかどうかはそれぞれの価値観だけど、下の名前が葵さんっていう人はたしかに結構いるし、漫画とかで『葵』というキャラはたいてい美少女として描かれているようにも思う。
「お、分かってくれた。ほら、そう思ったら勘太郎くんも、アオイさんって、下の名前で呼んでるみたいな気分になってこない?」
「うーん、青井……青井……。いや、『青井』って漢字が浮かんでるから名字だなあ」
「勘太郎くんひどいよ、いつまで経っても私のことは下の名前で呼んでくれないのに、アオイのことは呼び捨てにした……!」
「いやだから青井って名字だろって……」
いや、ていうか名字じゃなかったとしてそんなことを赤崎に詰られる理由が分からない。
「……あんまり無意味に人の名前を連呼しないでくれない?」
やりとりを見ていた青井さんがジトっとこちらを睨む。むしろよく今まで耐えて見てたな。
「ていうかあたしはそれよりも、七海が諏訪のことを下の名前で呼んでることに驚いたんだけど」
「呼ばせてもらってるんだ。ね? 勘太郎くん?」
「はいはい……」
「へー……?」
訝しげに見られたところで、
「透子、楽器預かってもらうぞー」
と、白山が声をかけてくる。
楽器預かってもらうのか。なぜ?
「なあ、昼飯とか食わない? 腹減った」
スタジオの外に出る階段を上がり切ったところで、おれは提案する。
今は14時。12時からの練習だったものだから、昼飯も食べてないし、実は朝飯も食べていない。
はちみつレモンでなんとなくお腹を満たしたものの、胃が固形物を欲していた。
「あ、いいね勘太郎くん。私もお腹すいたよ」
赤崎が真っ先に乗っかって手を上げてくれる。
「ごめん、僕はちょっと用事が。ジュンク堂で本を買って帰らないと」「オレもちょっと姉ちゃんから呼び出し受けてて……」
飯田と大黒が申し訳なさそうに頭を下げる。
ちなみに、飯田は読書好きで、大黒は姉ちゃんによく呼び出しを受けている。呼び出しっていうのが何かはよく分からない。
「あー、俺たちは……」
そこに引き続き、困り顔で笑っている白山と横でもじもじしている青井さん。
「2人はデートかな?」
赤崎がにやーっと笑って身体ごと首をかしげる。
「ごめんな、水族館に行こうって決めてて」「べ、別に行き先言わなくてもいいでしょ」
白山がすまなそうに言ってきて、青井さんが恥ずかしそうにツッコミを入れる。別に恥ずかしい行き先じゃないと思うけどな、水族館。いかにもデートって感じで。……いや、それが恥ずかしいのか。
ていうかそれで楽器を二人してスタジオに預けていたのか、と納得する。
スタジオでは次回利用客のために楽器を預かってくれるサービスがある。断じてリア充のデートのためのクロークではないけどな。
ということで、なんとなく駅の方まで歩きながら、それぞれがそれぞれの用事のある方に散っていく。
「じゃ、またな、赤崎」
最後に駅前で赤崎とふたりになったタイミングから、ラーメン屋にでもいくかと赤崎に手を振りながら歩みを進めると、おれのコートがぐいっと引っ張られて前に進めなくなる。
「ちょっとちょっとちょっと」
「ん?」
振り返ると赤崎が信じられないと言った顔で首を降っていた。
「いやいや、『ん?』じゃないよ。なんでひとりでどこか行こうとしてるの? お昼ご飯食べようよ」
「え、ふたりでも一緒に食うの?」
「お腹の空き具合にひとりとかふたりとか関係ないでしょう?」
「まあ、そうだけど……」
「今、何を食べに行こうとしてたの?」
「ラーメン」
池袋はラーメンの激戦区である。せっかく池袋に来てひとりなら並ばないと入れない店に並ぶのも一興だろうと思ったのだ。
「ラーメン、私も食べたい」
「じゃあ、好きなところに行けよ。ラーメン屋、たくさんあるし」
「女子ひとりでラーメン屋入りづらいんだよ! でも、ラーメンが食べたいか食べたくないかで言ったらもちろん食べたいわけで」
「今時、女子がどうとかそんなのないだろ」
「いいえ、あります。というか、逆になんでそんなに頑なにふたりでご飯食べることを拒否するの? 芽衣ちゃん?」
顔をしかめて首をかしげる赤崎。流れるように『芽衣ちゃん?』って聞いてくるのはなんだよ、と言いたいところだが、今回については図星である。
「あのな……実は今、芽衣と吉野が池袋にいるんだよ。ふたりでいるところ見つかったら面倒だろ?」
「……どうしてそんなこと知ってるの?」
「いや……吉野と行きの電車でたまたま会って、それでそのまま待ち合わせ場所のいけふくろうの場所が分からないっていうから行き道で連れてったら芽衣がいたんだよ」
「ふーん?」
おれは事実を伝えているだけなのに、何かを見透かしたように赤崎はにやりと笑う。
そして。
「それじゃあ、行こうか、勘太郎くん」
おれの腕に赤崎が両手を絡める。
「いや、だから……、おれの話聞いてたか?」
おれは振り払おうとするも、想像以上に強い力でしがみつかれていた。
「普通はこれ幸いとばかりに鼻の下をのばすタイミングなんだけどね?」
「普通とかは知らないけど……。おれは芽衣が好きなんだから関係ないだろ」
「……っ!」
おれが本当に困ったので正直にそう話すと。
「ほんっとうに、良いなあ……」
そう言いながら、瞳をうるませて見上げてくる。
「え……?」
え、嘘でしょ? 泣くの? ここで?
「あ、赤崎……!」
おれがしどろもどろになって名前を呼ぶも、泣きそうな顔をしながらこちらを見続けるだけの赤崎。
「じゃ、じゃあ、ラーメン屋だけな? 結構並ぶかもしれないけど、それでもいいな?」
別におれだって拒絶がしたいわけじゃないのだ。
ただ、芽衣と遭遇したりしてそれがデートに見えたらまた余計な心配を芽衣にかけるだろうと身の程知らずにもそう思っただけで。でも、まあ、ラーメン屋ならロマンチックじゃないからデートとかにも見えないだろう。実際やましいことがあるわけじゃないし。うん。見つかっても大丈夫だ、うん。なんなら先に芽衣に一報入れるか? いや、それはそれで何様って感じだな。だから、まあ、大丈夫だ。
おれは何度も自分に暗示をかける。
「うん! よし、池袋でラーメンデートだね?」
「いや、だから、人がせっかくかけた暗示をそんな造語一つで吹き飛ばすなよ……!」
ていうか今さっきまで瞳に溜まってた涙はどこへ行ったんだ。また演技かよ。
「はあ、一杯食わされたな……」
「え? 私、ラーメンおごらないよ?」




